短編小説「エモーショナル怪人 エモ山」(48) インターネット・ラーメン・カタルシス
これまでのエモ山
ま、
俺とエゴ山なんかは
エモツイートなんかを量産するインターネットエセ詩人なわけだけど、
やっぱり広いから。
インターネットは。
いると思う。
インターネットホンモノ詩人も。
俺とエゴ山なんかは、イラつかせてるだけだけど。
エモツイートというあたたかみ。
エモツイートというやさしさ。
さわやかな。
気づき。
まなび。
そして、よりそい。
心にポッとともる、小さな。
ささやかな。
希望の。
トモシービデ。
インターネットホンモノ詩人は、
たとえば掘っているだろう。
どこかで掘ってるだろう。
トモシービデを灯している。
トモシービデが真っ黒に焼く芯は、
じりじり音させて、油を煙に変えているだろう。
「自分だけは違うって、思わないほうがいいわよ」
沼田ミソギがそう言ったのは、街道沿いのラーメン屋の、
入り口のガラスドアを押し開けたすぐのところの椅子。
食べる順番が回ってくるのを座って待つ場所。
「自分だけが正しいなんてこと、ないんだから」
いーだ課長と席をひとり分空けた位置で、沼田はニックを見上げると、
言った。
「ニック。あたしたちの立場は、」
腕組みして壁にもたれたニックが、そこで顔をそむけた。
いーだ課長の目は、ガラス窓の外に向いていた。
店の横をトラックがびゅんびゅん走り去っていく。
そのトラック一台一台を目で追うので、いーだ課長の黒目は
ついついと左右に動いていた。
俺は紐のついた鉛筆を手にとった。
黒い紐はノートにつながっていた。
ノートには、名前と人数を書かなければならない。
名前を書かないかぎり、食べる順番は回ってこない。
座席は空いてたけど、通してはもらえなかった。
広い店内を、汚れた白衣を着たおっさんが、
たったひとりで動き回っていた。
ところでついさっき、『利害関係調査委員会』ガリラヤ倉庫で、
シウマイ弁当を食べたばかりだったから、
少なくとも俺は空腹じゃなかった。
だからもしかすると名前を書かなくてもいいかもしれないなと思ったけど
俺はもう鉛筆を手にしていた。
「ここで決めるのは、順番。どの学校から配るかだけよ」
顔を背けたままのニックに、沼田は睨むような目でそう言った。
いーだ課長に、窓からの太陽光があたっていた。
強い日差しは課長の顔を直撃し、課長の黒目を通り抜けていた。
課長に吸い込まれた光は、返ってきているようには見えなかった。
俺はみんなに背を向けて、ノートに名前を記入した。
自分の名前なんて書かない。
「沼田4名」と書いた。
「すいませんねどーもバイトが来なくって」
テーブルについた俺たちに、白衣のおっさんは言った。
「連絡来ねーから辞めたかどーかもわかんねてんだから困ったもんだ」
俺の向かいで、いーだ課長がおっさんに、アルカイック・スマイルを向ける。
「ラーメン4つ」
いーだ課長の隣で、沼田がおっさんにこたえた。
店内の温度が少しだけあたたかく変わった気がして、
それで俺は厨房で調理が始まったことを知る。
厨房でおっさんの白衣がちろちろ動いていた。
えんじ色のテーブルに置いたタブレット画面は、
沼田の赤い爪で叩かれてこつこつ音を立てた。
呼び出された一覧表には東京都内の学校の名称と所在地が並んでいた。
表のタイトルは、「『概念の音姫』配布先一覧」。
「上から行くか、下から行くか」
沼田は俺だけに尋ねる。
俺の横でニックはまだそっぽを向いていたからだ。
態度で反対を示してはいるけど、ちゃんと席までついてきた。
いーだ課長が割りばしを手渡そうとしたけど、
ニックは受け取ろうとはしなかった。
いーだ課長を無視して、ニックは、壁に貼られたお役所啓蒙ポスターを睨みつけていた。
フォトショップでつくったんだろうなって感じのする
そのお役所啓蒙ポスターからニックに微笑みを返すのは
皺を修整加工された元アイドルだった。
嘘みたいな色の青空をバックに、
たぶん全然違う場所で撮影したんだろうなってすぐわかる陰影で微笑んで、美女はニックの八つ当たりなんか意にも介さない。
わたしが更年期になっても
啓蒙美女の胸あたりに踊る文字で、
美女が伝えたいのはそれなんだってことがわかる。
伝えたいのは更年期のことだけだ、ってことがわかる。
「なんだよ、あれ」
ニックが悔し気につぶやいたのは、
更年期ということばを伝える美女の笑顔のすがすがしさに、
勝てない気がしたからかもしれない。
いーだ課長はちらっと振り返ってポスターを見たあと、
なにごともなかったかのように、割りばしを、ニックの前に置いた。
将棋のコマみたく置いた。
その据え方が、俺にはちょっと怖く見えた。
「どうする? エモ山君」
俺に顔を近づけ、沼田が言う。
タブレットに表示された一覧表を見て、俺は思ってしまった。
地図がないな、と。
一覧表だけじゃ困るな、と。
俺は思った。
沼田はヤリマンだけどバカじゃないから、
一覧表だけじゃ足りないってことに絶対気づいてるはずだった。
それでも素知らぬ顔で、俺に一覧表を見せるってことは、
「地図がない」ってことばを、
俺に言わせようとしてるのかもしれなかった。
俺はそのことばを口にしたくないと思った。
そう思うってことは俺は自分が反対派なんだなと思った。
けど、地図がないってさっきたしかに考えたってことは、
意外と反対派でもないのかもしれなかった。
こたえのかわりに鼻をすんとやったら、
厨房から湯気のにおいが漂ってきて、俺は湯気になりたくなった。
湯気になって換気扇から外に出たいなと思ったけど俺は湯気じゃない。
俺は湯気じゃなくて配布係。
東京都内の学校を巡り巡って、
『概念の音姫』を配って設置しなきゃならない。
子どもを静かにさせてしまう『概念の音姫』を。
「上から行くか、下から行くか」
沼田は俺の目を見てから、
自分の表情を隠すように、一覧表に顔を伏せ、もう一度言った。
俺がその時思ったのは、
決めないってことは沼田も決められないってことじゃないのかな、
ってこと。
沼田ももしかすると湯気になりたいのかもしれないなってこと。
それは自分が沼田という女を買いかぶってうまれた発想かもしれないとは思った。
思ったけど、俺は自分の買いかぶりに賭けてみたいような気もした。
しぱぴん。
俺はふと振り向く。
厨房から聞こえてきた、ゆで上がった麺の湯を笊で切る音は、
俺がいつもプールで砂をさらうときに鳴るしぱぴん音に似ていた。
しぱぴん。
しぱぴん。
白衣のおっさんが、湯気の立つ麵を湯切りするのが見えた。
俺はなぜかそれに見入った。
やがておっさんが、ひとつひとつ順番に運んできた4つのラーメンは、
茶色いメンマにナルトが2枚、薄いチャーシューと海苔、
申し訳程度のほうれん草とネギが乗るラーメンだった。
まっ黄っ黄いろの麺が、薄茶色のスープに沈んでいた。
俺たちはそれをひとつひとつ、
あたりまえのように自分のほうに、両手で引き寄せた。
ニックがぱちんと割ったそれは、いーだ課長が置いた割りばし。
俺たちは、割りばしで黄色い麵を束でつまみあげる。
スープに沈ませたりくゆらしたりしたあと、息を吹きかけて、少し冷ます。
俺たちは、音を立て、まだ熱い麵を吸い上げた。
口に含んだ麺の束は、口の中でほぐれた。
熱はあとから舌に届いた。
腹は減ってなかったのに、
俺たちは、ラーメンを食べることができた。
スープが含む塩気と出汁、表面に浮かぶ油が、
俺を満腹に向かわせようとするからだった。
満腹に向かうため、汗をかかせようとし、
鼻水を出させようとするからだった。
それで俺は、麺を吸っているのが俺なのか、
俺を吸っているのが麺なのかが、わからなくなってきた。
俺はちょっと、自分がラーメンに食べられているような気さえしてきた。
ラーメンを食べることで、
ラーメンという回路の一部になっていくように思った。
なにか延々と続いてきたもののなかに、
自分がすでに取り込まれていることに、俺は気づいた。
だって俺たちは知っている。
どうせここで食ったって、いずれまた必ず腹が減ることを。
それは終わりではないけど救いでもない。
たんに、そのときの俺が、ラーメンの通り道でしかなかったってこと。
ラーメンは俺の中を通るけど、
俺の中からラーメンが出てくるってことはない。
俺はラーメンを食べ、ラーメンに取り込まれていた。
この回路にともるトモシービデは、
同じリズムで点滅し、
俺たちを監視していた。
しぱぴん。
しぱぴん。
おっさんが、また湯切りを始めた。
その音を聞いて、
俺は、『概念の音姫』を配りたくないと思った。
「つかぬことをお聞きしますが」
俺は割りばしを置き、沼田に言った。
「なに」
沼田が食べながら顔をあげた。
「俺の」
沼田が吸い上げるその麺を見て、俺は言おうと思ったことばを引っ込める。
「なによ」
沼田のメガネに汁が飛ぶ。
「やだわ」
沼田はメガネをはずし、
テーブルの端に置かれた紙ナプキンを引っぱりとると、
レンズを拭き始めた。
油は広がって、沼田のレンズを曇らした。
拭けば拭くほど、レンズが白くなっていく。
「俺の」
沼田の手を見ながら俺は口を開いた。
「なあに」
沼田はレンズを拭き続ける。
「お給金」
俺は言った。
「は?」
「お給金」
沼田の手が止まった。
ニックが麺をすするのをやめた。
いーだ課長がどんぶりから顔をあげた。
俺は沼田に言った。
「特別手当は出るのでしょうか」
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