真っ当に生きる人間のリアルな欲望──『ハンチバック』読書感想文
人の介助を必要とせず生きられるいわゆる"健常者"という存在へ。
「あなたたちは生きるってどういうことか、本当に知っているの?」
世の中に溢れる性的コンテンツに対して。
「あなたたちの見て楽しんでいるものは何か、本当に知ってるの?」
随所にめちゃくちゃ皮肉が効いていて、痛烈だった。
書籍データ
主人公「釈華」という人物
本書の主人公の釈華は、ミオチュブラーミオパチーという先天性の難病により、人の介助を必要とする生活を送っている。両親の遺した遺産で経済的には困窮することは決してないが、日々の行動に細心の注意を払わないと、それが命に直結する危機につながる可能性を秘めた生活。
日々の生活に制限と不自由を強いられる彼女は、オンライン上でいくつかの顔を持つ。
エロサイトのコンテンツ執筆者
SNSの零細アカ主
この本の冒頭は、彼女の書くエロコンテンツのくだりで始まる。
私たちは、彼女の仄暗く、大っぴらにできない内面から入っていく。
赤裸々な描写から、私たちは主人公の釈華に対し「普通じゃない人」「大人になりきれない人」という印象を抱く。
でも違う。
釈華の表側の行動を見てみると、彼女は常に人当たりよく、両親が残した施設のヘルパーや利用者に細やかな気遣いをし、外部の人間とそれぞれの関係性に応じた距離感・筋の通った会話で交流する。
彼女の"外面"はどこからどう見ても完璧な良識のある成熟した大人だ。
絶対に交わらない心
そんな釈華は常日頃からSNSアカウントで「高級娼婦になりたい」「妊娠と中絶がしてみたい」と欲望なのか夢なのか妄想なのかわからない言葉を呟いていたが、ある時施設で働く男性ヘルパーの田中がそれを釈華のアカウントであると特定する。
釈華の「妊娠と中絶がしてみたい」という欲求については、
他者が当然のように手に入れられるものを同様に手に入れたいということなのか、
人間としての一人前として認められるための経験として欲しいのか、
人間としての生や性というものをダイレクトに感じたいという欲望なのか。
その深いところは読者には想像するしかないが、
釈華は田中に対し、お金とセックスという行為の交換を持ちかける。
この小説において、
釈華にとって田中は自分にとってメリットのある道具であり、
田中にとって釈華もまた自分にとってメリットのある道具である。
互いにその実態や人間性にある種の嫌悪感を抱きつつ、
互いの欲を満たすために近づく二人。
男と女。
障がい者と健常者。
資産を持つものと持たざる者。
何を持っているか、持っていないか。
二人の間にはきれいごとや正論では到底説明しきれないクレバスが存在していて、その大きな亀裂が、いっそ清々しいほどに二人の心が全く交差しない状況を生む。
釈華の行動の由来
釈華の行動を見ていると、いずれにせよ「人間と繋がっていたい」という思いが根底にあるように感じられる。
だって、
十分な資産があるのに、コタツ記事の執筆で稼ぐのはなぜ?
それを寄付するのはなぜ?
通信大学に通うのはなぜ?
食事をとるのに自室でなく食堂までわざわざ降りていくのはなぜ?
彼女は人の築く社会の中にいたいと強く思っている。
それは人間としての正しい欲だ。
「妊娠してみたい」も「中絶がしてみたい」も、人間としての「生きる証を刻む」という欲を満たすこと。
(「妊娠と中絶がしてみたい」という言葉には彼女の心の中の真実と虚構が入り混じっている気がする。実行に移せば真実になるし、実行に移さなければ虚構であり続ける。そういう言葉なのだろうと思う)
それをわがままだといえるんだろうか?
私たちはみんな、自分の欲を満たすために生きてるのに。
事実、SNSはそんな感情や気分の巣窟で、そんな言葉で毎日溢れかえってるのに。
真っ当に生きている人間の裏に潜むリアルな欲望を、この本は暴いている。
釈華は自身の発言の意味と価値を理解し、発信する最適な場を弁える聡明な人だ。発言者の立場によって、発する言葉が世間にどう解釈されるかも知り尽くしている。
きっと作者の市川さんも同じような考え方をする人だと思う。
そういう人がこの本を書いた。
私たちはエロコンテンツから始まる挑発的な冒頭で良くも悪くもグッとこの本に引き込まれる。
そして、釈華という人間を通して、自分に潜む欲望、偏見、嫉妬、蔑み、妬み、羨望──さまざまな負の感情に向き合わされ、思い知らされる。
とても戦略的。
市川さんだから書ける小説。
唯一無二というのは、こういうことなんだろうな。

