なぜ働いていると本が読めなくなるのか(文学は心を扱う③)
『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(三宅香帆、2024)が話題になっていた。
発売された当初に書店で手に取り、購入して読んだ。
みるみる話題になり、テレビでも紹介されたりしていた。
帯「疲れてスマホばかり見てしまうあなたへ」
この本の結論は、「仕事は半身で。」
考えたり、心を動かしたりする余裕をもって、生きられる人生に。生活に。社会に。
自分にとって身につまされるテーマだったから購入して読んだのだが、同じように考えている人は、世の中に多いようだ。
著者の三宅香帆氏は2018年からnoteを執筆しておられるようだ。
このたび、このnoteを書くきっかけで調べてみたのだが、著者をこんなにも身近に感じられる時代に、驚きを覚える。
しかしそれは、物書きも、本を書くだけではなく、いろいろと手を伸ばさないといけないということでもある。
この著書が提唱しているような「半身社会」とは逆の、多忙な全身全霊のプロモーションが必要とされる時代になっているとも言える。
村上龍氏は、小説執筆の他に、映画監督やテレビのパーソナリティ、エッセイのほうも精力的に書かれたが、文学的、というのは、文字だけ、文章だけ、筆一本で勝負することだろうか。
少なくとも、もうそんな時代ではないし、そもそもそういうことではなかったかもしれない、とも思う。昔は映像でやりとりできるようなインフラがなかったわけだし、文章しか勝負できる場所がなかったのかも知れない。
画家が、絵を描くだけではなく、プロモーションが必要だ、というように。
村上春樹氏も、作家生活の中で、何度か、読者とコミュニケーションをとる場を設けてきた。(メーリングリスト、ホームページ。例えば、『少年カフカ』)
春樹氏は海外でも好評を得ているが、海外ではインタビューや朗読会など、プロモーションを積極的に行った。
あるいは、作家は文章一本で勝負せよ、という偏見のようなものは、日本独特のものかもしれない。
このあたりのことも、考えたり調べたりして、書いていきたい。
