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小説「破裂遊び《置物男の告白》」

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僕は子供のころ、ちょっと危険な遊びに没頭することがあった。
それを僕は、「破裂遊び」と心で呼んでいた。

破裂遊び。
子供は秩序を乱すのが得意だ。静寂の場でわざとおならをし、草をむしり虫を殺し、乾きかけのアスファルトに足跡をつけようとする。
僕の遊びはそれとは違う。僕の破裂遊びはもっと危険だった。

たとえば熱に身をさらす。
僕のうちには赤外線ストーブがあった。スイッチを入れるとガラス管が赤く光って熱くなる暖房器具。
床に置かれたそのストーブの正面に、僕は膝を抱え、横向きに座る。 赤外線の熱が、すぐに僕を温める。
熱さに慣れてきたころ、僕は靴下を脱ぎ、片足をストーブに近づける。くるぶしを、銀色のガードぎりぎりまで近づけて、じりじり焼いていく。ソーセージを焼くように。チキンレッグを焼くように。
くるぶしのでっぱりの、顎みたいなところ、指で触れると深くへこむ部分の薄い皮膚は、しだいにひりひりしだし、僕に危険を伝えてくる。
だけど僕はやめない。目を閉じて、自分が地獄にいることを想像する。 灼熱地獄の熱風にあおられる自分を想像する。
やけどはしない。
じりじり焼いていくだけだと、なぜか、やけどはしない。 直火じゃないからだと思う。皮膚は破けない。焼けて縮れたり、ケロイドになったりはしない。
そのかわり、どういう仕組みかしらないけど、皮膚が薄い膜みたいに白くなる。そしてその下に、細い線が浮かびあがってくる。
赤い線、青い線。いずれにしても、細い線。交差して、絡み合っている。 それは僕の血管。僕の体に蜘蛛の巣みたく張り巡らされた毛細血管。
僕はその線がしっかり出てくるまでストーブの前に座る。くるぶしを熱にさらす。

「破裂遊び」は夏もやる。
夏はストーブがしまわれてしまうから、僕は三角定規を用意する。
60度のじゃなくて、45度のやつを使う。
僕はTシャツの袖をたくし上げる。まだ毛の生えてない、やわらかいわきの下に、45度の三角定規の矢じりみたく尖ってるあの部分を突き刺す。ぐいぐい押していく。痛みの感覚が、僕に危険を知らせる。これ以上やったら皮膚が裂けてしまうと伝えてくる。
だけど僕は押す。鼓動が早くなり、頭の後ろ側が冷たく痺れてきて息ができなくなるくらいまでやる。

これが僕の「破裂遊び」だった。
なにも破裂してないじゃないか、と思われるかもしれない。でもこれは、れっきとした破裂遊びだった。
だってほんとうに破裂したら、血が出るじゃないか。死ぬかもしれないじゃないか。僕はまだ、死にたくはなかった。
「破裂遊び」は、凧あげみたいなことだった。 風通しの良い堤防で、凧を上げる。凧はすぐ風を受け、空高くぐんぐん上がっていく。凧の姿はあっというまに小さくなり、青空の中の小さな黒い点に変わる。
凧の姿は見えないけど、僕と凧の間にピンと張った糸は一直線、空に吸い込まれていて、僕の手のなかの糸巻リールは勢いよく回転し続ける。
僕は徐々に不安になってくる。どこまで高く飛べるのか。空はどこまで続くのか。凧は、世界と僕を包む薄い膜の向こう側を破り、どこかに行ってしまうんじゃないだろうか。 糸は足りるのか。
もしも糸が尽きたら、僕の腕まで引っぱられてピンと伸び、僕の足は地面から浮かび、僕まで空に吸い込まれるんじゃないだろうか。
僕の破裂遊びは、そういう凧あげだった。
僕は、「破裂遊び」をやめなかった。怖くても、やめようとは思わなかった。
あの頃の僕はもしかすると、確かめようとしていたんじゃないだろうか。
自分がほんとうに生きてるってことを、痛みでたしかめたかったんじゃないだろうか。

僕はまだ、今のところ、自分がほんとうに生きてるのか、たしかめられたことがないような気がする。僕の世界はまだ薄い膜につつまれていて、僕はうっすら白くけぶる生あたたかい水の中をゆらゆら揺れている。
そしていつの間にか僕は大人になり、大人というものはどうしても、働かなければならない。
ルポライターの取材アシスタントという仕事を見つけたのは僕自身じゃなくてオヤジだった。気まぐれで顔を出した高校の同窓会で村重と再会し、勝手に話をつけてきた。フリージャーナリストの村重は安く使える若いやつを探していて、オヤジは若いのに働こうとしない息子を持て余していた。僕の奴隷契約はオヤジたちの酒の席で取り交わされた。
断ることもできたけど断る理由が思い浮かばなかった。
「ともかく疑うところから始めろ」
村重はそう言ってた。
ジャーナリストとしての腕は知らないけど村重はキャリアだけは長かった。今の僕と同じくらいの歳ですでに雑誌に記事を書いていたというから、書いてきた文字は何百万どころか億単位かもしれない。断りの理由ひとつ作り出せなかった僕からすれば、それは相当にすごいことだった。
村重によればこの世界にいる全員は嘘つきらしい。
「そのたくさんの、世界にあふれまくる噓の中から大嘘、黒い嘘を見つけてあぶり出すのが僕らなんだよね」
初めて会ったとき、村重は僕にそう言った。 僕は黙ってうなずいた。僕はジャーナリストの仕事や役割を知らないし、村重が口にした「僕ら」ということばの中にこの僕は含まれていないだろうと思ったからただうなずいて、少なくとも話は聞いていることを示した。
「嘘つきってのはさ」
刺身に添えられた大根の細切りを、端の先でつまみながら村重は続けた。「自分の嘘を、信じちゃうんだ」
そこは村重の行きつけの小さな寿司屋だった。 Asahiの青いロゴが薄れて輪郭だけになっている小さなグラスで、僕たちは、ビールを飲んでいた。 「きっと勉強になると思うよ」
村重は言った。
「勉強ですか」 僕は答えた。
「そ」 村重が、ちょっとにやにやした。
「いろいろ裏見すぎて、大事な息子に余計なこと教えんな、って卓ちゃんに、怒られちゃうかもね」
卓ちゃんというのは、僕のオヤジのことだった。
僕は黙って苦いビールを口にした。

はじめての取材対象は女性だった。
キャビンアテンダントだとか言ってたけど嘘かもしれない。喫茶店で、その女性を前にして、ともかく僕は、疑うことから始めた。
取材対象には村重だけが質問する。僕は村重の横で、村重から預かった資料を開き、その傍らで、取材記録をワードに記録する。音声データももちろん残すけど、村重は、文字で情報を確認するのが好みなのだ。
要するに僕は、村重の文字おこしの手間を省くためのアシスタントなのだった。今はもうそういうことはAIがやってくれるけど、村重はまだそれを知らない。
資料によれば、その取材対象、ナオさんというその女性は、富士の樹海近くにある民宿「キャビアの宿『じゅかい』」で被害にあったという。被害とは、殺されかけたということ。
ナオさんが警察に駆け込んだのは、早朝だったという。春先の、閑散期の民宿に泊まった女性。中年に差し掛かる年齢で、ひとり旅。ケガひとつなく、荷物も持たぬまま警察にあらわれて、その場で被害届を出した。

ところが警察というものは、実害がないとなかなか動いてはくれない。「民事不介入」とかいうことばで、事件が単なる失敗談へと変換されることも少なくない。この件についてもそうだった。妙齢の女性がおかしな民宿で奇妙な体験をした。それは一種の怪談として、笑い話として、警察署の知人から村重に、小ネタとして提供された。
その小ネタを、村重は調理するつもりらしかった。
ともかく会って、聞いてみるしかなかった。
会ってみたら、ごく普通の女の人だった。きれいってわけでもないし、きれいじゃないってわけでもない。見た目だけで言えば、世の中のボリュームゾーンに存在する、すれ違うときに視線がかち合ったとしても、すぐ忘れ去ってしまえるような人。
僕にはどうでもよかった。どんな人であっても、それは薄い膜を通しているだけの像でしかないから。

その時僕はまだ、知らなかった。
この取材が、僕の世界の膜を破裂させるかもしれないことに気づいてさえいなかった。

《続きます》


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