自己肯定感って、なに?私の解釈で語ってみる
◆「自己肯定感」って、よく聞くけれど
最近、「自己肯定感」という言葉を本当によく耳にするようになりましたよね。本屋さんに行けば、自己肯定感を高めるための本がたくさん並んでいるし、SNSでも話題になっていることが多い気がします。でも、正直なところ、「自己肯定感って、具体的に何だろう?」って、フワッとしたままでいる人も少なくないんじゃないかな、と思います。僕も以前はそうでした。「自分に自信を持つことかな?」「ポジティブに考えること?」—そんな漠然としたイメージしか持っていなかったんです。
でも、僕が色々な経験をして、そして心理学を学ぶ中で、この「自己肯定感」というものに対する自分なりの解釈が少しずつ固まってきました。今日は、僕が感じている「自己肯定感」について、お話しさせてくださいね。
◆「今の私」を、ただ認める感覚
僕が思う「自己肯定感」は、「今のありのままの自分を、OKだと感じられる感覚」のことかもしれません。
完璧な自分である必要はないし、誰かに褒められる必要もない。成功していなくても、失敗したとしても、そして特別な才能がなくても、「ああ、これが今の私なんだな」と、等身大の自分を温かい目で見つめ、受け入れられる心の状態。それが、僕にとっての自己肯定感です。
例えば、朝、鏡を見た時に「ああ、なんだか顔色が悪いな」と感じたとしても、「でも、今日の私はこんな感じなんだな」と、そのまま受け入れられること。あるいは、仕事でミスをして落ち込んだ時でも、「私ってダメだ」と自分を責めるのではなく、「今回はうまくいかなかったけど、これが今の私の実力なんだな。まぁ、人間だもの」と、そっと自分に寄り添えること。
こうやって考えてみると、自己肯定感って、何かを「足し算」して得られるものではないのかもしれません。むしろ、「引き算」していく感覚に近いように思います。「こうでなければならない」という世間の基準や、過去の自分への執着を少しずつ手放していった先に、ポツンと残る「ただの私」。その「ただの私」を、丸ごと抱きしめてあげるような感覚です。
◆「不完全である勇気」と「安心感」
アドラー心理学には、「不完全である勇気」という考え方があります。これは、完璧ではない自分、弱さを持った自分を、そのまま受け入れることの大切さを教えてくれます。僕が感じる自己肯定感は、まさにこの「不完全である勇気」と深く繋がっているように思います。
「ちゃんとしなきゃ」とか「もっと頑張らなきゃ」と、自分を追い詰めるのではなく、「今のままで大丈夫」と自分に許可を出してあげること。そうすると、心の中に、じんわりとした安心感が広がっていくのを感じるはずです。この安心感こそが、揺らぎない自己肯定感の土台になるのかもしれません。
そして、この安心感があるからこそ、人は新しいことに挑戦できたり、失敗を恐れずに次の一歩を踏み出せたりする。まるで、自分の存在自体が、心の奥底でそっと肯定されているような感覚です。
◆「癒し」と共に育む、私らしい自己肯定感
僕にとっての自己肯定感は、常に高ければ良いというものでもありません。人間だから、心が揺らぎ、変容していくのは当然のことです。大切なのは、そんな揺らぎも含めて、今の自分を共感を持って見つめられること。そして、もし自己肯定感が少し下がってしまったと感じた時でも、「ああ、今の私は少し疲れているのかもしれないな」と、自分に癒しを与えてあげられることなのかもしれません。
自己肯定感は、誰かに与えられるものではなく、自分自身で育んでいくものだと思っています。それは、頑張って手に入れるものではなく、むしろ「頑張らない自分」を許し、“存在肯定”の感覚を少しずつ味わっていく中で、自然と育っていくものなのかもしれません。
あなたにとっての「自己肯定感」は、どんなものでしょうか? ぜひ、あなた自身の言葉で、あなたの「自己肯定感」を見つけてみてくださいね。
