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他者比較してる限り幸せは来ない──『傲慢と善良』読書感想文

恋愛と結婚。
選ぶ過程がどうであれ、結果(する・しない)がどうであれ、現代社会に生きている上でどんな人も避けては通れない道。

時代や性別や年齢や性格。
恋愛に対する価値観や主義は人によって異なるが、そこから逃げることを社会が許さないといった風潮は確実にまだある。
20代ないし30代で当然「こうあるべきだろう」という姿に追われる。
追われる過程やその結果は人によって異なるが、今の世の中では「結婚」と「家庭」を手にすることがその最善のゴールだと揺るぎなく考えられているふしがある。

結婚すべき。子どもをつくるべき。

それもまた、間違いではないひとつの価値観だし、その価値観をつくる側も追われる側も概して互いの表に出ていない感情を自分の立場で曲解することも多いんだけど……そのあたりのモヤモヤを、小説という形で鋭くきりとったのが本書。

それぞれの傲慢さと善良さ

※この章段ではネタバレはありませんが、いくつかポイントで内容にふれています。

この物語の主人公、架(かける)と真実(まみ)。
架にはずっと“選ぶことのできる人生”だったことにあぐらをかく傲慢さと、目の前のことを素直に信じるすれてない善良さがある。
真美には自分が“他者に施してもらうこと”を当然と受け止める傲慢さと、他の人を表立っては決して傷つけられない善良さがある。

失踪した真美を追って彼女の地元で情報を収集をしていた架が、同級生の話から思い当たった下記の一節は、とてもリアルだなと感じた。

大学で地元を出てそのまま東京で結婚して暮らす主婦の「泉」と、地元で短大を出て地元で公務員の夫を持ち、県庁の臨時職員として働く「恵」。そして、地元の大学を出て、地元での婚活がうまくいかずに東京に出て派遣社員として働いていた「真実」。
真実の中学校の同級生であり、県庁の臨時職員時代の同僚であった恵の話は、その三者が互いに抱く微妙な感情を映している。

真美も自分も一緒だと言いながら、では、恵にとって、真実や自分と一線を画す「泉とは一緒でない」基準はなんなのか。
考えて、はっと思い当たる。気づいた瞬間に、なぜかぞっとした。
その基準は、この街を出ているかどうか━━、なのかもしれない。
見える範囲の世界に留まり、生まれ育った街を出ることなく、そこで進路を決めた恵や真実とは違う、自分で何をしたいのかを考えてここを出て行った、泉はおそらく「そういう子」なのだ。だからこそ、憧れているような、褒めているような言い方をしながらも恵は彼女を突き放している。「私たちとは違う子」だ、と。

「マウント」という言葉が世の中にはある。自分と他者と比較して他者をある点において貶めることによって自分の地位を確かにするというような意味を持つ言葉。
彼女たちのマウント合戦は、架がぞっとしたように、側から見れば恐ろしく狭い世界での旗の取り合いで、他人の目からすれば滑稽にすら映る。

でも他人事ではない。
自分のことを貶める他者のことを恨む一方で、自分が優越感を感じるために他者を貶めることには無頓着だから。それは私も同様。

私の友人にはそういう人は(特に表立ってそのような露骨な話をする人は)本当に少なくて、たまにそういう話を聞くと本当にあるのかとびっくりする。「他者の有り様なんてどうでもいいじゃないか」と。

しかし。
「本当にそう考えているのだろうか?」と改めて自分に問い直してみると、私はその他者からの圧力を抜け出すためにわりと必死だったのかもなと過去を振り返って思うところがある。

結婚すべき。子どもをつくるべき。

近くにそんなことを露骨に口に出す人はいなかった。
けれど、金輪際周囲からそういうことを言われないよう結婚し、子供を産み、仕事を持ち続ける生活が私自身の精神安定剤になっていないかというと否定できない。
つまり今の私は“完全武装”しているから「他者なんてどうでもいいじゃないか」そう強気に言えるのかもな、と。嫌な話、そういう立場を意識的に選んでいた面もあるのかな、と。
社会への免罪符として今の状況がうまくはたらくことは実際に多いような気がしている。
もちろんその目的のためだけに結婚したり子どもを産んだわけではない。しかし100では確実になくても、0でないと言い切れるかというというと、そうでもない。

そういう感情が、それを経た結果の私の行動や言動が、傲慢でないとは決していえない。

虚栄心、劣等感、卑屈さ。
……もちろん、そういったマイナスの面だけでなくそれぞれの人が抱える全方位の感情のうち、表に出てくるのはほんの一旦、氷山の一角にしか過ぎないとわかっているはずだからこそ、私たちは表面から見える部分で自分の都合の良いように(大方は不必要な善意でもって。時に悪意をもって)その氷山の残りを勝手に解釈してしまうことが多い。

自己愛も自己嫌悪も同じ人物の中に共存するのは当たり前だ。そのどちらか表出している部分だけで判断せず、その全部を認め、真正面から受け止めたい。
とても難しいけど、自分の中の、そして他者の、傲慢と善良を認められる大きさが欲しい。

許せること、許せないこと

※この章段ではラストの展開に関わるネタバレがあります。ご注意ください。



話は変わるが、幸せな結婚のために必要だと思うことについての私感を最後に書きたいと思う。

主人公の架と真実は傲慢さと善良さを持ち合わせているごく普通の男女だ。

恋愛の相手はあくまで他人だから、自分とまったく同じなんてあり得ない。
良い面も悪い面もある。許せることと許せないことがある。
その折り合いを探るのが結婚に至る恋愛の過程だと思うが、今回の場合の二人の結婚の決め手はなんだったのだろうかと。
で、この本においてのそれは──両者ともに自分の行動を悔いて行動することのできる誠実さ、ではないのかなと思った。

物語の最初の時点では、それはなかった。
けれど二人は、そういうお互いの本性の一致をきちんと心の底で見抜けていたし、過去の失敗から学んだ上できちんと自分で動くことができた。

架は必死に真実の本心を探す努力をし、
真実は自分自身への不信を晴らし、架に向き合うための努力をした。

うまくいく男女には、なにか共通するものがある。
恋愛と違って結婚は一瞬の出来事ではない。
長く一人の人と特別な関係を築いていくにあたって必要なもの。それは表に見える性格でも、見た目でもなくて、何を大切にしているかが揃っていることではないかと思うのだ。

今回の場合、二人の根底にある(そこはかとなく野暮ったさを感じさせるほどの)誠実さが共鳴したのではないかと思う。

夫婦は一番近い他人だという。
心のうちにそれぞれの思惑を抱えながら、その感情のごく一部を交わらせながら、揃っている部分を唯一の拠り所にして、一番近い他人である夫婦としての人生は続く。


#傲慢と善良
#読書感想文

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