必ず通らなければならない通過点──『パッセージ[1]』読書感想文
1974年のアメリカ。ウーマン・リブ運動が起こったものの、まだまだ社会に浸透し切っていない時代に女性ジャーナリストによって書かれた著作。
1章を読んだ時点で「これは良本の予感!」と感じた通り、人生において10代、20代、30代をそれぞれ悩みながら過ごしてきた30代後半の私にとっては身に染みる言葉が本当に多く、良い出会いだったと思う。
パッセージ[2]と上下巻で、2巻の方はどうやら30-40代のことが書いてあるらしく、これはぜひとも読まなければ。
今回取り上げる1巻は、インタビューをもとに、時に心理学的な見地を引きながら主に20代の男女の心理的葛藤を描いている。
今から50年前──20代は、早々に結婚して女性は男性を支えることを求められ(むしろ自分の置かれる環境から逃げ出すために女性が積極的に結婚を利用する場合も多い)、男性は仕事にひたすら邁進することを求められるという前提に立っているので、現代に当てはめるのは無理がある部分ももちろんある。
けれど、人生を生きる上でのパッセージ(※)が、50年前と現在とで大きな差異があるとはあまり思えなかったと言うのが、本書を読み終えた私の感想だ。
※Passage:本書では「通らなければいけない通過点」のような意味合いかと理解。
20代〜30代とはどのような時期か
インタビュー対象者は多岐に渡り、皆が同じ考えのもとに同じ行動をとるわけではもちろんない。ただし、さまざまな聞き取りの中で著者は下記のような傾向をその中に見出しているように見える。
成人の人生でなすべき作業はやさしくない。幼年期と同様、各段階は成長に伴う新しい課題を意味するだけでなく、前には有効でうまく使えたテクニックを捨てることも意味する。パッセージごとに、何かの魔法はあきらめなければならず、安全性に関して大事にしてきた幻想と、自分にとって居心地よく、なじんだ「自分はこれだ」という感覚は、投げ捨てねばならない。しかし、それは自分自身の主体性、他のものとは区別される存在をより大きく進展させるために必要なことなのである。
二十代のいろいろの側面の中で、当人にとって一番恐ろしいのは、自分がいったん選択したものは絶対に変えることは出来ない、と心の中で信じていることだ。これは大部分が誤った恐怖である。変えることは充分可能だし、それどころか、当初の選択を幾分か変更するのは多分避けられないだろう。
三十代の半ば、私たちは岐路にさしかかる。折り返し点に達したのだ。人生の最盛期に近づいているにもかかわらず、その道の果てに何があるかを見始めるのである。 〜中略〜 この自分の真正さに関する危機を克服するためには、私たちは自分の目的を再検討し、自分たちの所有している資源を「これから、いかに使うべきか」について再評価しなければならない。
〜中略〜 私たちがこれまで何をしてきたにせよ、今までは内部に抑圧されてきたいろいろな部分があり、それらは今や新たな表現方法を求めている。良い感情とともに、「悪い」感情も承認されることが必要なのだ。 〜中略〜 自身の安全の源になっているのは自分だから、他の人たちから許可を求める必要は、もはやない。自分自身に許可を与えることを学ばなければならないのである。
「ホンモノの自分」がすべての善を有しているという考えは、ロマンチックな幻想である。どんなに優れた親たちでも、私たちを安全、精神の安定、受容、コントロール、嫉妬や競争意識などの悩みと闘わなくてもよいようには保護してくれなかった。 〜中略〜 (他者視点からは俯瞰して見ることができても)それぞれのステップを一段ずつ踏んでいる一人の人間は、自分がどの時期にいようとも、そこで必要とされる発達の課題に熱中している。そして私たちの中にある部分は、自分が一個の人間でありたいという自由を求めてはいるが、同時に他の部分は「自分の自由をゆだねたい誰か、または何か」を常に求めているのである。
「自分が守ってきた数年」が揺らぐ30歳の危機
積極的にしろ消極的にしろ「家庭」に入り家庭を守ることだけを是とされ、それを守ってきた女性は30歳を前に「自分を成長させたい」という内なる声に直面する。
20代すべてを自分の仕事の成長に投資した男性は、献身的な支援を続ける妻に物足りなさを感じ、一方で上記のように献身的な家族への支援という役割から脱却しようとする妻が自分を凌駕する存在になることを恐れる。
どちらが正しいわけではない。
しかし結果的にこの両者のすれ違う思いが、30前後で夫婦間に訪れる危機につながると著者は言う。
何度も言うがこの本はかなり旧時代的な話を含んでいる。
でも、どこかしら下記のような内容に共感するところはないだろうか。
相互にパッセージをフォローし合うバランス型夫婦のジェブとセレナ
ジェブの法学部大学院での学び、セレナの記者としての仕事。それぞれのキャリアを尊重するように、互いに「相手のために我慢する時期」を確保してきた二人。
下記の記述は、絶妙なバランスの中で20代を歩んできたジェブの本質をうまく言い当てている。
ジェブは「統合者」としてのパターンを切望している。彼は「自分の愛する女性へのコミットメント」と、「達成したい欲望」との間のバランスをとろうと努力しているのだ。 〜中略〜 彼は自分が仕事の虜になって、伴侶との間の親密さにヒビが入るのは好まない。しかし同時に、仕事の能力がないと判断され、ピラミッドの底辺に置いてきぼりにされるのも真っ平なのだ。
……共働きの夫婦なら、このジェブの姿勢、わかるんじゃないだろうか。私はめちゃくちゃわかる。
そうやって慎重に保っている均衡でさえ、30代に突入しライフステージがまた変化することによって新たな危機に晒される危険性を孕むことをこの章の末尾が仄めかしている。
社会的には尊敬の念を集めながらも家族のことを顧みない牧師を夫にもつミア
(夫について)彼は安全な距離をおいて、遠くからだけ自分の愛情を注ぐことができる人間の一人なのだ。 〜中略〜 この牧師は彼の一番身近にいる人たち、家族の苦痛や欲求に対し、何らの寛容さも持ち合わせてなかったのだ。彼は見ることも聞くことも出来なかった。自分の個人的な感情の周囲には鋼鉄製のファインダーがあった。
彼女は三人の子を抱えて、夫の仕事の都合で暮らすことになった外国の劣悪な住環境の中で、叫ぶ。
「どうして私に話しかけてくれないの。頼むから何か言ってちょうだい! 私すごくこわいの」
30代半ばで大企業の副社長の椅子を射止めた男性
(妻について)自分が持った野心を実現するために時間や情熱を注ぐこと、そのために事故帰省をすることが夫に嫉妬心を持たせたり、それによる報復を招く危険性があると察知すると、彼女はあわてて「自分はまだ未成熟で大人になり切っていない」という状態に退き、その中で安全でいようとする。そして夫も自分と一緒に引き戻そうとするのだ。 〜中略〜 夫は、これがワナであることを察し、かつては「安全」だったものが今は危険だと感じ、不満に思う。
その後、年を経て50代になった彼は「(妻が)彼の邪魔をしたり、鈍感で退屈になったりすることなく、しかも完全に支持的である女性を求めていたというのが本当なのだろうか?」という問いに対してこう答える。
「そうです。全くその通りだ」
さいごに
人生には通らなければならない岐路や危機が必ず訪れる。
その時に重要なのは「変化することをいとわない」ことだと第1巻は締められる。
本書に描かれるさまざまな人の葛藤が浮き彫りにされたエピソードは、はたから見ればいちいち「そうだよね、そういう状況だったらそういう風に考えてしまうよね」と納得するものの、いざ自分に置き換えてみるとまったく客観的な視点で見られないことにも気づく。
本書のインタビューからもたびたび感じるが、人間は自分が行っていることに対して一番疎い。
パッセージを乗り越えるためには、まずはそれを自覚しなければならないということか。
