LGBTQ+に対する偏見差別と嫌悪感情~SNSの投稿から~
はじめに
先日、ボクがSNSで下記の記事を転記して共有しました。
すると、このような反応をしてくださった方がおられます。
LGBTQを多様性として受け入れるべきと言うなら
それ以外の人間の嫌悪も多様性として受け入れなければフェアじゃない
差別と騒いで非難し糾弾するのは
ちょっと違う気がする
そんな人もいるよねで良いと思う
どうも活動家の方達は
自分の人権を叫ぶのに相手の
人権を無視して差別と言う人が多い
ヴィーガンとか反捕鯨団体とかもね
みんな仲良くすれば良いのになーと
思うよ
その方に対してボクは、その場ではキチンと説明ができず、ボク自身がモヤってモヤって(笑)。
でも、せっかくいい機会をいただいたので、LGBTQ+に対する偏見差別とそれに深く関わる嫌悪感情に関して、もう一度、考えてみよう!と思ったので、急遽、筆を執りました。
1.なぜ、どこに、モヤッた?
まず、ボクの投稿に対して反応したくださった文章のどこにモヤッたのかを考えてみました。
LGBTQを多様性として受け入れるべきならそれ以外の人間の嫌悪も多様性として受け入れる必要がある。
活動家の方たちは自分の人権を叫ぶのに相手の人権を無視して差別という人が多い。例)ヴィーガン・反捕鯨団体など
※以降、差別やそれに準ずる思想を『ヘイト』とし、差別を原因とした行為を『ヘイト行為』と表記します。
ヘイト行為の原動力になっているのは、間違いなく『嫌悪感情』です。ただ、問題は、その『嫌悪感情はどこからやってくるのか?』だと思うんですよね。
そして、多くの偏見差別の原因になっている『嫌悪感情』と、人と人(個人と個人)の間に生ずる『嫌悪感情』には、大きな違いがあるなって考えました。
さらにこのネット記事に登場するのはプロのサッカー選手であることと、差別行為を非難し糾弾しているのは、フランスのスポーツ大臣であるということ。
これもポイントだと思います。

2.ヘイト行為の原動力となる『嫌悪感情』
ヘイト行為の原因となっている嫌悪感情の多くは、理由がありません。「何となく」だと思うんです。
じゃあ、その何となくはどこからやってくるのか?
心理学的には、おそらく『行動免疫システム』と『内集団バイアス』だと言われてて。
<行動免疫システム>
私たちの体が病原体から身を守るために、行動レベルで危険を察知し、回避しようとする仕組みのことで、例えば病気の人に近づかないようにする、不潔なものを避ける、衛生に気を配るなど。意識的あるいは無意識的に、病原体から身を守るために様々な行動をとっていて、この一連の心理的・行動的な防御反応のこと。
<内集団バイアス>
自分が所属する集団(内集団)のメンバーを、他の集団(外集団)のメンバーよりも好意的に評価したり、優遇したりする心理的な傾向のこと。
LGBTQに対する嫌悪感情に関しては、おそらく<内集団バイアス>の影響が大きいかな…と。
つまり、セクシャルマイノリティとセクシャルマジョリティという集団がある時、それぞれの集団では、その構成員を守ろうとする無意識な行動、そしてそしてそれを突き動かす感情があると思います。
つまり、セクシャルマイノリティはセクシャルマジョリティから何らかの攻撃を受けたと思うと、セクシャルマイノリティの集団の中で、その構成員を守ろうとします。
逆も然り。
内集団バイアスは「仲間びいき」とか「内集団びいき」とも言われているので、共通した属性があったり同じコミュニティに属しているだけで『仲間』と認識して、お互いにお互いを守ろうとします。
『行動免疫システム』も『内集団バイアス』も、もう無意識なんですよ。いわゆる『遺伝子レベル』ってやつ。だから『嫌悪感情に理由はない』。

3.自然主義の誤謬(自然主義的誤謬)
じゃあ「遺伝子レベルでの嫌悪感情だから差別も仕方ないね」という話にはならなくて、それが『自然主義の誤謬(自然主義的誤謬)』ってやつ。
<自然主義の誤謬(自然主義的誤謬)>
「〜である(事実)」から「〜すべきである(価値)」という結論を安易に導き出そうとする誤った推論のこと。もっと簡単に言うと、「自然なことだから良いことだ」「世の中の事実だからそうすべきだ」と結論付けてしまう誤り。
「事実がこうである」という記述的な命題(「〜である」)と、「こうすべきである」という規範的な命題(「〜すべきである」)の間には論理的な飛躍があって、事実から直接的に価値や道徳を導き出すことはできない、というのがこの誤謬の核心。
<誤謬(ごびゅう)>
間違った推論や論理の飛躍によって生じる、一見すると正しそうに見えるが、実際には論理的に成り立たない議論や考え方のこと。簡単に言うと、「間違った論理の展開」や「論理的な間違い」。
と、考えると…じゃあ、「なんで偏見差別をしちゃダメなの?」という疑問にぶち当たるわけで…

4.個人と個人の間における『嫌悪感情』
誰しも「この人好き!」「この人嫌い!」ってありますよね。ボクだってあります。そんな聖人君子のような人間なんて、この世にいないとボクも思っています。
この「この人嫌い!」には、やはり『嫌悪感情』があることは、間違いないですよね。
ではヘイト行為における『嫌悪感情』とは、何がどう違うのでしょうか?
ちょっとここで、今さらですが、『差別』とは何でしょうか?
<差別>
特定の集団や個人に対して、その属性(例えば人種、性別、年齢、国籍、宗教、性的指向、障がいなど)を理由に、不当な扱いをすることを指す。
これは、機会の不均等、権利の制限、偏見に基づく排除、あるいは敵意や軽蔑といった形で現れることがあり、簡潔に言えば、「皆が同じ人間であるにもかかわらず、特定の理由で公平に扱われないこと」と言える。
ここでポイントになってくるのは『属性』です。
一人の人間でも多くの属性を持っています。
ボクに例えてみましょう。
学術名:Homo sapiens(ホモ・サピエンス)・ヒト
ジェンダー(性別):男性
セクシャリティ(性的指向):ゲイ
年齢:50歳
生まれ月:3月
同居家族:母
姉弟:姉
出身地:岐阜県郡上市
居住地:岐阜県郡上市
職種:自営業・自由業・サービス業
職種:心理カウンセラー
取得資格:産業カウンセラー・社会福祉士・理学療法士
所属団体:日本産業カウンセラー協会・NPO法人JaNP+・NPO法人ぷれいす東京
持病:HIV感染症・双極症・高血圧症・脂質異常症・睡眠障害・腰椎椎間板症
障がい:身体障がい・精神障がい
経済状況:中産階級
顔:わりと童顔
髪:ほぼシルバー・ツーブロック
体型:ややムッチリ
服装:そこそこ気をつけている
好きな男性のタイプ:ボクを愛してくれる人・ボクより大きな体の人・笑いのツボが一緒の人・将来、同棲を考えてくれる人
性格:穏やか・せっかち・心配性
趣味:音楽鑑賞・映画鑑賞・読書・執筆
などなど
とりあえず、思いつくまま挙げてみましたが、ちょっと考えただけでも、その人の『属性』って、こんなにもあるんですよ!
人と人が関係性を持つ時、相手のもつ多くの属性の中から「この属性は自分の価値基準には影響しない」「この属性は自分と共通性がある」「この属性は自分には受け入れがたい」「この属性は自分の利害に関係がない」「この属性は自分に利益をもたらす」「この属性は自分に害を与える」など、自分の価値基準に当てはめて総合的に判断し、『この人には好意感情がある』『この人には嫌悪感情がある』『この人はどちらでもない』と、分類していくのだと思います。
ヘイト行為の原動力となる『嫌悪感情』は、おおよその場合1つか2つの属性から判断されます。それに対して個人と個人の間にある『嫌悪感情』は、その個人の持つ属性を総合的に判断している、と言う大きな違いがあります。

5.偏見差別をしちゃいけない理由は?(個人的意見)
もちろん、その人の属性やコミュニティで、権利に差があってはいけない、というのは、恐らく皆さんも承知していただけると思います。
最近、同性婚訴訟の話題をよく見聞きしますが、まさにこの部分ですよね。
でも、もっともっと身近なところで『偏見差別をしてはいけない理由』を、考えてみたいのです。
ボクはコレをリアタイで観ていた世代です(笑)。小学校の道徳の時間で、観てましたね。
例えば…
『仲間はずれはやめましょう』
『相手の立場になって考えましょう』
って、習いませんでした?
こーゆー価値観って、どこからやってくるのでしょう?
正直、ボクにも分かりません(笑)そして、どう考えても『刷り込み』だとも思います。
ただ、『仲間はずれはやめましょう』『相手の立場になって考えましょう』の延長線上に『世界平和』があるのかなぁ~とは思います(話が壮大に…)。
では、もっと身近なところで偏見差別について考えてみたいのです。
以前ボクは、こんな経験をしました。
今の事業を起業する直前、障害者雇用で定職に就きたいと思い、ハローワークや障害者専門の就職・転職サイトにも数社、登録して。なんなら障害者雇用専門のエージェントも利用して。
40社くらいエントリーしたかな…そのうち面接試験に進めたのは2社ほど。
それ以外は全て、書類選考で不採用です。
そんな時ハローワークのボクの担当の支援相談員さんと話してて「コレだけ不採用になると、なんだか人格を否定されてる気分になってツラいです…」とぼやいていました。
ここにヒントがある!!!!!!!
と、今のボクは気付きがありました。
つまり、履歴書や職務経歴書に書かれていること“だけ”で、採用・不採用と言う判断をされてしまうのか…と思うと、そこには書かれていない“ボク”という人間としての存在さえも、否定されている感覚になるんです。
つまり、書類上に書かれているボクの『属性』は、ほんの一部であって、それだけを見て「コイツはここでは使いもにならない人」と言う、烙印を押される感じ…しかもそれが何社も続くと、「どこで働いても使いもにならないどうしようもない人」と言う感覚に陥るんです。
もちろん、相手は企業の人事・採用担当者であるものの、ボクと同じ『ヒト』なんです。同じ属性である『ヒト』がジャッジして、『ヒト』が『ヒト』から拒絶されるコトになります。前述した『内集団バイアス』の『ヒトという内集団』の中で否定されるわけです。
本来、内集団であれば、お互いをお互いに助け合う集合体であるはずなのに、そこから仲間外れにされるわけです。
差別される、ということは、それこそ遺伝子レベルでツラいわけです。
先ほど、「ヘイト行為における嫌悪感情は、おおよそ1つか2つの属性によって判断される」と書きました。つまりソコには「多くの属性と人格を持った一人のヒト」と言う捉え方をしない、ということです。
ちょっと大げさな言い方をすると「ヘイト行為をするヒトは、その対象者に対し“ヒト扱い”しない」と言うことです。

6.ネット記事における『ヘイト行為をしたヒト』と『それを糾弾したヒト』
最初にご紹介した記事をもう一度、ここで共有しますね。
「反同性愛嫌悪のLGBTバッジ」って訳わからんっすよね(笑)
つまり「同性愛を嫌悪することに反対します!と言う意思表示をするためのバッジ」ですね。「同性愛を積極的に応援するわけではないけど、同性愛を理由に人を嫌悪する人を拒絶します」という意味合いになるでしょうか。
この記事には、このバッジをとあるプロのサッカー選手が、テープで隠し他人には見せない状態で試合を行った、ということが書かれています。
つまり、このプロのサッカー選手は「同性愛を嫌悪することに反対します!ということに反対します!」と意思表示しているので(ややこしいなぁ)、「同性愛を嫌悪することを肯定します」と意思表示していることになります。
人間は、社会生活を送るうえで、必ず『役割行動』をするように求められます。
<役割行動>
ある特定の役割(ロール)や地位(ポジション)にいる個人に期待される、一連の行動パターンや振る舞いのこと。社会が円滑に機能するための基盤となり、個人がそれぞれの場で適切に振る舞うことを可能にする。
何らかの「肩書」がある場合、その肩書にあった行動をするよう求められるのが、社会生活を送るうえで必要不可欠になります。
それは「良い悪い」というものではなく、「そのような行動をとらなければならない」または「そうすることがモラルや社会通念に適している」とも言えます。
プロのサッカー選手の「役割行動」とは、何でしょうか?
大きく分けて『ピッチ内での役割行動』と『ピッチ外での役割行動』に分けられると思いますが、このケースでは『ピッチ外での役割行動』について考えてみたいと思います。
プロである限り、その行動には社会的な責任と影響力を考えなければなりません。
①ファン・サポーターへの対応
応援してくれるファン・サポーターに対し、サインや写真撮影、イベント参加などを通じて感謝の気持ちを示すことは、クラブの価値向上に繋がります。
②メディア対応
インタビューや記者会見では、自身の言葉や態度に責任を持ち、クラブやリーグの品位を損なわないような発言を心がけます。
③ロールモデルとしての自覚
子どもたちをはじめとする多くの人々にとって憧れの存在であるため、私生活においても社会規範を遵守し、模範的な行動を取ることが期待されます。
④地域貢献活動
所属する地域社会への貢献活動に積極的に参加し、地域との連携を深めることもプロ選手の重要な役割です。
さて、そのプロサッカー選手の取った行動は、これらの『役割行動』のどれに引っかかってくるでしょうか。
おそらく全てですな(笑)
もしそのプロサッカー選手のファンやサポータの中に、同性愛者がいたら、その方はどのように感じるでしょうか?
そのプロサッカー選手が、そのような態度を示した時、所属のクラブチームやリーグの品位はどうなるでしょうか?
もしそのプロサッカー選手のファンであるお子さんが、そのような行為を見聞きした時、そのお子さんはどのように考え、どのように感じるでしょうか?
そのプロサッカー選手の所属するクラブチームのホーム都市に住む住民は、どのように感じるでしょうか?
そして、そのプロサッカー選手を糾弾したのが「フランスのスポーツ大臣」でした。そしてこの「フランスのスポーツ大臣」にも『役割行動』が求められます。
こちらもいくつも役割行動があるかと思いますが、以下のことに注目したいと思います。
<スポーツ界のガバナンス強化と透明性の確保>
団体の健全化
スポーツ団体に対し、透明性の高い運営、適切な意思決定プロセス、倫理規範の徹底を促し、不祥事の防止と信頼性の向上に努めます。
コンプライアンスの徹底
組織内の不正防止やハラスメント対策など、あらゆる関係者が安心して活動できる環境を整備します。
つまりスポーツ大臣としてはこれらの役割行動から、当事者であるプロのサッカー選手を厳しく指導しなければならないことが分かると思います。

終わりに
改めて言いますが、ボクはLGBTQ+活動家ではありません(笑)
一般的に「差別することはいけないことだ」と言う、当たり前だと思っていた社会通念に対して、ちゃんとした理論を用いて説明したかった…それだけです(笑)
また、このSNSの投稿をした時に、多くの方が「差別」と言う言葉を誤用していたように思います。
もし、ボクのこのお話に誤りがあるようでしたら、ご遠慮なくコメント頂きたいと思います。
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