「なんかいいな」の正体を探して|パウル・クレー展【静岡市立美術館】
先日、静岡市立美術館で開催されている「パウル・クレー展」に行ってきた。写真撮影可能だったものから、印象に残った作品についての感想をいくつか。

一つ目は《橋の傍らの三軒の家》。 大きさの異なる丸、三角、四角で構成されており、色は橙、黄、青などで原色は使われていない。いずれの色も滲んで、柔らかな変化のなかにあるが、黒や灰色などの無彩色が区切りとなり、全体の印象はかっちりしているように感じる。題名を見ると、頂点を下に向けた三角が橋を支える柱に見えてきて、巨大な鉛筆のような三角は屋根をもった家に見えてきた。
クレーが形を形のまま、色を色のまま写実的に描いていないことは言うまでもない。となると、これは何なんだろうという、素朴で単純な問いにぶつかる。彼は前提となる知識や理性を取り除いて、対象を見ようとしていたのではないだろうか。作品がテーマや対象をうまく表現できているか、何かを伝えようとしているかというのは、もしかしたらどうでもいいことなのかもしれない。少なくとも自分は、何の概念も意味もない色の組み合わせ、線や形の組み合わせとしてこの絵を見てまず最初に、「なんかいいな」と感じた。
この「なんかいいな」をはっきり説明できないのは、たぶんその感覚が、言葉になる前の、自分の無意識に沈んでいるからだと思う。その体験はクレーとの対話のようでもあり、作品を通しての自分との対話でもある。作品がこちらの顕在意識でなく、潜在意識に訴えかけてきているような気がする。

次に印象に残ったのは《ハマメットのもティーフについて》。絵の構図としては全体を小さな四角で区切るような形になっており、上部には夜のような藍色、その下には灰色がかった赤や桃色、黒っぽく塗りつぶされた感じの四角もあって、全体で見たときにどこかの異国の夜の風景か、霧がかった夜の山や森を見ているような印象を受けた。ハマメットとは…?マホメットの親戚?
あとからハマメットについて調べる。ハマメットはチェニジア北東部に位置する都市の名前。チェニジアと言われても世界地図のどこにあるのかわからない。さらに調べる。チェニジアはアフリカ大陸北部にあり、ハマメットは地中海に面した海の町。
この青は海の青なのだろうか。どちらにせよ、地中海に面した明るい太陽と海のイメージはなく、黒やくすんだ緑と桃色で区切られた世界が、冷たく青い夜を想起させる。クレーはハマメットで、酔っぱらいにうざく絡まれでもしたのかもしれない。

クレーの他の作品にも言えるが、対象を自分の感覚で独自に抽象化してしまうなら、もはや何をやっても何でもいいのではないかと思えてくる。そしてそれが評価されるのは、クレーだから。作品に何かしらの意図や工夫の妙を見出して感心するのは、「大家だからすごい作品に違いない」という先入観があるから。そして「自分はそれを見抜けている」という、受け手の自意識が好意的な解釈をさせているだけではないのか。
クレーの生きた時代や、当時の画壇の状況、流行のスタイルなど、文脈をより詳しく知れば違った見え方になるのかもしれないが、背景をセルフで調べないと理解できないなら、作品単体で勝負できていると言えないのではないか。これは前衛芸術や抽象画に触れるときにぶつかる問題の一つだと思う。
しかし抽象化されつつも絵の題名を見たときに何かしっくりくる感じが残るのは、そこに対象のもつ象徴的なイメージや特徴、秩序などがかろうじて残されているからではないかと思った。 それは色としてのイメージかもしれないし、人や建物などをかろうじて連想させる線や形かもしれない。もしくは肉眼で見えている情報とはまったく関係のない「それっぽさ」かもしれない。
とにもかくにも、クレーの絵は「何でもいい」のギリギリのラインで踏みとどまって、「なんかいい」に昇華されていると自分は考えた。クレーが対象そのものが持つ本質のようなものを探り、それを描こうとしていたことは、会場内で見た以下の言葉からも窺える。
芸術とは目に見えるものをそのまま再現するのではない、見えるようにすることにある
【今週のおすすめ本】
『クレーの絵本』谷川俊太郎
クレーの絵(40点)と谷川俊太郎さんの詩(14編)のコラボ、豪華。
そこへゆこうとして
ことばはつまずき
ことばをおいこそうとして
たましいはあえぎ
けれどそのたましいのさきに
かすかなともしびのようなものがみえる
そこへゆこうとして
ゆめはばくはつし
ゆめをつらぬこうとして
くらやみはかがやき
けれどそのくらやみのさきに
まだおおきなあなのようなものがみえる
