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“天才”はいない──『学びとは何か』読書感想文

「学び」とは何か。
それが単に情報を記憶することではないということは、いわゆる「詰め込み教育」に疑問が呈され始めた私が幼い時から言われている。
情報をたくさん手に入れたところで、それを現実世界に紐づけられなければ何の意味もない。

学びの成功者としての分かりやすい例として、世の中で「天才」と呼ばれる人がいる。
この人たちは、文字通り天賦の才能をもって生まれた選ばれし人なのか。それとも後天的な何かが関与しているのか?
もし後者なら、どのような姿を目指し、どのように学ぶのが「良い学び」なのか。

※今回の内容は私感少なめ。わりと本の内容の要約に近いです。


「記憶力」は天賦の才能?

情報は、取り入れられた後に脳で瞬間的な記憶から、短期的な記憶へ、そして意味を与えて暗記したり何度も復習することによって長期的な記憶となる。
しかし新しい情報がどんどん入ってくると、長期記憶への移行が追いつかなくなり、そうするうちに短期の記憶貯蔵庫(バッファ)があふれてしまい、情報が流れ去ってしまうのだという。

瞬時に膨大な量の情報を覚えられる才能(脳)を持っている人間はいる。
しかし、人間社会の生活においての記憶の本来の意義とは、その情報をどう活用していくのかというところである。
「記憶力が優れている」と世間一般から賞賛を受ける人たちはどこが常人より秀でているのか。

プロ棋士が実験で見せた驚異の記憶力とは、棋譜の膨大なデータベースから目の前の局面を一瞬にして見つけることのできる能力なのである。

1章 記憶と知識(p.13)

それは、既に頭の中にある情報と目の前の情報を関連づける能力を利用していることだという。つまり、「訓練によって、入ってくる情報をあとから想起しやすい形で記憶できる技」を獲得しているのだと。
この能力の獲得には、「既に頭の中にある情報」の量を増やす努力が必須であることがわかる。他者から記憶力に優れていると賞賛される能力を手に入れるためには、いずれにしても長い時間を費やす事が必要になるということだ。


生きた知識を得るとは、学び方を学ぶこと

どうせ時間をかけて学ぶなら、学んで定着した記憶を「生きた知識」にしたいところだ。
生きた知識とは何か。言語心理学を専門の一つとする著者は、母語の獲得を一つの例として解説する。

その言語の全体系を理解していない子どもが言語を獲得するにあたっては、まずはその言語に必要な音素(最低要素)を区別するところから始まる。
その次に起こるのが「必要ない音素を切り捨てること」だという。

なぜ、捨てるのか。私たちがある状況で何かを判断したり、問題を解決しようとするとき、外界には情報は無限にある。しかし、私たちは無限に情報があるとは思わない。無意識のうちに、無限の情報(外界に存在するモノや出来事、音など)の中から取捨選択を行い、いま処理するべき情報だけを自分の中に取り込んでいるからである。

第2章 知識のシステムを創る(p.44)

先述の記憶力と同様に、無限でない脳の容量を適正に活用するために、人間は捨てるという合理的なプロセスを自然に選択している。

言語を聞き分けることで「単語」を取得し始めた子どもは、今度はその「意味」を判断していくというフェーズに入る。
そこに大きく関与するのが「スキーマ(※)」と呼ばれる概念だ。

※経験や学習を通じて獲得する、限られた情報から外界を理解するための枠組み

母語の獲得において、一つの単語に一つの意味を適応させて覚えていくという悠長なことでは、日常的に活用する言語の習得はとても追いつかないことは私にも直感的に理解できる。子どもは言語を分析し、パターンを発見し、スキーマをつくることで、言語獲得のスピードを爆発的に加速させていくのだという。
そしてこれは他の知識獲得にも応用できる。
子どもは母語の学習を通じて、学び方を学んでいるということだ。


スキーマの難点

学びには欠かせないスキーマだが、一方でこれは誤った思い込み知識──いわゆる確証バイアス──を作ってしまう温床にもなる。

新しいことを学習するときに、人は必ず、すでに持っている知識を使う。自分がそのような知識を持っているということに気づかずに無意識に使っている場合も多い。多くの「スキーマ」はそのような知識だ。
〈中略〉
人は、大人も子どもも、スキーマに導かれて今起こっている出来事、あるいは学習すべき文章や映像などの行間を自分で埋めて理解する。人は理解できない情報を生のまま記憶に取り込むことは非常に苦手だ。したがって、スキーマに関連して容易に理解された情報のみが記憶され、スキーマに合わない情報は記憶されることがあまりない。スキーマは情報の取捨選択も行う。
スキーマに合った情報は注意しやすく、記憶されやすい。スキーマに合わない情報には注意が向けられず、したがって記憶もされない。
スキーマが誤ったものであると、何が起こるか。問題解決に必要な情報に目が行かず、関係ない情報にばかり注目してしまう。スキーマに合うように情報(あるいは学習するべきテキストの内容)を理解してしまい、それを記憶してしまう。その結果、誤った思い込み知識(誤認識)は、修正されるどころか、強化されてしまう。そういうことが繰り返されるので、誤ったスキーマの修正は難しいのである。

第3章 乗り越えなければいけない壁(p.90)

かといって、人間がすべて最初から科学的に正しいスキーマを手に入れることができるかというとそれはできない。私たちは学習において必ず「誤ったスキーマを乗り越え、新しいスキーマを作り直す過程」を踏むことになる。

人が科学や外国語を学び、熟達していく上で大事なことは、誤ったスキーマをつくらないことではなく、誤った知識を修正し、それとともにスキーマを修正していくことだ。

第3章 乗り越えなければいけない壁(p.93)

なぜこのようなあえて間違いを犯す危険のあるプロセスを踏むのか。
それは、知識を獲得しやすい「システムの枠組み」を迅速につくるためだという。新しい情報が入ってきた際に、一対一で対応させて処理するより、ざっくりとはしていても一定のシステムに照らし合わせて関連付けて処理する方が物事の把握は格段に進むからだ。
母語を獲得できない人間はいない。ということは、人間には誰しもその能力が自然に備わっているらしい。

「思い込み」に導かれた思考のしかたは、誤った思い込みを生む危険性もある。それでもなお、そのような思考のしかたで素早く知識システムを立ち上げようとするのは、誤りは後から修正すればよいことも子どもは知っているからだ。
効率よい学びは確かに大事だ。しかし、それはシステムの枠組みを素早く立ち上げ、後でゆっくり修正するという学びの過程の一部でしかない。効率よい学び自体が、熟達者のすぐれたパフォーマンスを可能にするわけではないのである。

第6章 「生きた知識」を生む知識観(p.157)


すべての個性は天才になり得る

人間はそれぞれに異なる遺伝的形質を持っている。そのために、得意苦手といった適正が存在する。それを伸ばし補う環境があることがその人の個性の特徴を生かし、人にはできない能力を発揮することにつながる。
どんな個性を持つ誰もが天才になり得る可能性を持つということだ。

だから、著者はこの本の中で天才を「超一流の熟達者(達人)」という。
いわく、

長年の努力と研鑽の結果である広く深い知識、そこから生まれる直観、その分野で広く信じられていた常識にも自分の直観にも支配されない思考の柔軟性。そして直観を修正し、データに基づいて論理を積み重ねて熟慮する批判的思考力。何年にもわたってこつこつと続ける粘り強さ。そのすべてを満たすことが、科学にも、その他の分野でも、創造的であるために必要不可欠なのだ。

第7章 超一流の達人になる(p.196)

つまり天才とは、天賦の才を与えられたものという定義ではなく、超一流の熟達者であり、「自ら新しい道を開く人=探求人」なのだと。


「良い学び」とは何か

良い学びにつながる姿勢とは、
学ばせる人も学ぶ人も「探求人になること」。
(探求人とは何か、については本書をお読みください)

本書の中に最後に引かれる言葉がある。

私たち人間は、楽な方に進みがちです。変化するのはいつだって難しいもの。だから、日々の生き方、考え方から変えていけたらと思っています。ほんの3〜5%の小さな意識の変化。それが大きな違いを生むのです。

ラグビー日本代表ヘッドコーチ[2011-2015年,2024年-] エディ・ジョーンズの言葉(p.224)

小さなことを、自律的に積み重ねる。
当たり前のことを、疎かにしない。
回り道でも、効率的でなくても、都度よく考え、諦めず。
終わりなく、ずっと。

そういう姿勢が、良い学びにつながるのだ。

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