二度と再現しないもの──『生物と無生物のあいだ』読書感想文
国内外で長年研究生活してきた生物学者である著者の研修観・人生観が書かれている。
文章がとても読みやすい。
「自分の考えを他者にわかりやすく伝えられること」と言葉にするとすごく凡庸で陳腐に聞こえるが、それを達成することのできる文章力というのは、なんらかの実績を大成させるにあたって、何をおいても必要な才能であることを感じさせる。
前半部分は、生物学の研究の変遷を追いながら、その時々のヒーロー(時にその当時は日の当たらない陰のヒーローになってしまった人も含む)に焦点が当てられる。
以前、この本を読んでおいてよかった。
究極の博打職
前半部分は研究職というもののシビアさに触れられる内容だ。
帰納法、演繹法、アブダクション、そして時に直感……研究には、研究者それぞれのスタイルがある。結果が全ての世界、どれが正解でどれが不正解というわけではないが、「研究」という世界はいずれにせよ血の滲むような努力がすなわち日の当たる場所への確かな道筋というわけではない。
その道のりは孤独で、ゴールどころか先行きさえ見通せず、所要時間もわからない。
むしろ直感は研究の現場では負に作用する。これはこうに違いない! という直感は、多くの場合、潜在的なバイアスや単純な図式化の産物であり、それは自然界の本来のあり方とは離れていたり異なったりしている。形質転換物質についていえば、それは単純な構造しか持ちえないDNAであるはずがなく、複雑なタンパク質に違いないという思考こそが、直感の悪しき産物であったのだ。
あくまでコンタミネーションの可能性を保留しつつも、DNAこそが遺伝子の物質的本体であることを示そうとしたエイブリーの確信は、直感やひらめきではなく、最後まで実験台のそばにあった彼のリアリティに基づくものであったのだ。そう私には思える。その意味で、研究とはきわめて個人的な営みといえるのである。
そして、日のあたる場所(とそこに近づく場所の確保)は文字通り奪い合いのシビアな世界だ。
私は後に、ニューヨークからボストンのハーバード大学医学部の研究室に移ったが、ここではこのシステムが徹底していた。研究スペースの割り当ては完全にグラントの額と比例していた。巨額のグラントをもつ研究者には潤沢な面積が、駆け出しの研究者には窓のない小部屋が与えられる。万一、グラントの更新に失敗すれば、つまりショバ代が滞れば、たちまち退去である。ハーバードに入りたい研究者は山のようにいるのだ。私が在籍していた数年の間にも激しい新陳代謝が繰り返された。ちょっと見かけないなと思ったら彼の実験室はがらんとした更地となり、まもなく新しい研究チームが意気揚々と乗り込んできた。
世間の注目を集める、資金が集まる、アカデミックな賞を受賞する。そんな確証が初めからある研究など、ないと思う。闇雲とまではいかなくても、自分が確証のもてるテーマを設定し、検証法を編み出し、ある程度の成果にまで繋げられる研究が、果たしてどのくらいあるのか。
そういう意味では、研究職とは究極の博打職のように感じた。
継続のモチベーションはどこからくるのか。
社会貢献欲、自己顕示欲か、本能的な使命感か。どうにも一般人には理解できない世界なのかもしれない。
研究のダークサイド
DNAの構造を紐解くという世紀の大発見をしたワトソン、クリック、ウィルキンス。この三名は「核酸の分子構造および生体における情報伝達に対するその意義の発見」で、1962年にノーベル生理学・医学賞を受賞している。
ワトソンの著書『二重らせん』やクリックの『熱き探究の日々』、ウィルキンスの『二重らせん 第三の男』は私がいずれ読んでみたい本の候補にも入っている。
そんな彼らの栄光のダークサイドともいえるロザリンド・フランクリンとの確執エピソードは、なかなか衝撃的だ。
フランクリンがコツコツと撮り溜めていたDNAのX線写真を“盗み見たこと”が、彼らの理論を決定づけるラストピースになったというのだから。
フランクリン自身は帰納法で「結論」に着実に近づいていた。
一方、ワトソンとクリックは演繹法のスタイルで、DNAが二重螺旋構造をしていることを嗅ぎつけていた。ただ、その証拠となるデータがなかった。
フランクリンのデータは、DNA構造解析にとって最高のソースとなった──だから「仲良く手を取り合ってゴールしましょうね」ということにはならないのが現実だ。
先述したように、ワトソン・クリック・ウィルキンスはノーベル賞を受賞し、それに先立ってフランクリンは生物学的大発見、甚大な成果に寄与したことも知らずに若くしてこの世を去ったそうだ。
よくある話だと言えばそうなのかもしれないが、研究という世界のシビアさを象徴するような印象的なエピソードだった。
What is Life?
本書にはシュレーディンガーの『What is Life?(邦訳:生命とは何か)』への言及もある。
物理学は今後、最も複雑で不可思議な現象の解明に向かうべきである。それは生命である。立論はそういう形式をとっていた。が、彼の真意はむしろ逆だった。生命現象は神秘ではない。生命現象はことごとく、そしてあますところなく物理と化学の言葉だけで説明しうるはずである。その高らかな宣言の書が"What is Life?"だった。その静かな熱に、若きワトソンが、クリックが、ウィルキンズが感応したのである。
生命は不思議さに溢れているように見えるが、実は物理化学の範疇にある──この言葉を聞けば、若く優秀な研究者たちはたしかに「解き明かしたい」と奮起するだろう。
その高揚感は、わかる。
シュレーディンガーは『生命とは何か』の中できわめて重要な二つの問いを立てていた。ひとつ目は、遺伝子の本体はおそらく非周期性結晶ではないか、と予言したことである。ふたつ目は、いささか奇妙に聞こえる問いかけだった。それは「なぜ原子はそんなに小さいのか?」というものだった。
ちなみに、私は『生命とは何か』を読んだ時、秩序は原子の数量から生まれるところまではなんとなく理解した。
で、その法則を作るには人の身体は「(奇跡的なほど)あまりに小さい」と理解していたのだが、本書では逆に、秩序を保つために人の身体は「(原子に比べ)この程度の大きさが必要だった」と解説されている。
もう一度、『生命とは何か』を読み返してみたいと思う。
いずれにせよ、シュレーディンガーの言説はこの時点では根拠もないただの仮説でしかなかった。では、そこから60年近く経って刊行された本書での「生命とは何か」の解答はなんなのか。
人よ、傲ることなかれ
著者はこの本を通して何が言いたかったのか。
最後のほうの章段には、著者が実際に行ってきた研究とその結果を通して得た、生命というものへの気づきが書かれる。
頭から三分の一を失った不完全なプリオンタンパク質、すなわち部分欠落をもつジグソーパズルは、マウスに致命的な異常をもたらしてしまった。
テレビの回路を構成する素子に関してこのような事態はありうるだろうか。そのピースを取り去ってもテレビはちゃんと映る。けれどもそのピースをすこしだけ壊すとテレビは映らなくなる。こんなことが起こりうるだろうか。普通はこの逆だ。ピースの損傷はそれが部分的であれば何とか画像は多少乱れつつも映るかもしれない。しかしピース全体が欠損してしまえばもはや画像は映らない。
ピースの部分的な欠落のほうがより破壊的なダメージをもたらす。むしろ最初からピース全体がないほうがましなのだ。このようなふるまいをするシステムとは一体どのようなものなのだろうか。
そうなのである。やはり、私たちには何か重大な錯誤と見落としがあったのだ。重大な錯誤とは、端的にいえば「生命とは何か」という基本的な問いかけに対する認識の浅はかさである。そして、見落としていたことは「時間」という言葉である。
生命とは、テレビのような機械ではない。このたとえ自体があまりにも大きな錯誤なメカニズムなのだ。
機械に例えること自体おかしい。根本的に生命とは、その他の事象の何物にもたとえられない、生命であるというところからスタートしなければならない。
そういう著者が生命を象徴するキーワードとして挙げるのが「時間」「一回性」だ。
時間軸のある一点で、作り出されるはずのピースが作り出されず、その結果、形の相補性が成立しなければ、折り紙はそこで折りたたまれるのを避け、すこしだけずらした線で折り目をつけて次の形を求めていく。そしてできたものは予定とは異なるものの、全体としてバランスを保った平衡状態をもたらす。もしある時点で、形の相補性が成立しないことに気づかずに、折りたたまれてしまった折り紙があるとすれば、その折り目のゆがみはやがて全体の形までをも不安定なものにしうる。
機械には時間がない。原理的にはどの部分からでも作ることができ、完成した後からでも部品を抜き取ったり、交換することができる。そこには二度とやり直すことのできない一回性というものがない。機械の内部には、折りたたまれて開くことのできない時間というものがない。
生物には時間がある。その内部には常に不可逆的な時間の流れがあり、その流れに沿って折りたたまれ、一度、折りたたんだら二度と解くことのできないものとして生物はある。生命とはどのようなものかと問われれば、そう答えることができる。
生物は二度と同じ状態には戻らない「時間」という概念を含むもの。
これが本書での解答だ。
一般向けだからか、この結論にはお茶を濁された感じがしなくもない。
でもその裏には、生物学という世界に生きてきた著者だからこその、生命に対する人為的介入に対する抵抗が見える気がした。
生命というものに対し、人間である自分たちの力でどうこうできると思ってはならない──という著者の主張が。
カバーアート:oumaさんの作品
