他者の見ているものを理解しよう──『具体と抽象』読書感想文
「抽象」とはどういうことか。また、抽象化を用いるメリットは何か。
本書では前提として以下のように書かれる。
具体的な表現は、解釈の自由度が低い、つまり人による解釈の違いがほとんどないのですが、反対に抽象的な表現は、解釈の自由度が高く、人によって解釈が大きく異なる場合があります。解釈の自由度が高いということは、応用が効くことになり、これが抽象の最大の特長ということになります。
抽象化は「複数のものをまとめて一つのものとして扱う」ということであり、例えば「言葉」はその抽象化の産物の代表例として挙げられる。
言葉は、目に見える物理世界で用いられる場合と比喩として精神世界で用いられる場合があり(「投げる」という言葉を、「ボールを投げる」という物理的事象を表すことに用いたり、「放棄する」という精神活動の意味に転用したりという行為)、このような抽象化という行為は人間を人間たらしめる高度な知的活動である。
単に目に見える具体的な世界で起こっている事象を精神的な世界にも拡大して思考の世界を広げられるというのが人間の脳の優秀なところです。
また、著者は抽象化を「枝葉を切り捨てて幹を見ること」と説明する。
その際に肝要なのが、抽象化の目的を決めること。
抽象化は物事の特徴を「目的に適った共通事項」と「それ以外の事項」に振り分ける行為なので、目的がないと、意味のない抽象化や誰にも理解されない抽象化が起こってしまうからだ。
具体と抽象どちらが優れているか
本書がいいたいのは、もちろんこの見出しのようなことではない。
重要なのは「目的に応じて抽象化のレベルを決め、具体と抽象を行き来してバランスを取ること」だと著者は述べている。
そもそも抽象化の目的の一つは他者と円滑に物事を共有することにあるので、抽象と具体を行き来して「具体的な話を一度抽象化し、相手に理解しやすい他の具体にもう一度落とし込む」という往復運動をできる人がすなわち他者のとの合意形成が上手い人といえる。
「議論がかみ合わない」はなぜ起こる?
本書で私がいちばん興味を引かれた章段がここ。
「顧客の言うことを聞いていては良いものはできない」に対して、
「顧客の声が新製品開発のすべての出発点である」
「リーダーたるもの、言うことがぶれてはいけない」に対して、
「リーダーは臨機応変に対応すべし」
「長年の伝統は守るべし」に対して、
「変化しないものは生き残れない」
このような議論は日々さまざまな場所で昔から行われている、いわば「永遠の議論」とも言えます。
よく聞く意見の対立。著者は「具体と抽象の、どのレベルの話をしているのか」の視点が足りていないのだと指摘する。
具体と抽象を切り分けることで、論点の相違が見えてきます。「リーダーの意見」や「伝統」は、簡単に帰るべきでないという考え方は、「哲学」や「基本方針」のような抽象度の高いレベルのものです。一方で、それを具体的に実現させる手段は、環境変化に応じて変える必要があるのは必然的な流れと言えます。
今、どのレイヤーの議論が必要かの認識と視点を揃えてから、議論に進むべし。
そもそも求められるスキルセットが違う
「価値観」の章段では、例えば上流の抽象度が高い状態で「具体のアイディアを集めるための衆知を求める」のはあまり意味がないといった、それぞれのフェーズに合わせたプロセスを採用する必要性を改めてきちんと説明してくれている。なるほどなるほど。
上流の仕事は、コンセプトを決めたり、全体の構成を決めたりする抽象度の高い内容なので、分割して進めることは不可能です。これが下流に進むにつれて具体化され、作業が飛躍的に増えていくとともに、作業分担も可能になっていきます。同時に、求められるスキルも変わってきて、「全体を見る」よりは個別の専門分野に特化して深い知識を活用する能力が求められていきます。
上流・下流への従事は「どちらが優れている」ということではなく、あくまで人の特性によるものなので、人材の適材適所の活用をするためには、少なくともこの二軸でアサインのミスマッチを回避することがとても重要だと思った。
また、個人的な考えとしては「スキル向き不向き」はあっても、それは「自分の関与の薄いフェーズの理解がなくて良い」ということではないので、知識として双方がどういう考え方・動き方をするフェーズなのかをきちんと知った上で自分の役割に臨むことは必須だと考えている。
「作業の効率を考えない設計」はモチベーションの低下やチーム内の軋轢を招き、品質低下につながるし、「コンセプトを理解しない開発」は本質からずれた方向への暴走を招く。
本末転倒は避けたい
抽象化された知識や法則は、一見「高尚に見える」だけに取り扱いに注意が必要です。
ルールや理論、法則は、大抵の場合は具体的に起こっている事象の「後追い」の知識だったはずです。ところが、一度固定化された抽象度の高い知識は固定観念となって人間の前に立ちはだかり、むしろそれに合わない現実の方が間違いで、後付けだったはずの理論やルールに現実を合わせようとするのは完全な本末転倒といえます。
身に覚えがない人はいないと思う。
人間は「安易」が好きだ。
具体的な指示はわかりやすいがゆえに、そればかり与えると「活動が目的化する」。
同じく、固定化された知識は盲目的に実行されることが常態化するので「そもそもの本質が見えずらくなる」。
そのため「何のために」というところまでメンバー一人ひとりが認識できれば──できる方法を見出して実行できれば、仕事の大半はうまくいくと思うのだが。その実践がいちばん難しい(ここが解決すれば苦労はない)。
抽象化は他者を理解するための方法の一つにすぎない。
表面的な類似性でなく、関係性や構造レベルでの共通点と相違点に目を向けること、そして「要するに何が大事なのか」という本質レベル共通点や相違点に目を向けること、それができれば抽象化というツールを最大限に生かすことができます。
この人と話が通じないなと思ったときに、はなから「理解できない」と突っぱねるのではなく、「見る観点が異なる」ということに気づき「その視点を手に入れよう」とする行動を取ることが、他者とうまくコミュニケーションをとり大義を達成することにおいても自分の視点を広げる意味でも、非常に大切なのだと感じた。
