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すごい小説──『デーミアン』読書感想文

これまたすごい小説だと思った。
人の心の成長に伴う葛藤、混乱、紆余曲折(こう書くとなんか陳腐だな)。そういうものがわりとぜんぶここに書ききられているんじゃないだろうか。

この本をもとに、精神の成長第一形態、第二形態、第三形態……みたいに分類できるかもしれない。で、精神の成長途上にある人がこの本を読めば、自分がどの位置にあるか俯瞰して見られるかもしれない。実際成長の苦しみの中にあるときはそんな場合じゃないとも思うけど。

一方で、やはり人間はどんなに成長したところで独りよがりで、何かへの執着や依存からは抜けられず自分の目線でしかものが見れないものなのかなあ……と感じてしまう本でもある。

何かから抜け出したと思ったら、そこはまだ何かの腕の中。
しかもその思想、ほんとに大丈夫そ?
──そんな感じ。

自分は特別、自分の属するものこそ正。なんだかそんな選民思想を匂わせるような心理になっていくのが引っかかる。

とにかく。
随所随所で自分の中に抱いた覚えのあるぼんやりとした思いが言葉に成っているので、「おお!」と驚くような文章に出会える。10年に一度くらいの割合で読み返すと解釈や着眼点が変化しておもしろい本だと思う。

『クヌルプ』『デーミアン』ときて、その後に書かれた『シッダルタ』はどのような内容なのか。読まなければ。

以下、「おお!」と思った箇所を備忘録として書き留める。

ぼくは世界に旅立とうとした。その道はつるつるしていてすべりやすく、親切な手によって救われはしたけれど、恐くなって脇目もふらず母の懐に逃げ帰ってしまった。安心を求め、庇護される純心な子どもにもどったんだ。ぼくは実際よりも幼く、甘えっ子のように振る舞った。クローマーへの隷属がなくなってみると、新たに頼れるものが必要になった。ひとりではやっていけなかったのだ。そこで見境なく、父と母に隷属することを選択した。昔懐かしい「明るい世界」への隷属。もちろん、それが唯一無二の世界でないことはすでに知っていた。デーミアンの側につく方法もあるが、そのときは彼になにもかも打ち明ける必要があった。そうしなかったのは、彼の奇妙な考えに違和感を覚えるからだ、と当時のぼくは思っていた。本当を言うと不安だったのだ。デーミアンが両親よりも多くのことを要求するかもしれない。激励と警告、侮辱と皮肉、そんな言葉によって、デーミアンはぼくをもっと自立させようとするだろう、と。いまならわかる。人間にとって、自分自身へと通じる道を進むことほど辛いことはないのだ。

第二章 カイン(p.73)

“認められた”とか“禁じられた”とかいうのがどういうことなのか見極める力は、まだきみにはない。やっと真実の断片を感じとっただけだ。本当にわかるのはこれからさ。
〜中略〜
だから、なにが認められ、なにが禁じられているか、とくに自分になにが禁じられているか自分で見極める必要がある。

第三章 悪人(p.99)

新しい仲間のなかで孤独をかこち、自分を異質だと感じるにつけ、ぼくは逆に彼らと離れられなくなった。酒を飲み、大口を叩くことが楽しいのかと訊かれると、自分でもよくわからない。それに酒に慣れたわけじゃなかったので、いつも最後にみじめな思いを味わった。あの頃はとにかく無理をしていた。他にどうしていいかわからなかったから、ぼくは無理やりそうしていた。ひとりになるのが恐かったのだ。繊細で内気な自分が嫌で、やさしい愛情で頭がいっぱいになることに恐れをなしていた。

第四章 ベアトリーチェ(p.116)

しかも今回の「明るい世界」はそれなりにぼくの自作で、これまでのように母という地帯へ逃げ逃げ帰り、その懐にもぐりこむというのとはちがっていた。責任感を伴う、自分で発明し、必要とした新しい務めだった。性に関する問題ではそれまで思い悩み、尻込みしていたけれど、このときを境にこの聖なる炎で欲望を精神的なものへと昇華し、礼拝の対象にしようと思った。もはや暗いものや醜いものはあってはならない。ため息ばかりの夜、いかがわしい絵を見て心をときめかすことや、禁断の門で盗み聞きをすることなど、とにかく淫らなことは一切禁じた。

第四章 ベアトリーチェ(p.124)

みんな、教授や裁判官、医師や芸術家になることを望みそのためにどれだけの時間がかかり、それが自分にどんな利益をもたらすかよく知っていた。そういうことがぼくにはできなかった。ぼくもいつかそういうなにかになるのだろう。だけど、前もってそんなことがわかるものか。たぶん何年も探しつづけ、結局なににもなれず、なんの目標にも達しないのだ。仮に目標に達したとしても、それはいかがわしく、危険で、恐ろしいものに決まっている。
迸り出る自分の思いそのままに生きようとしただけなのに、なんでそれがこうも難しかったんだろう。

第五章 鳥は卵から出ようともがく(p.147)

わたしたちは自分の人格を狭く考えすぎているのだよ。わたしたちは個々に異なる相違点ばかり見て、それを自分の人格だと思っている。ところが、わたしたちはかの世界のあらゆるものから成り立っているのだ。ひとり残らずな。人間の進化の系図を辿ると、魚まで、いやもっと先までさかのぼることができる。わたしたちの魂には、かつて人間の魂のなかで生きたものがすべて詰まっている。

第五章 鳥は卵から出ようともがく(p.163)

習慣からではなく、自発的に愛情や尊敬の念を捧げた場合、たとえば自発的に弟子や友だちになった場合、心のなかの本流が大事な人から離れていくと気づいた瞬間ほど辛く切ないことはない。友や教師を拒絶する考えのひとつひとつが毒針となって心臓を一突きすることになる。

第六章 ヤコブの戦い(p.191)

人々が手を結び、徒党を組む傾向がいたるところに見られる。けれども自由と愛はどこにもない。学生組合や学生合唱団から国家に至るすべてが、必要に迫られてつくられたものだ。不安や恐怖や困惑から生まれた連帯と言っていい。その内部は腐っていて、古くさく、崩壊の一歩手前にあるという。
「連帯することはすばらしいさ」デーミアンは言った。「いま、ほうぼうでもてはやされているのは連帯でもなんでもないけどね。連帯はひとりひとりが互いに知り合うところから誕生するものだ。世界の改革に資する場合だってある。いま巷に見られる連帯とやらはどうだい。鳥合の衆だ。お互いに恐いものだから逃げまどって、似た者同士で固まっているのさ。お偉方はお偉方だけで、労働者は労働者だけで、学者は学者だけで。それじゃ、どうして連中は不安なんだろう? 自分自身とひとつになれないからさ。自分をあるがままに認めることがないから不安なんだ。自分のなかの未知の部分を恐がる連中ばかりの共同体なのさ。〜後略〜」

第七章 エヴァ夫人(p.211)

「愛は請い願うものではありません」エヴァ夫人は言った。「要求するものでもありません。愛には自分のなかで確信する力が必要なのです。そうすれば、愛は引きつけられるものではなく、まわりを引きつけるものになるのです。シンクレアさん、あなたの愛はわたしに引きつけられたものです。わたしを引きつけるようになれば、わたしの方から行きます。わたしは、贈り物をするつもりはありません。わたしを手に入れてほしいのです」

第七章 エヴァ夫人(p.233)

ついでに

ティーンという、自分の存在という謎に大いに揺れて、他者に影響され、自分のあり方を確立していく不安定な時期。
過去を振り返ってその苦悩を青春と煌びやかに呼ぶのは易しいが、葛藤と分裂の最中にある時分には、その「今」は地獄のようですらある。
さらにその瞬間が美しい思い出になった途端、自分の中でなにかが確実に失われる。
大人になると、忘れたふりをしてしまうもの。そっと蓋をしてしまうもの。
この時期特有の繊細な感性をここまで切り取れる。名作だと思う。

スピンオフ作品のこちらもすごく好き。


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