メンツが豪華すぎる──『知の逆転』読書感想文
インタビュイーの豪華すぎる面々!!
贅沢な本だなあと思い、手に取りました。
このインタビューは、「この人たちに会うまでは⋯⋯」という、ある情熱のようなものから生まれました。
知の巨人たちに直接対面した著者のあとがきには、各人物評が音楽に喩えられて下記のように書かれています。
ダイアモンドは静謐にして鋭い室内楽、チョムスキーは鮮明にして華やかなオペラ序曲、サックスはカラフルで心地よいジャズ、ミンスキーは一つのテーマにクールに焦点をたソナタ、レイトンはドキするほど生きのいいロック、そしてワトソンはサイエンスを基にしたコンチェルト、といった感じでしょうか。
なるほどー。
著作を読んだことのあるダイアモンド、サックス、ミンスキーは「なんとなくわかるかも〜」と思ったので、そうなのかもしれないですね。文章には何かしら人格が滲み出るものがあると思うので。
インタビューは各人物の思想・考え方の特徴が出ていて、興味深く読みました。
読んだ感じ、現代社会を代表する知識人と呼ばれるには、もちろん思考の柔軟性が必須なのでしょうが、それよりも信条というか……一種の頑固さ(いい意味でも悪い意味でも)も持ち合わせているなあと思った次第です。
著作も併せて読むとより良いと思うので、チョムスキー、レイトン、ワトソンはこれから挑戦してみたいなと思います。
こちらの記事では各人のインタビューの中から私が特に気になった部分を備忘録的に(全員ではなく、下記の4人です)。
ジャレド・ダイアモンド
説明の根拠にできるのは「実証できること」。その点において、ダイアモンドに宗教への期待は一切ない。
──私たちの脳が常に自分たちを取り巻く世界の説明を求めているので、科学がまだ説明できない部分を何か別の説明で埋め合わせて満足しようとする。そこで宗教が登場するということなのではないですか。
ダイアモンド:説明ということで言えば、宗教が説明できることは何もありません。全ては、既に科学で説明できているか、これから科学で説明できるものかのいずれかになります。科学というのは、世界を理解し説明するうえで現在最上の方法です。宗教は説明するための材料と方法を何も提供できません。むしろ意味や価値を提供するために存在するのですが、はたして十分な意味や価値を提供できるのかどうかについては疑問が残ります。
これに続く「人生の意味」への問いも、(少なくとも彼自身にとって)人生は物質として存在するものであり、意味というものは持ち合わせていないという回答。すごく気持ちの良い言い切り。
ノーム・チョムスキー
背景や文脈をよく把握し、どんな心証にも左右されず、状況をありのままに見るということがどれほど難しいか。
(オバマ大統領に言及して)
──しかし、彼が大統領として立っているだけでどれほど多くの人にシンボリックな意味で勇気を与えたかわかりませんし、予備選挙の最中に、あるインタビューで、もし自分がアタックされた場合は、素早く、強く、正直に、真実のみを語ることによって反撃する、なぜなら真実というものには人々が考える以上の強い力があるからだ、と答えていました。おそらく真実を言うということにわずかでも興味を示した最初の大統領候補ではないかとそのとき思ったのですが。
チョムスキー :もしあなたがジョージ・ブッシュをインタビューして、真実についてどう考えるか聞いたなら、おそらく真実は素晴らしいもので、何よりも強く、自分は真実というものに挺身するつもりだと言うでしょう。ひょっとヒットラーも同じように言うかもしれません。政治的な指導者というのはそういうふうに言うものです。だから良識ある人々は、自己防衛のためにそういう発言にあまり注意を払わないのです。
話は「歴史上、侵略者がなんらかの人道的な活動に従事していなかったためしはほとんどありません」と続く。
SNSをはじめオンライン上……どころかたまに出版物にすら見られるあおりコンテンツのたぐい。食いつきやすい面を誇張した偏ったコンテクスト。それを売り物にする発信者がいる。そして、それを鵜呑みにしてしまう受け手がいる。
物事の一面のみを取り上げたり、一方からの視点でしか物事を見なかった時、私たちは往々にして判断を誤ることがある。
マービン・ミンスキー
東日本大震災の時に、なぜ、原発処理にロボットを利用できなかったのか。ロボット工学の研究のあり方に対する感想に共感する。
ミンスキー:ホンダをはじめとするいろいろな会社が、見栄えがいいロボットを作ってきたわけですが、そういうのは笑ったり動いたりするだけで、実際には何もできない。既に三十年を浪費しているにもかかわらず、いまだに研究方針に変化の兆しも見えない状態です。本当に残念です。
──たしかに現在ロボット研究者は、見かけ上も人間にそっくりなロボットを作ることにやっきになっているようですね。
ミンスキー:そうです。でもそっくりといっても、コンピュータ・グラフィックスのレベルには及ばないわけで、なぜ、ドアを開けるというような、もっと現実的な問題解決型のロボットを作ろうとしないのか、全く理解に苦しみます。原子力発電所の問題解決には、どれも何の役にも立たないわけですから。
AIやロボットに求めていることがずれている。この指摘は、その流れを看過し、時には(愛玩ロボットやチャットGPTの出現を)熱狂して受け入れる“受け取る側”の私たちにも反省を促すようなところがあると思う。
AIに関しては、ミンスキーは今のようにデータベースからの統計・分析結果の算出だけでは意味がなく、関係性を理解し・より複雑な思考を行い・新しいアイディアを出すような、本当の「知能」をもった方向性に期待を寄せていることがわかる。
正直、私は統計・分析結果の算出までで十分だと思っているクチなのだけど。複雑な思考を可能とするAIに私たちは何のアウトプットを期待するのだろう? 人類を導く新宗教の教義か?
ジェームズ・ワトソン
生物学の最も重要なテーマの一つに「発生生物学(特に脳の発達と機能の解明)」を挙げるワトソン。
集団ではなく、個人。協調より競争。研究が結果を出せる“組織””環境””研究者のスタンス”への言及が本人の経験値に基づいているようで、熱い。
大スケールのサイエンスが幅を利かせつつあることを懸念しています。大スケール・サイエンスもやる必要はありますが、一通り仕事が終わったら、組織を解体すべきなんですね。
[中略]
でも、なかなか研究所や会社、機関などのインスティチューションを潰したりはしないんですね。優れたリーダーだったら、過去を止めることができる。でも現在われわれはどうやって過去を止めたらいいかわからないから、将来に向かって進んでいくための唯一の方法は、大きくすることだと思ってしまう。インスティチューションはある程度以上の大きさになると、「個人」は死んでしまいます。大きくなりすぎると、そこでお金や権力を管理している人たちが、そこで働いている若い人たちのことを全く知らなくなってしまう。
──優れた科学者はエンジニアというよりアーティストにより近いように思われますが―。
ワトソン:そうですね。エンジニアの仕事にはフォーミュラ(一定のやり方)というものがあって、一般的にはそれに従って橋を作れば橋は落ちない。ときおり従来とは大きく異なる橋を作って、それが落ちることもあるでしょうが、橋というものは落ちてはいけないから、作るときになるべく失敗しないような方法を選択するわけです。でもサイエンスでは個人の失敗はたいして問題にならないから、もっと大胆に仕事をすることになる。
政治、経済、脳科学、環境問題、教育、インターネット(集合知)など、現代が抱える課題に対する専門家としての意見も興味深いですが、会話形式のインタビューならではの個人的な経験に根ざした生っぽい(それなりに偏った)意見が垣間見えるシーンも結構面白いなと思いました。
