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キム・ジヨンは現代女性の具現──『82年生まれ、キム・ジヨン』読書感想文

書籍データ

感想

本書の主人公キム・ジヨン、1982年生まれ、韓国人。
ごくありふれた中流家庭に育ち、高校まで公立学校でスタンダードな教育を受け、大学まで卒業し、新卒で就職。既婚、子持ち。第一子誕生時に、苦渋の決断で主婦に。

私、1984年生まれ、日本人。
ごくありふれた中流家庭に育ち、高校まで公立学校でスタンダードな教育を受け、大学まで卒業し、新卒で就職。既婚、子持ち。仕事は息も絶え絶えになんとか継続中。

生まれ育った国は違うし、文化も違うし、取り巻く環境だって多少の差異はもちろんある。
けれど本書に書かれるキム・ジヨンという女性は、アジアで今の時代を生きる「私たち一般女性」をまとめてこねて具現化した人物のようで、共感せざるを得ない部分が多くあった。

儒教の考え方をベースにした、徹底して年長者を重んじ、家長をたて、家を継ぐ男子を重んじる男性優位の社会が長きに渡り続いてきた韓国。

そんな韓国において、女性の立場や権利は近年随分向上していると言われる。けれど過渡期という時期には、往々にして「前の時代より恵まれているんだから」という特有の呪いの言葉があると思う。

以下に私が本書を読んで特に心に残ったエピソードを抜粋してみる。
さて、このような現代の韓国人女性たちをどうみるべきか?
彼女たちに「それでも前の時代よりは恵まれているでしょう」と言えるのだろうか?

炊き上がったばかりの温かいごはんが父、弟、祖母の順に配膳されるのは当たり前で、形がちゃんとしている豆腐や餃子などは弟の口に入り、姉とキム・ジヨン氏はかけらや形の崩れたものを食べるのが当然だった。箸、靴下、下着の上下、学校のかばんや上履き入れも、弟のものはみんなちゃんと組になっていたり、デザインがそろっていたが、姉とキム・ジヨン氏のはばらばらなのもふつうのことだった。 〜中略〜 実際のところ幼いキム・ジヨン氏は、弟が特別扱いされているとか、うらやましいと思ったことはなかった。だって、初めからそうだったから。

(1982年〜1994年)

ジヨン氏姉妹は一度も、良い男性に出会って嫁に行けとか、良い母親になれとか、料理が上手でなければならないとか言われたことはなかった。 〜中略〜 そのころになると、女だから勉強ができなくてもいいとか、学歴がなくてもいいと考える親はいなかったようだ。男も女もかばんをしょって学校に行くのが普通になって久しく、女の子も男の子と同じように適正について悩み、社会人としての未来を計画し、それに近づくための努力をし、競走していた。むしろ女だからといってできないことはないと言う社会からの支持や応援の声が高まっていた時期である。 〜中略〜 だが、決定的な瞬間になると「女」というレッテルがさっと飛び出してきて、視線をさえぎり、伸ばした手をひっつかんで進行方向を変えさせてしまう。それで女子はなおさら混乱し、うろたえる。

(1996年〜2000年)

(ジヨンの会社の上司)キム・ウンシル課長は、女はだめだなと言われないように、会食の席でも最後まで残り、残業や出張も自分から買って出て、出産後も1ヶ月で復帰した。初めはそれが誇りだったが、女性の同僚や後輩が会社を辞めるたびに心中複雑で、最近では申し訳ないと思っているそうだ。 〜中略〜 管理職になったときにはまず、不要な食事会やレクリエーション、ワークショップなどの行事をなくし、男女問わず出産休暇と育児休暇を保障した。 〜中略〜 残業と土日出勤までは、課長にもどうすることもできなかったのだ。月給のほとんどをベビーシッター代につぎこみ、いつもいっぱいいっぱいで、あの人この人に子どもを預け、夫とメールや電話でけんかし、あげくのはてに週末には子どもをおんぶして出社していた後輩は結局、会社を辞めた。ごめんなさいと謝る後輩に、課長はかける言葉がなかった。

(2001〜2011年)

(結婚して子供を持つことについて夫と語っていた)キム・ジヨン氏は自分が感じていること、つまり出産後も仕事を続けられるかという不安や、子どもが生まれる前から預け先を考えることへの罪悪感について、夫に一生懸命に説明した。 〜中略〜
「それで、あなたが失うものは何なの?」
「え?」
「失うもののことばかり考えるなって言うけど、私は今の若さも、健康も、職場や同僚や友だちっていう社会的ネットワークも、今までも計画も、未来も、全部失うかもしれないんだよ。だから失うもののことばっかり考えちゃうんだよ。だけど、あなたは何を失うの?」

(2012〜2015年)

「お母さんが私たちを育てているときはどうだった? 大変じゃなかった? 後悔しなかった? お母さんも偉大だったと思う?」
「何言ってんの、それどころじゃなかったよ。 〜中略〜 やらなきゃいけないことだらけなのに、眠いし、体の具合は悪くなるしで、地獄みたいだった」
なのに母はどうして、辛いと言わなかったのだろう。 〜中略〜 
誰も正確な情報をくれなかった。テレビや映画には器量が良くて愛らしい子どもしか出てこないし、母は美しい、母は偉大だとくり返すばかり。もちろん、キム・ジヨン氏は責任感を持って、可能な限りちゃんと子どもを育てていくだろう。たが、感心だとか偉大だとか言われるのはほんとに嫌だった。そんなことを言われると、大変だってことさえ言っちゃいけないような気がするから。

(2012〜2015年)

読み進めていると、やるせなかったり、いたたまれなかったり、ああ、本当にそうだよなと思ったり。

別に、この本に出てくる名もなき男性たちも、悪人ではないのだ。
むしろ世間的には子どもを思ういい父親であり、妻を愛する夫であり、普通に生きている人たち。
そのような悪意のない男性たちと共存する社会において、
強かに、自分を見失わず、かつ女性として社会的に求められる責務を努められるよう、密やかに慎重に進路を選ぶ女性たち。それでもなおぶち当たる壁。
自分のことを後回しにして父を支え、兄弟を支え、夫を支えても影の功労者としての評価は人生において明るみに出ることはない。

釈然としないものを抱えながら、それを飲み下すように夫のために子供のために自分の望みを後回しにする女性は、韓国にまだまだたくさん存在する。

そして、男女間の格差についてはその韓国より今や下位にいる日本。

そんな日本で育った、キム・ジヨンと同世代の私自身は(無意識に受け入れている部分を除けば)、子ども時代に女だからと何かに制限を加えられたという記憶はなくて、成人して働きはじめてからも職場でそういう扱いを受けたことはない。

恵まれていると思う。

それでも母親になってからは、
「私はお母さんだから……」という自分への言い聞かせが格段に増えた。

私はお母さんだから、
夫と子どもに毎日ご飯を食べさせなければならない。
毎日栄養や家計に気を遣ってご飯を作っても、私がいない日は当然のようにテイクアウトや外食で済まされるのに。

私が仕事や予定のある休日は、夫が子どもたちの面倒を見る。
「いいだんなさんね」「いいパパね」と必ず言われる。
私が同じことをしたら、当然だと言わんばかりにスルーされるのに。

子どもが風邪を引いたら仕事は私が休まなきゃいけない。
たとえ仕事で徹夜した日も、夫ではなく私が朝ごはんを作って、保育園に子供を送らなければならない。
夫は何も言わずにいつも通り家を出ていくのに。

働いていようがいまいが関係なく学校のPTAは当然のように母親がやることになっているし、近所のネットワークを作るのも苦手だろうがお構いなくママの役割。
夫が転勤になれば当然のように子どもたちは全員母親の元に残る。


一方で、別に子どもがお荷物と思っているわけではなくて、本当に愛おしいし、そばにいてくれて嬉しいし、本当はもっと子どもに時間をかけてやりたいという気持ちもある。

夫のことも、今まで出会った中で一番性格や相性が良い人間だと思うし、大切にしたいと思うし、一生一緒にいたいと思う。
私にとって、一時期の多忙さや気の迷いで壊して良い関係ではない。

子育てもやりたい。
夫との時間も大切にしたい。
仕事もやりたい。
十分に他者と交流したいし、
一人の人間として、自分の好きなことにも時間を使いたい。

全部を求めるのはただのわがままで、
全部求めるなら女性は「全部で決めたんだから全部自分でこなす」という神業を毎日毎日続けなければいけなくて、
それがどう考えても人間の成せるワザではないとわかっていつつ全部求めるのは……

「女」として、贅沢なんだろうか。
「男」だったらどうなんだろう?

世の中の女性が、男性が羨ましいと思うのと同じように、
世の中の男性は、女性が羨ましいと思っているのだろうか?

ジェンダーをフラットな視点で考えるのはとても難しい。

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