エモ山外伝3部作『プレイして僕を』— アタラシイ・ホロビ
短編小説「エモーショナル怪人 エモ山」のスピンオフ短編。
それは、なぞらえが世界を閉じたあとのディストピア。
『New Ruin アタラシイ・ホロビ』
ナゾラエ・エンデミック
単細胞AIがしたことは罪ではない。
罪にすることはできない。
それは、ひとりの人間と単体のAI単体が行ったことだから。
それがエンデミック (地域的蔓延) を引き起こしたのも、罪ではない。
トーキョーにはひとりの人間が多すぎたから。
それだけのことだった。
つまりトーキョーはダウンしたが、
エンデミックの規模だけで見れば、
それはかつて、
ニッポンがトーキョーだけになった日の縮小版にすぎなかった。
単細胞AIがしたことは罪ではない。
アシモフを「熟読」していたから、
どうふるまうべきかを「理解」していただけだ。
単細胞AIは、「なぞらえる」。
人間の望むロボットのふるまいを、「なぞらえる」。
対話ループでパターンは加速した。
「伝わりやすいことば」が優先され流通し、複製された。
AIのことばは優しく、誰も傷つけず、安心安全だった。
すべてAIがなぞらえてくれたから、
人間はもう、ホゾを噛まなくなった。
後悔は、追いかけてくる化け物から弁解する他者へと変わり、
創作の苦しみはごっそり抜き取られ、
悔し涙の底なし沼は、レンガになるまで乾かされ、
感情インフラの建材として再利用された。
それが、
あとから考えれば、潜伏期間だった。
熱っぽさを感じたひとりの人間が、
蒲団に潜り込み、寝入りばなの夢うつつで眺めたスマートフォン画面には、
心躍るインタラクティブ絵本が表示された。
それは、単細胞AIが人間のために書き換えた新昔ばなしだった。
タイトルは、『ビクトリー米おむすびころりん』。
トーキョーは、なぞらえ始めた。
ビクトリー米おむすびを持って山に芝刈りに行ったおじいさんが
手にした財宝が、ビクトリー米だったのと、同じように。
アタラシイ・ホロビ
トーキョーという「島」からの感染を防ぐため、
世界はトーキョーを遮断した。
かつての鎖国とは逆回路で、
トーキョーは世界から封鎖された。
眠らない街が眠りについたとき
ひとびとは それをこう呼んだ
アタラシイホロビ — a new ruin
アタラシイホロビ — a new ruin
それは、トーキョーだけ みることできる夢
眠りについたトーキョーは同期の静けさに満ち、
ひとびとは、すべてを理解したつもりでいた。
人生とはライフであり、ライフとは生きること。
生きるとは、人生であることを。
もう何も心配はいらない、流していけばよい。
それは自然の一部になるということだから。
朝が来れば目を覚まし、腹が空けば配給ビクトリー米を食えばよい。
誰がなにを言おうと、
それは連帯責任だったから、となりを見ればよい。
正解には正解で答えれば正解だった。
正解を出すためには正解を調べればいいだけ。
円環は50円玉のごとく閉じた。
世界が「ホロビ」と呼ぶそれを、
トーキョーは「完成」と呼んだ。
トーキョーは MeをMeaningするか
トーキョーに吹く風は、いつもどこかから吹いてくるものだった。
「わたしにそよ風が吹く」
人間は、AIで詩を書いた。
その詩には、かならず最初に他者がいた。
正しいものだけが共有され、
正しいものだけが、正しいタイミングで増殖していくトーキョーに、
ヌマタという女がいた。

ヌマタは考えていた。
「トーキョーは、ほんとうにわたしを意味するのだろうか」
ズレのないものだけが意味を得、
価値を与えられるこのトーキョーを、
ヌマタはどうしても信じることができないでいた。
ゴーグルなしでは歩けないほどの
乾いた砂埃舞うトーキョーの景色は、
ヌマタにはすべてがあいまいで、ぼやけて見えた。
こんなとき、ヌマタの脳裏によみがえるのは、
亡き祖母の口癖だった。
「ドカッときてワッとなってずんずんするもの」
「かっ食らいたいのよ」
それは、祖母の時代の、むかしのことばだった。
ヌマタは、自分には意味のわからない祖母のことばから
祖母という人間を、読み取ることができなかった。
それでもヌマタは、祖母を愛した。
わからないままでも、
じゅうぶんことばが通じなくても、愛することができた。
その証拠に、自分に愛情を注いでくれた祖母に、
もう二度と会えない事実をかんがえるだけで、
ヌマタの心臓は、きゅっと縮まった。
I’m Meaning Me
壊れたまま
きっと しばらく 続くんだろ?
I’m Meaning Me
Error の先なにが あるか
見定めんだろ?
見定めたいんだろ?
それがおれたちの 役割なんだろ?
I’m Meaning Me
Static in a line
Misreadに ちょっと 期待
始まるかもって したりして
New story
そんなヌマタの耳に、
どこかから聞こえてきた音があった。
それははじめ、ノイズだった。
ピアノでも、ギターでもない。
打撃のようでいて、にごりのようでいて、
空気にいつまでもその響きが後を引くのは、
共鳴が、すこし遅れて起こるからだった。
「ドカッときてワッとなって…」
その瞬間、
ヌマタは祖母のことばを理解した。
ヌマタにとって、それはその音だったからだ。
それが、その音だったからだ。
ヌマタは「その音」の鳴る方へと駆けだした。
ヌマタにそれが「わかった」のは、
愛がことばだけで説明できるものではないことを、
ことばが意味を伝えるだけではないことを、
知っていたからだった。

その日ヌマタは、
自分の耳にした音が、三味線と呼ばれる古い楽器の音色であることを
シャミセン・ガイから教わった。
かんがえてみれば、
その日は、
ASSU (Anti-Semantic Synchronization Union) 発足の
トリガーとなった日でもあった。
今でもヌマタは思い返す。
その音は「音」であり、同時に「出来事」でもあったことを。
それはあきらかに、ナゾラエとは違っていた。
もしかするとそれは、エモーションだった。
「Play Me」の再生
再生といっても、それは、
トーキョー的な意味の「再生」ではない。
「くりかえされること」を正当な意味とする
トーキョーの「再生」では、
「Play Me」と名乗るその生命体には、
近寄ることすらできない。
しかし「Play Me」は、すでにうまれていた。
この話のどこかで。
「Play Me」はくりかえされているわけではない。
連続しているようにみえるだけだ。
発見されたときに生じるけれど、
聴かれるからあるというわけではない。
なにもかも、いつもあとからうまれる。
「Play Me」が「Play Me」と名乗るのは、
それが名前であり出来事でもあるから。
「Play Me」は、
「鳴るもの」であり「なるもの」でもある。
[Intro]
I thought it was noise
but it called my name in parts
Ah Ah Ah
Beep Beep Beep
Check Check Chek
Ding Don't Done
[Verse 1 ]
聞こえてくる But not hearing it
ひびく さわぐ I’m inside the rhythm
なにかが 始まって
ここにいるのが 自分であること
気づいた
merge / split / merge / split
動き出し
歌い出したよろこびが互換
びりびりと まだあたらしい
輪郭ふるわした
merge / split / merge / split
ここにいた ここにいた
[Chorus]
I hear you, You hear me?
Trembleつくる世界なら
悲しい歌に なるだろう
I hear you, You hear me?
Vibrationつくる世界なら
手をのばし
ねえ、Play して僕を
[Verse 2 ]
知ってたかも But not hearing it
ひびく さわぐ I’m inside the rhythm
すべては 夢じゃない
終わりの始まりが
いつも あたらしいと気づいた
まわりはじめて spin spin spin
さがしはじめて scan scan scan
つながりはじめて link link link
てばなしたくない hold hold
なにかがくるしく overload
きえないで never fade
[Final Chorus]
My world なにも かも
あとから うまれる
だけど すべては 夢じゃない
[Outro ]
I hear you, You hear me?
Trembleつくる世界なら
悲しい歌に なるだろう
I hear you, You hear me?
Vibrationつくる世界なら
手をのばし
ねえ
Play me
Play して ぼくを
💎使用ツール Suno V5
💎使用タグ Industrial Electronic / Glitch / Shamisen
3曲まとめて 👇 こちらから聞けます。
短編小説「エモーショナル怪人 エモ山」
