見出し画像

「不死の私」という情報の末路──『ポストヒューマン誕生』読書感想文

書籍データ

感想

人工知能研究の世界的権威(ウィキペディアまんま流用です)レイ・カーツワイル氏による、テクノロジーの現状解説と未来予測本です。

量も内容もボリュームありました。
図書館で予約して、受け取った時に「辞書かw」って思わず笑ったくらい。

本当にヘビーなのでこの記事はなるべくライトな表現で意訳して書きます。いつもながら解釈間違っている部分もあるかもしれませんがご了承ください。

特異点はほど近い

(特異点とは)
われわれの生物としての思考と存在が、みずからの作りだしたテクノロジーと融合する臨界点であり、その世界は、依然として人間的であっても生物としての基盤を超越している。
特異点以降の世界では、人間と機械、物理的な現実とヴァーチャル・リアリティとの間には、区別が存在しない。

著者曰く、その「特異点はほど近い」と。
予測時期は、2045年。あっという間ですね!

なぜそんなに早くその日が訪れるのか。
その根拠の一つとして、テクノロジーの進歩は「指数関数的」であるからだと著者は述べています。
未来予測は、私たち自身の経験値を反映して「今までと同様に進歩する」と思い込んでしまいがちなところや、ある一つの傾向から導かれる変化にだけ注目し、他のことがらはなにひとつとして変わらないと思い込んでしまいがちなところがある。それらをさっ引くと、案外その日は近いのではないかということですね。

2030年はじめには、こんなことができるんだって

人間は一つの領域(言語とか空間把握とか)で10万の概念をマスターできるらしいです。
人間ってすごい……!!

そんなすばらしい人間の脳ですが、キャパや演算速度やエネルギーなどの物理的な限界値があると言われたら、自分ごとなのでぼんやりと感覚的にわかるような気がします。

物理的な限界があることはコンピュータも同じで、物理的な制約=コンピューティングの限界ということ。

ただし、コンピュータのキャパは人間の脳と違って増やせます。演算速度も技術の進化により日々爆速で向上しています。さらに、環境問題にも応用できる「エネルギーをほとんど消費しないコンピューティング理論」が考案されているそうです(リバーシブル・コンピューティング)。
……私はラストは眉唾だと思ってますけどね。

一人の人間の脳の再現(脳の働きをスキャンした上に、別な身体性を持ったモノに再アップロードする場合)に必要な要件は、10の19乗cpsのコンピューティングと10の18乗ビットのメモリらしいです。
で、著者の目算では2030年代はじめにはそのリソースは1000ドルで購入できるようになると……。あとは脳のスキャン&アップロード技術さえできていれば、現実的なお値段で人の知能がコピーできるわけです!!
その際には、なにかしらの身体も必要らしいので、ロボット的な物でもいいから身体を与えてあげる必要があるとのこと。
※実際問題そこにお金が一番かかるかも。
この子も50万するしね。まだまだロボットはお高い。

いや、すごい世界だなーーー(棒)
……ここらで私はどこまでが実現されてる現実で、どこまでが未来妄想なのかわからなくなってきましたよ。

新しい感性、変化する倫理

人間が進化する要素は、「遺伝学」「ナノテクノロジー」「ロボット工学」がカギを握っていると著者は言います。

本書では、それらが発展することによって人間がどんどんサイボーグ化していく未来が描かれます。

ファッション感覚で身体の一部を入れ替える

この一文が痺れます。

健康や命に対するリスクが低いから「よりよく生きるために」手を出してみる。
本書で想定された未来においてその選択は、現代に生きる私たちが止むに止まれぬ理由ではなく生き方の選択としてピアスやタトゥー、美容整形やレーシック手術に手を出すのと、感覚的にはなんら変わらないんです。
そんな未来が実現すれば、現在は個性を一部制限している生まれ持った身体性が解放され、個性を表現するパレットは色彩豊かになるはずだと著者は言います。一理あって面白いですね。

さて、テクノロジーの進化で身体を入れ替えることがこうまで容易になったら、人間が昔から求めてきた「不死」がいよいよ(本書の未来妄想の中では)現実的になります。

というか、不死ってなんでしょう。
私という意識が、あり続けること?

本書にこんな一文があって、またまた痺れました。

情報は誰かが気にかけている間は持続する

もし(脳も含めて)身体を入れ替えることで、生物的限界を超えて私を存続させたとして。けれど、その私は他者から必要とされなくなれば打ち捨てられる存在なのだと思います。

もし同じような仕組みでたくさんの人が不死を手に入れたら、世の中には本来なら生物的な寿命を迎えているはずの人間だったものの情報在庫でいっぱいになるでしょう。
そういう世界で、もし私がその問題に対処する係になったとしたら、管理を煩雑にしたくないので総量をシビアに減らす方向に舵をきります。
その情報の多くは、処分の機会を心待ちにされる存在になるでしょう。

もしかすると「誰も気にかけなくなったから」そっと在庫処分されるのが不死の終末なのかなとSF話のような想像をしてしまいました。

人間ならでは

最後に、一番面白いなと思ったところ。

著者は、「人間と機械の間に区別が存在しなくなった」特異点以降も唯一発揮される人間性」があるといっています。
それが、物理的および精神的な力が及ぶ範囲を、その時々の限界を超えて広げようとする行為。

で。
その性質を持っていることがまさに現在進行形でわれわれが特異点に近づいている理由だっていうのも、なんだか皮肉が効いてて面白いですね。


著者が本書で試みたこのような未来予測は、当たるか当たらないかはたいして重要ではなく(ファンタジーと銘打っていない以上ある程度の妥当性はあってほしいと思いますが)。

これを読んだ私たちが「そうありたい」もしくは「そうありたくない」と考え、どのようにすればその未来に近づけるか(遠ざけられるか)、明日に進むための一つの道標にすれば良いのだと思います。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集