『名探偵・静かな』VOL.2 海鮮丼と名探偵ー新千歳編 ②/全4話

第2話 : 空の上の容疑者たち
「犯人は、この機内にいます」
静かながそう言った瞬間。
周囲の空気が、ほんの少しだけ止まった。
少年の母親が困惑した顔をする。
父親は眉を寄せた。
客室乗務員は、どう対応するべきか判断しかねている。
そして、Ashleyは思った。
(言っちゃった……)
静かなは満足そうに頷いた。
「ご安心ください。この静かなが――」
「お客様」
客室乗務員が笑顔のまま、一歩前へ出た。
「ほかのお客様もいらっしゃいますので、どうかお席でお願いいたします」
「……はい」
静かなは素直に座った。
Ashleyは吹き出しそうになるのを堪える。
「弱いですね、名探偵」
「航空法には逆らえません」
「CAさんに注意されただけです」
「空の上では彼女たちが法です」
「違うと思います」
静かなはルーペを膝に置いた。
しかし目だけは、前方を見ていた。
少年のカードについて、母親が覚えていることは多くなかった。
「黄色いキャラクターのカードだったと思います」
「ピカチュウ?」
Ashleyが尋ねる。
母親が頷いた。
「……翔太くんが『これは絶対なくさないで』って渡してくれたみたいで」
父親が苦笑した。
「俺たちには違いが分からなくてね。ずっとケースに入れて大事にしてたんですよ」
少年は黙っている。
静かなが尋ねた。
「最後に見たのは?」
少年の肩がわずかに動いた。
「……さっき」
「さっきとは?」
「離陸して……ちょっとしてから」
「どこで?」
少年は一瞬だけ、座席前を見た。
ほんの一瞬だった。
それから、
「ここ」
と、自分の膝を指した。
静かなは何も言わなかった。
Ashleyは、少年より周囲を見ていた。
先ほどから気になる人間がいる。
最初にカードを二度見した、通路側の若い男性。
二十代後半くらい。
黒いパーカーに、ワイヤレスイヤホン。
今はスマートフォンを伏せているが、先ほど画面にカードの画像が映っていたのをAshleyは覚えている。
そしてもう一人。
少年の斜め後ろに座る中年男性。
四十代くらいだろうか。
彼も少年のカードを何度か気にしていた。
「静かなさん」
「はい」
「あの若い人、カードのこと知ってます」
「ほう」
「さっき検索してました」
「検索?」
「カードの画像みたいなのを」
静かながルーペを持ち上げる。
Ashleyの顔を見る。
「私じゃなくて、あっちです」
「失礼」
レンズの向きが若い男性へ変わった。
男性は気づいた。
「……何ですか?」
静かなはルーペを下げた。
「いえ。肌の状態を」
「なんで?」
Ashleyは思わず額を押さえる。
「普通に聞いてください」
結局、Ashleyが声をかけた。
「あの、すみません」
若い男性がイヤホンを外す。
「はい?」
「さっき、あの子のカードを見てましたよね」
男性の表情がわずかに固くなった。
「……見ましたけど」
「珍しいカードなんですか?」
少し迷ってから、男性は答えた。
「たぶん」
「たぶん?」
「実物をちゃんと見たわけじゃないですけど。あれが本物なら、結構すると思います」
母親が振り返った。
「結構って……?」
男性は言いづらそうにする。
「状態とか種類にもよりますけど……数万円じゃ済まない可能性もあります」
「え?」
父親まで顔を上げた。
少年だけが反応しなかった。
Ashleyはそこを見ていなかった。
彼女の目は若い男性へ向いている。
「それで調べてたんですか?」
「え?」
「スマホで」
男性が黙る。
図星だった。
「……はい」
「どうして?」
「いや、気になったから」
「それだけですか?」
男性の眉がわずかに動いた。
「それだけですけど」
静かなが横から口を挟む。
「ちなみに、おいくらほど?」
「静かなさん」
「純粋な市場調査です」
「海鮮丼と同じ顔で聞かないでください」
若い男性は少し警戒した様子で答えた。
「同じカードなら、かなり高いです。昔のものみたいだったし」
「なるほど」
静かなは大きく頷いた。
「動機としては十分」
「ちょっと」
男性が睨む。
Ashleyはすぐ静かなの袖を引いた。
「今のなしです」
「まだ推理ではありません」
「動機って言いましたよね」
「一般論です」
もう一人の中年男性にも話を聞いた。
彼はカードの価値を知っていた。
理由は単純だった。
中学生の息子がカードを集めている。
「さっきあの子が持ってるの見て、息子が欲しがってたやつに似てるなと思って」
「だから見ていた?」
「それだけですよ」
「少年の席の近くへ行きませんでした?」
男性は少し考えた。
「トイレには行きましたね」
「いつです?」
「飲み物のサービスのあとかな」
少年の父親が言う。
「その頃、一度こいつも席を立ってます」
Ashleyの目が動く。
条件が重なる。
カードの価値を知っている。
少年が席を離れた時間に、通路へ出ている。
しかし中年男性はすぐに笑った。
「いやいや、俺じゃないですよ。第一、他人の子どものカード盗んでどうするんですか」
静かなが小さく言う。
「売る」
「言い方!」
Ashleyはすかさず肘で小突いた。
「可能性の話です」
「黙っててください」
静かなは少し嬉しそうだった。
客室乗務員もカードを知っていた。
尋ねると、彼女は申し訳なさそうに微笑んだ。
「弟がずっと集めているんです。ですから、見覚えがありました」
「少年の席を整理しました?」
「座席周辺ですか?」
「はい」
「巡回中にゴミなどを回収しています。その際、少し折れ曲がっていたり、ゴミが挟まっていたりした冊子を、前方の予備と交換することはございます。ただ……」
彼女は少し考える。
「どのお席で何を動かしたかまでは、申し訳ありません」
当然だった。
一人ひとりの座席前ポケットを記憶しているはずがない。
静かなは黙って聞いていた。
「静かなさん」
「はい」
「何かないんですか?」
「何がでしょう」
「名探偵なんでしょう?」
「そう呼ばれることもあります」
「自分で名乗ってましたよね」
静かなは窓の外を見る。
「雲が綺麗ですねえ」
「逃げましたね」

Ashleyは調べるほど、若い男性が気になった。
カードを最初に二度見した。
価格を調べていた。
少年が席を離れた時間帯に、彼も通路に出ている。
そしてもう一つ。
少年の父親が思い出した。
「ああ、そういえば」
「何です?」
「この人……」
父親が若い男性を見る。
「さっき、うちの席の横でしゃがんでなかった?」
男性の顔が強張った。
Ashleyも見ていた。
飲み物のサービスが終わったあと。
確かに彼は、少年の座席付近で一度しゃがんでいた。
「何をしてたんです?」
Ashleyが問いかける。
「イヤホンです」
「イヤホン?」
「片方落としたんですよ」
「見つかったんですか?」
「はい」
男性は右耳を指差した。
「これ」
状況は説明できる。
でも。
説明できすぎる気もした。
Ashleyは少年の座席を見る。
カードを知っている人間。
価値を検索した人間。
近くを通った人間。
しゃがんだ人間。
一つずつは弱い。
だが重なる。
ノートが膝の上にあった。
Ashleyはいつの間にか、そこへ箇条書きで書き込んでいた。
カードを見る。
若い男性を見る。
時系列を書き直す。
線でつなぐ。
一度消す。
また書く。
静かなは横から覗いた。
「見ないでください」
ノートを伏せた。
「これは失礼」
「さっきからそればっかりですね」
「便利な言葉です」
Ashleyは再びノートを見る。
「……たぶん」
静かなの目が少し動いた。
「何でしょう」
「分かったかもしれません」
Ashleyは立ち上がろうとした。
その瞬間。
静かなが先に立った。
「失礼」
トレンチコートの裾が、Ashleyの目の前を横切った。

