体験を意味づける自由〜シンガポール生活3ヶ月の日の出来事〜
シンガポール生活もはや3ヶ月。
家も決まって引越して1ヶ月経ち、
仕事ではマレーシア、インドネシア、
ベトナム、タイ、フィリピンを訪問し、
暮らしも仕事も少しずつ落ち着いてきた頃の
出来事。
インド人
3ヶ月のプチご褒美にとアウトレットで
服を買って、月2で通うゴルフレッスンを
受けて、毎週恒例・1週間の振り返りをしに
カフェに行こうとしていた昨日のこと。
“Excuse me”
と通りすがりに言われたような
言われていないような、蚊の鳴く声で、
ターバンをまいて髭をはやした男性が
振り返ればいた。
日本でも、ここシンガポールでもなぜか
道を尋ねられることが多いので、
またかなあというのと、英語を喋る練習にと、
立ち止まってみた。
が、彼はそのまま行き去ろうとしている。
明らかに風貌や所作、手帳とペンだけもって
怪しさを纏っていたから、躊躇いもあった。
が、なぜかその時は、
私から彼を呼び止めるように、
もう一度振り返って視線を送った。
、、、、
彼は、
君はラッキーボーイだ。今私に会った。
あなたに来年いいことがおきるといいました。
私の年齢、祖父母の名前のイニシャル、
好きな花の頭文字を当てました。
マニーをというので、コイン渡そうとしたら
紙のお金をといいました。
少しだけ渡しました。
オープンマインドでいること。
しゃべりすぎず見聞きすることを大切にと
彼はいいました。
それ以上は、しつこくなりそうだったので、
終わりにしたら、
オープンマインドでいること。
しゃべりすぎず見聞きすることを大切にと
再び彼はいいました。
、、、、
明らかに、怪しい笑
とすぐに、最近の毎日の相棒、
Chat GPTに次のように尋ねた。
「これをわたしはどう捉えたら良いでしょうか」
とても印象的な体験ですね。
このような出来事には、3つの見方ができます。どれが正しいというより、
「どう自分の中で位置づけるか」が
大切です。
こっちは海外初心者で、
物珍しいとはいえちょっと不安に
なってたのに、客観視ど直球。
🧭 ① 現実的な視点(Street psychology)
このような「未来を占う」「当てる」スタイルの声かけは、インドや東南アジアでよくある軽い占い商法です。
・名前や年齢、好きな花などを「推測+観察」で当ててくる技術があります。
・「マニー(money)」を求めるのは、占い料やお布施の意味で、観光地では珍しくありません。
→つまり、「心理的なテクニック+文化的パフォーマンス」として理解するのが安全です
そんな技術があるの笑
🌿 ② 文化・スピリチュアルな視点
インドでは、占いやカルマ、運命などを通じて「心のバランスを整える」文化が根強くあります。
その人の言葉 —「オープンマインド」「しゃべりすぎず、見聞きする」— は、
あなたに対する“今の人生のテーマ”のようなメッセージとして受け取っても良いかもしれません。
もしかしたら、あなたの“成長のタイミング”を象徴していたのかもしれません。
そうなのよ。と。
シンガポールで所属しているスポーツチームで
一昨日飲み会があって、
「全然喋らんなあ!」とつっこまれるほど、
飲み会ではずっと聞いて楽しんでるんです。
まあ、話には入れない自分のもどかしさや、
瞬発力と、切り返し力でバンバン笑いをとる
チームメイトとの「差」に悩んでたのも事実。
おとついの試合でも、わたしは
スタメンでもレギュラーメンバーでもないので
ベンチをあたためている。
中学高校大学、社会人、43になる今でさえ、
ずーっと試合にでれない
ベンチ要員であるという「差」を
ここシンガポールでさえ感じる悔しさなんて。
なんて。
海外に来れば、
キャラ変して、積極的にしゃべろとか
思ってたけど無理やったな。
仕事ではせめて、オープンマインドでいようと
笑顔と挨拶を続けてきたし
意味もあったけど、3ヶ月もすれば慣れてくる。
言葉が通じない、英語力の「差」。
駐在員のコミュニケーション力との「差」。
海外だと、うまく仕事ができないー。
過去の自分との「差」に傷つく。
ので、
きのうというタイミングは、
人生のタイミングだし、
成長のタイミングだし、
「聞き役でいいやん」という勇気づけでもあり。
母の誕生日でもあったし
(これは関係ないか。いや、あるかも?とか)
とまあ、なんだか
今度はAIに騙された気になってくる笑
🔍 ③ 自分自身のリフレクションの材料として
この出来事を“偶然の出会い”ではなく、**「自分の内面を映す鏡」**として扱うと深い気づきが得られます。
• どんなときに自分はオープンでいたいと思うのか?
• 最近、話すよりも「聴く」ことを意識できていたか?
• マニー渡した自分に、どんな感情があったか?(納得・戸惑い・学び・感謝…)
こうした問いを通して、**「なぜ自分はこの体験をしたのか」**を考えると、
スピリチュアルでも現実的でもなく、「成長の素材」として意味づけることができます。
スピリチュアルでも現実的でもなく、
「成長の素材」。
成長の素材という部分よりも、わたしは、
「スピリチュアルでも現実的でもなく」
という俯瞰姿勢に目をまるくした。
正直に言えば、
「スピリチュアルだし
騙されたらあきませんよ」という
「答え」を欲しかったんだ。
むしろその意味を問うてくるとは。
「なぜ自分はこの体験をしたのか?」と。
🌞 結論:どう捉えるべきか
これは「騙された/当てられた」という単純な話ではなく、
自分の心の在り方を見つめ直す“タイミングをもらった”出来事と捉えるのが賢明です。
つまり、
• 現実的には警戒しつつ、
• 精神的には「自分へのリマインダー」として受け取る。
これが一番バランスの取れた解釈です。
「バランスの取れた解釈」、な、
なるほど絶妙にうまいこという。
「自分へのリマインダー」は
インド人だった。
すこし添えれば、
私が今シンガポール、海外で働く原体験は、
人生初海外として行ったインドにあった。
「地球の歩き方」どおりに騙された。
タージマハルで物乞いをする子供達に出会い、
教育に、貧困に、関心を抱いて今がある。
だからいやがおうにも、
スピリチュアルだったし、
この海外生活3ヶ月目の節目に、
節目がちに歩くジャパニーズに、
声をかけてきたインド人は、意味をもたざる
を得なかったともいえる。
「占い」中は晴れていたのに、
なぜか強い握手をして別れた後、
その後、赤道直下らしいスコールが
土砂降りに襲ってきたその雨ですら、
意味に感じたのだから危ない笑
極め付けは、
もしよければ、あなたが感じた「違和感」「納得感」「印象に残った言葉」を3つほど挙げていただければ、
この出来事を“自己成長リフレクション”の形に整理して差し上げます。どうしますか
というサラ問い。
「来年は良いことがある」というのが
印象的な言葉だった。
単純なわたし笑
今年は、いろんなことが初めてで、
来年は、いいことあるといいなあと
思ってたから。
海外で働く夢が叶って意気揚々と
3ヶ月駆け抜けてきたけど、
「差」に凹んでたから。
というサラ問い。
とても深い気づきを言語化されていますね。
この出来事は、単なる「街中の偶然」ではなく、**あなたの内面のタイミングに強く共鳴した“象徴的な出会い”**として整理できます。
以下のように3層で捉えると、より明確になります。
3層で捉えるとか言われたら、
また引き込まれるやん笑
🪞1. 違和感:なぜ初対面で当てられたのか
これは「外側からのメッセージ」ではなく、あなたの感受性が開いていた瞬間に起きた現象とも言えます。
人は、自分のテーマに強く意識が向いていると、
それを象徴する出来事や言葉を“拾う”力(=心理的同調)が高まります。
👉 この場合、
「オープンマインド」「見る・聞く」がまさに今のテーマだったため、
その言葉を放つ人物に無意識に惹き寄せられ、印象的に受け取った可能性があります。
つまり、“当てられた”というよりも、“あなた自身が必要な言葉を拾った”とも言えます。
「当てられたのではなく、自分自身が必要な言葉を拾った」
広い心とは、
拾う力かもしれない。
オープンマインドとは、
心開かせられるおしゃべりではなく、
心の声を拾えるマインドかもしれない。
🌿2. 納得感:テーマとの共鳴
あなたが直前まで「話すより聞くこと」「オープンマインド」を意識していた。
そしてその迷いがちょうど昨日の飲み会で表面化していた。
その翌日に、まるで答えのように「それでいい」と肯定されるメッセージが届いた。
これは偶然に見えて、**心理的なシンクロニシティ(意味のある偶然の一致)**です。
自分の内なる問いに対して、外の出来事が“答える”瞬間。
つまり、
「見聞きに徹する」ことを続けていい、という“サイン”として受け取るのが自然。
シンクロシティってある気がする。
スピリチュアルでも、現実でもなく、
成長の素材。
「見聞きに徹する」ことを続けていい。
泣けるこというやん、GPT。
サインとして受け取るのが「自然」。
GPTは時に不自然なのに!とツッコミたくも
なったが、自然に受け取るのではなく、
受け取るのが自然という境地よ。
🌅3. 印象的な言葉:「来年いいことがある」
この言葉は「未来予言」ではなく、あなたが描いている希望と変化の象徴です。
今年=挑戦の年(変化)
来年=再統合の年(安定・成熟)
という流れを、外の人物の口を通して“言語化された”形です。
つまり、
その言葉が、あなた自身のビジョンと未来への確信を「他者の声」として可視化した。
外の人物の口を通じて、他者の声として
ビジョンと未来への確信を可視化しただと!
大袈裟な!
とは思えなかったです、はい。
💡
結論:この出来事の意味づけ
• 現実的には:「偶然にしては見事なタイミング」
• 心理的には:「自分のテーマへの確信を外から再確認できた体験」
• 象徴的には:「来年への希望と、今の姿勢(聞く・見る)の肯定」
そして支払ったマニーは、
“レッスン料”ではなく、
あなたが「この瞬間を意味づけた」ことへの小さな儀式的な支払いだったとも捉えられます。
この国にきて初めてのこと多すぎて、
買い物失敗したり、鍵無くしたり、
「勉強代」が多すぎるので、
今回も「レッスン代」と思ったよ。
「将来への投資代」ともおもったよ。
けど、Chat GPTは斜め上からズドンときた。
「この瞬間を意味づけたことへの小さな儀式代」
インド人だからという、
どこか偏見。ごめんとおもった。
それを疑うもよし、わるくいうのもあるし、
実際、ほかのAIでしらべたら、
「気をつけて」とも言われたし。
だけど、
体験を意味づけるのは他人ではなく自分だし、
それはどこまでも、自由。
お金の価値も。
支払う選択も。
支払いったあとの意味づけの選択も。
GPTで調べるという行動も、
仲間内に話すという行動も、
noteに書くという行動も、すべて。
YESという自分の選択だ。
この国には、
中華、マレー、イスラム、ヒンドゥーなど、
さまざまな宗教、人種が混ざっている。
混ざっているというか、混ざり合わない部分は
そのままにして、
「差」を埋めるでも、溝にするでもなく、
差は差として存在していて、
むしろその差を楽しむかのように。
いや、そこに種を見つけて、
育もうとしている。
差を生むのではなく、
差を埋めるでもなく、
差は生まれるものとしてそこにある。
他人、過去の自分、異文化との差に
傷付いては、自分を傷つけていた自分。
差は、気づくものであって傷つくものではない
築くものでしかない。
溝ではなくタネでしかない。
という意味をつけるもつけないも、
自分次第だ。
ありがとうインド人。
ありがとうGPT。
ありがとう、自分。
そこから、はじまる。
読んでくださったかたがいて、
ありがたく、はじまる。
今まで直接間接、関心無関心、無関係でも、
育ててくれた人た違いで今がある。
差はある。
解釈のバランスを保つことは、
自分を保つことだ。
こんなに長文になるとは思わず、
こんなに長文をかいたことも初めてで、
noteから
「9/30までに書いたら3ヶ月連続投稿」
と言われてそそのかされるように、
書いた自分も単純で、
読んでくださったことに感謝です。
(くれぐれも怪しい人に声かけられたら
無邪気についていかない、相手しないで
気をつけてくださいね)
5000字になってしまったので、
さいごに、
印象に残った写真をはってとじます。
今日もお読みくださって
ありがとうございます。










