【コラム】怖くない
本木克英監督作、「火喰鳥を、喰う」を鑑賞。原作は第40回横溝正史ミステリ&ホラー大賞を受賞したホラー小説。
戦死した大伯父の日記が見つかったことが起点となるホラー。怖がる気満々で鑑賞したが、あまり怖くない。画面はJホラーのそれなので、最初のうちは期待できる。
ところが、途中から歴史改変とか世界線といったSF要素が強くなる。ここに頭が追いつかない。新しいホラーに対応できていない私に問題があるのだろうが、怖がるより先に状況の理解に関心が向いてしまった。
こうなるとSFとかちょっと難解な映画を観ているのと同じ状態になる。よって怖くない。思い出しても怖くない。夜のトイレも大丈夫。
かつての新しいホラー、「リング」はビデオというテクノロジーをホラーに取り入れた画期的な作品だった。これは怖かったと記憶している。新しい要素がうまく機能していて、すんなりホラーの世界に入っていけた。心霊写真という準備体操があったためだろう。
ところが世界線という概念をJホラーに取り入れた本作は、そうではなかった。歴史改変はそれ自体が怖さを含んでいる。そういう作品は多い。これをJホラーのルックで行っても、うまく調和しなかった印象。藤子・F・不二雄のSF短編の映像化つもりで映画化したら、もっと怖くなったのかもしれない。
この先、こういうホラーが増えていくのだろうか。だとしたら私の方が、このフォーマットに慣れていく必要がある。
もしかしたらJホラーの根幹である怨念を怖がらない体質になってしまったのかも。先祖が自分の子孫を呪うとは思えないし、責を負うべき人物が平穏に天寿を全うしているのも普通のことだ。生きている人の恨みは怖くても、その人が死んだら安心するのが現代人の感性だろう。
物理的な暴力は伴わないが、何かが確かにそこにいる、という恐怖がJホラーの肝で、それは本能的なもの。Gと同質なもので、G以上に実感を伴える表現が難しくなってきたのかもしれない。
