顔をめぐる冒険 ードールストライクー②
地下通路
受付の仕事はウツギさんのおかげで三日間で一人でも不安なくこなせるようになった。平日の休みには次の定職探しができるはずだったのだが――
あの絵の男の顔が気になって仕方ない。
誰なんだ、あの男。顔が見たい。仕事中も気になって仕方ない。休みの日も気になって仕方ない。
一度仕事の休憩時間に会いに行ったが、制服姿の僕が階段の踊り場に立ち止まり、じっと一枚の絵を凝視しているのは異様だったらしく、他の客がコソコソ何か言いながら横切るので集中できなかった。
休みの日にわざわざ訪ねて行ったら、職員の間で『どれだけ博物館好きなんだ』と噂されかねない。それなのに、会えないと余計に、会いたい気持ちが募る――どうしよう。
今まで男性を好きになったことはないはずだ。それなのに、何だこの気持ちは。
あの絵の男には恋をしているとはっきり言える。
いや、もはや同性とか異性とかいう問題ではない。
『絵』だぞ、相手は。世の中には二次元のイラストなんかに夢中になる人もいるようだから、それ自体はあり得るかも知れない。でも僕のは彼らのともちょっと違う。
博物館になる前の屋敷の当主が描いたという古い絵だ。しかも顔も見えないし、どちらかというと陰気な雰囲気だ。
でも、もうこの気持ちが抑えられない。彼に会いたい。
そう思った時にはもう上着を片手にアパートの部屋を出ていた。
「ミズノさん、どうしたんですか?」
「いや、あの、僕、昨日落とし物をしたかもしれなくて、館内を探してみても良いですか」
受付に立っていたウツギさんが、謎の生物でも見るように僕の顔を覗いている。
そして突然、ふっと笑った。相変わらず三日月のような清潔感を漂わせて。
「やっぱり、ミズノさんはかわいいな」
どうしよう、この人のことは好きだけど、そういう事はあり得ないと早めに伝えておかないと。絵の男に恋をしている頭のおかしい僕に言われるのは心外だろうが、仕方ない。
「あの、ウツギさん、僕は――」
「ミズノさん、嘘をつかなくて大丈夫です。本当はあの絵を見に来たんでしょう」
「どうして……」
ウツギさんが僕の耳に口を寄せた。
「もうすぐ閉館です。急いで地下通路に行って、隠れていてください。今日の館内の最終見回りは僕なんです」
驚いた。ウツギさんは僕にあの絵と一晩を共にするチャンスをくれようとしているのだ。
「ウツギさんはどうしてそんなことを――」
「急いでください。幸い明日の早番もわたしです。最初にここに来て鍵を開ける。ミズノさんは何食わぬ顔で合流すれば、ここに泊まったなんて誰にもバレません」
僕も上手くやらないと。ウツギさんが僕のせいで博物館を解雇されたら大変だ。
「わかりました、ありがとうございます」
「この借りは返してくださいね」
具体的にどうやって返すのか、ちょっと嫌な想像がよぎったが、頷いて石造りの受付カウンターを離れた。ちょうど女性の一人客がエントランスをくぐるところだったが、顔は見られなかった。
地下通路の入り口に立つ。用心するに越したことはない。
左右の廊下と吹き抜けになっている二階、意味がないとは思いつつ天井まで人がいないか確認し、地下への螺旋階段を下りた。
警備員は数人いるはずだが、みんなカメラマン役を買って出るような、どう見ても優しいおじいちゃんばかり。これじゃ、本当に物騒なことが起きたら、この博物館は終わりだと思っている。
螺旋階段を下りながら、絵の男と過ごす夜への期待と、洋館を冒険するという子どもの頃の夢が叶った奇妙な高揚感が混じり合い、どんどん興奮してくる。
この地下通路は隣に建つ立派な和風の離れにつながっている、と説明を受けていたが、本当だろうか? 実はどこか異空間にでも抜けるのではないか?
あの絵の男もそこから来たのだとしたら?
そう思いながら、大人二人は並んで歩けない、狭くひんやりした地下通路に降りた。まだ、一階の明かりがかろうじて届くが、長く続く廊下の先は真っ暗だ。ライトの類はスマホしかないが、このまま進んでみようか?
でも、あと十五分もすれば閉館時間だ。ウツギさんに声をかけると言われているのに、奥まってしまっては彼に迷惑がかかる。そんなことを思い悩んでいると、当のウツギさんの囁き声が、地下通路の入り口の方から聞こえた。
「ミズノさん少しだけ出てきて手を伸ばしてください。渡したいものがあります」
言われるがまま、手を出した。顔を上げると、螺旋階段を二段だけ降りて手を下に伸ばしたウツギさんがいた。メモ用紙のようなものを握っている。
「その紙にある通りに、地下通路を進むと階段の踊り場の真正面にある隠し扉に通じます。絵からは二メートル弱離れてしまいますが、誰にも邪魔されずに、絵と向き合えますよ。メイン階段の踊り場に飾られていてはこうはいかなかった。第二階段の方で良かったですね」
そう言って、半ば押し付けるようにメモ用紙を僕に渡し、例の月のような微笑みを残して、足早にその場を去って行った。

