みんな疲れてるんだよ──『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』読書感想文
前回の読書感想文で取り上げた『スマホ脳』の説明が、この書籍のタイトルの問いに十分通じると思った。
2010年以降の課題のみにフォーカスすれば、「スマホの台頭」これがすべてではないかと思う。
スマホさえいじっていれば、自分を充足させるドーパミンを“楽に”出せるからだ。
人間の脳は生き延びるために省エネにできている。
目の前に知識の選択肢があれば、記憶しておかなくて良い知識の方に飛びつくし、理解の範囲外のものより範疇のもの、文字情報より視覚情報や聴覚情報、より脳を働かせなくて良い方法に飛びつくのが人間としての本能だから。(そこで得た知識が長期的・永続的なものでないことは『スマホ脳』を読めばよくわかる)
本能が求める快楽は、SNSや動画などのスマホのコンテンツで充足してしまう。私たちが本を読めなくなった理由の多くはここにあるとわたしは思っている。
一生懸命生きすぎ?
さて、最初から話が脱線しすぎたが、本書では「本を読めない理由」として、現代人の生活スタイルに焦点を当てている。
著者が主張するのは、“半身で生きる”ことだ。
現代の仕事は、行動に対してすぐの成果を求められる。もしくは求めてしまう。仕事の成果(誰に求められているのか実はよくわからない期待)に応えるには、全身でひとつのことにコミットしないと難しい。
実際は、そんなことできるはずないのに無理してる。その無理が、読書できないという状況に繋がっているのではないかと著者はいう。
「全身全霊」が称揚される世界。仕事に邁進することが良しとされ、趣味や余白を楽しむ暇がない。
だからノイズの除去された“情報”が求められ、一方でノイズのある“読書”は倦厭される。
ここでのノイズとは「一見、今の自分に直接関係のない知識」であり、偶発性の強いものを指す。現代社会を生きるにはそんな余計なものには、見向きしている暇はない。
でもあえて、そこに目を向けるべきなのではないか。それが本書の主張だ。
当然のように求めれれる長時間労働もそうだし、そうでなくても私たちは「やらなければならない」強制的・自発的にその状況をつくっていることすらあるという。
自分を捨てて身を捧げる。
その状況に浸っていると、麻痺したり、気持ちよく感じることすらある。
わかるわかる。
そうすると、自分の余暇であっても脳を極力動かさないで気持ち良くなる方法ばかり選択してしまう。
仕事と子育てで消耗しきって、クタクタで、夜はソシャゲしかできなかった頃を思い出す。
無理は続かない。結果、疲れる、バーンアウトする、鬱になる。
自分の人生なのに、わたしたちは一体何をしているんだろうか??
そして、自分だけでなく、当然のように他者にもその生き方を強制していないだろうか?
ノイズを楽しむ生活を手に入れるためには?
一方で、本書の主張は「半身で働ける選択肢がある人だからこその意見だよね」と思うところもある。
生きる金を稼ぐ術が、仕事(本職)以外にない人もたくさんいる。むしろその方が一般的だ。
選択肢がないということは、それを行わざるを得ないということだ。
私たちの体はひとつしかないので、たくさんお金を稼ぐには効率化か、希少価値のある仕事をするしかないのだが。
実際のところ、後者で稼げるのはほんの一握り。効率化は、適度にはすばらしいが、行きすぎるとこれまた精神を枯らしたり、疲労やバーンアウトにつながる。
本職以外に稼ぐ術のない一般人は、この社会をどう生きればいいのか。
やはり長期的目線が大事なのかな、と私は思う。
私たち現代人はせっかちだ。取り組んだらすぐに成果が欲しい。
「半身で生きる」人生や社会の実現がすぐに来ると期待してしまう。
でも、生き方って、全身全霊か半身しかないわけじゃなく、ぜんぶグラデーションだ。半身で生きる人生をビジョンに掲げるなら、100にいきつくまで、0.1の進度もあれば、10の時もあり、またマイナスな時もあると考えるべきなのだと思う。
そしてそれを達成するまでには、少なくとも10年単位の時間がかかる。
私なんてバカだから、20代・30代と本当にバカみたいに愚直に仕事をやって、最近ようやく仕事の仕方がほんの少しわかってきて、ほんの少し余裕ができた気がする。
人より優れたところなんてないけど、自分が比較的うまくできることで、人がめんどくさがったり嫌がることを率先して迅速に行うことが自分を生かす場所をつくることだということもわかったし、それを継続するためには多少本も読めないような期間──100%仕事にコミットしなければならない期間も時折必要なこともわかった。
(それでもなお、これでいいと確信を得たことはないのだけれど)
本書の191ページにも言及がある通り、2000年代初頭、やりがいとか自分らしさを仕事に求める時代もあった。
しかし自己実現とは、ある程度の努力と、時間と、幸運と機が熟した結果として手に入るものとして考えておくべきであり、はなから仕事に求めるものではないのではないか。
「好きなことより得意なことを仕事にした方が良い」と言っていたのは、林修さんだっただろうか。
自分が必要だと他者が言ってくれるもしくは自分が確信できる場所で、自分の力を発揮できる。その場所を確保できてはじめて、人は新しいことに挑戦する気力が得られると思う。
そうしたら、本来読書の好きな人が読書できる生活を取り戻せるだろう。
人と会うことが好きな人が人と話し、笑える生活ができるし、
運動が好きな人が、気持ちよく運動する生活ができるし、
きっとみんなよく食べてよく眠ることができるようになるだろう。
地に足のついたリアルな生活の中に、自分のありたい人生のビジョンを掲げ、それに向かって無理ないペースで着実に努力を重ねることが、「本を読める生き方」──つまり、心から充足する豊かな生活には何よりも必要なのではないだろうか。
みんなが半身で働ける時代の到来を想像しつつ、そんなことを考えた。
カバーアート:UnsplashのAaron Burdenが撮影した写真
