アマチュアの創作(創作的な文学的⑭)
人間にとって、「自分でやってみる」ことは大事である。
それは、「教育」によって、知恵や知識を伝達していくことで種を存続させてきた、我々の宿命である。
同じように、「自分で創作してみる」ことは、文学的に生きる上で重要なことだ。
私も昔、遊びでいろいろ物語や小説を、書いてみたことがある。
大学ノートに書いて、友達や先生に見せる、というのは、よくある教室のいち風景だった。
現代では、ネットのおかげで、それらを公開する場所もいろいろある。
リアルで同人誌のようなものを作って、それを販売することもできる。
印刷代などがかからない手軽な方法として、こうしてnoteで公開することもできるし、Kindle出版を行うこともできる。
公開することで、客観性を得られる。
自分だけでは見えなかったものを見ることができる。他人が考えることは、ほんとうに未知数である。
しかし、叩かれる弊害もある。
(※noteは会員制なので、始めて2ヶ月、今までそういうコメントをもらったことがない。)
アマチュア存在の価値のひとつは、創作の卵を育てることである。
創作現場のすそ野を広げることは、大事なことである。
文学史上、批評上は、無意味な創作もあるかもしれない。
同じパターンの塗り直し。
なんら新しみがない。
一定のレベルに達していない。
しかし、すべての人が読者/創作者でもありうる世界では、評価されなくてもいい創作もあるかもしれない。
ネット上には、そういう呟きのような創作もあふれている。
このnoteの論考だって、そうである。
まず第一に、自分の考えをまとめるためにある。
そして第二に、後日、自分自身が読者になるためでもある。
それでも第三に、思いがけずスキしてくれる人や、フォローしてくれる人に出会う。
その人達も、それぞれにオウンメディア(note)を持っている。
