短編小説「エモーショナル怪人 エモ山」(47) 共感アリジゴク & 全人類AV男優化計画
これまでのエモ山
東北のほうの県名を冠した病院の名前がでかでかと記された、
限りなくポンコツに近いブルーのワンボックスカー。
ニックと俺は、その車に段ボールを詰め込んだ。
同じ作業をする沼田といーだ課長の車は、
俺たちのと車種はちがえど大差ない黄色のワンボックス。
その車の横腹に記されていたのは、
「ひまわりフクフクようちえん」のロゴと笑うお花たちの絵。
ロゴの下には「園児募集中」の文字もあったけど、
たぶんもう募集は締め切られているだろう。
詰められるだけ詰めた箱のせいで車内は真っ暗で、
運転席から覗きあげるバックミラーにも箱しか写ってない。
ミラーの位置を、どう調整しても、鏡にはかならず箱が写った。
東北のほうの県名を冠した病院の名前がでかでかと記された、
限りなくポンコツに近いブルーの、かつて病人を乗せていた車は今日、
「概念の音姫」を満載して走り出した。
いつもならクッダラネー与太話を再生し続けるニックの口は、助手席で、黒いシートベルトで固定され、動かなかった。
感電してから以降、いつ見ても下地に黒を使っているように見える
薄くて乾いた唇は閉じていて、
その端っこには、
出発前にくわえたタバコからくっついたらしき、白い小さなちぎりカスみたいな紙がくっついていたんだけれども、
それはことばのかわりに、ひたすら乾ききっていた。
「音姫」が、もう作動してるみたいだった。
俺たちが運ぶのは、
それはただの装置だし、俺たちが作ったわけでもないし、
それはほんとにただの装置なわけだけど、
それは東京じゅうの学校にばらまかれる俺たちの手で。
子供は静かになる。
俺たちは運んで設置するだけだしこれは仕事で、
俺はこの仕事で日給3万円を得る。
残業すれば手当もつく。
段ボールにたくさん入った小箱は小さかった。
箱自体が手のひらに載るほどだった。
その中に入っているものはもっと小さい。
けど、
それを使えば子供は静かになる。
俺たちの車を先導する「ひまわりフクフクようちえん」は、
「ガリラヤ倉庫」をあとにして、東京湾に背を向けた。
俺たちの車同様、窓は段ボールに塞がれて、沼田たちの姿は見えない。
「フクフクようちえん」が、陸橋の下をくぐるとき、影に斜めに舐められて、
黄色い車体は黒くなる。
出てきたときには明るくなって、バンバーが、空の青さを反射した。
「どっから行くんだろ」
大きな橋を渡る前、赤信号で停まったとき、
ニックが窓を向き、つぶやいた。
「ねーちゃんとこの娘がさ、」
ニックがぽつりと言う。
「中1と、小3」
交差点をまたぐ幅広の横断歩道を、たくさんの人が歩き渡っていた。
「東京ですか?」
俺は尋ねる。
「そう」
ニックは答える。
「大田区蒲田」
棒読みみたいに言う。
信号が、青に変わり、「フクフクようちえん」が動き出した。
俺がそのときアクセルを踏んだ足は、無責任でなげやりな、力のない足だった。
それでもエンジンは動く。
俺たちの車は橋を渡った。
どっかで事故があったらしく反対車線が混んでいた。
「『概念の音姫』は」
スマホから、沼田の声が響いた。
「『全人類AV男優化計画』の一部なの」
ニックはスマホ画面を、運転席にいる俺の体に向けていた。
そこまでしなくてたってスピーカー設定にしてれば声は聞こえるのに向ける。
「ニンゲンを、ニョロニョロにするための」
「フクフクようちえん」が、右折レーンに入り停まる。
俺もそれに続き、車を停止させ、ウインカーを出す。
ウインカーがかちかちいいはじめ、「フクフクようちえん」のほうからも
同じ音が聞こえた。
2台の車は、ウインカーの作動音で同期した。
沼田の声を聞きながら、俺は想像する。
こういうとき沼田がやる癖を思い浮かべる。
沼田は腕を組む。口元に皮肉屋の皺をつくる。
「『概念の音姫』は、ニンゲンの」
かっち。
「本音とか」
かっち。
かっち。
「きもちとか」
かっち。
かっち。
「欲望とか」
かっち。
かっち。
「そういうものを、覆い隠しちゃうわけ」
かっち。
かっち。
「演じるだけの人形にする」
かっち。
かっち。
「子供のうちに」
かっち。
かっち。
かっち。
かっち。
「プールだけじゃだめなのか」
ニックが大きな声で言った。
「プールだけで、いいじゃねえか」
「プール?」
と沼田。
ニックが続けた。
「砂さらうだけでじゅうぶんじゃねえか。それで俺たち、食ってけるじゃねえか」
「ニック」
いーだ課長の声がした。
やけに静かな声だった。
「そのことは、あとで話そう」
「おめーは黙ってろ」
ニックがいーだ課長に言った。
「これも仕事よ」
いーだ課長のかわりに沼田の声がこたえた。
ニックが舌打ちした。
チラ見すると、ニックのもみあげが、青ざめていた。
話の途中だったけど、
ニックはスマホをダッシュボードに放った。
スマホはダッシュボードをしゅるっと滑り、フロントガラスとの境目に、すこんと音を立ててぶつかった。
ガラスの内側に、ニックのスマホの銀色の背中がうっすらと写っていた。
スマホの中で、沼田がまたなにか言って、それから笑ったような声も聞こえたけど、
もうなに言ってるか聞こえなかったし、なんで笑ってるのかもわからなかった。
沼田という女は、
東京の地下に砂を埋め戻すあまね君たちに協力してるのに、
『利害関係調査委員会』を味方するようなことも言う。
沼田ってもしかして、ヤリマン以上のサムシング。
「エモ山よぉ」
「あっす」
ニックはシートにもたれ、身をわずかにかがめていた。
「俺は見たぞ。プールに落ちた時」
ニックはもみあげを、ひとさし指で撫でた。
「砂が流れてた。ぐるぐる回ってた。プールの底に、濾過装置があんだよ」
「あっす」
俺はうなずく。
ニックもうなずいた。
「そこに向かってさ、砂と水が、ものすげー勢いで」
ニックが人差し指を立て、くるくる回しはじめた。
「渦巻いてた」
「渦?」
「渦」
ニックがうなずく。
俺は思い出す。
ニックがプールに落ちた時の、いーだ課長の慌てぶりを。
ニックが指をくるくる回し、
それに調子を合わせるみたく、ウインカーの音が大きくなる。
かっち。
かっち。
かっち。
かっち。
「あんなものに吸い込まれたら、生きては帰れねえ」
くるくる回す指を、ニックが俺の目の前に近づけてくる。
俺に催眠術でもかけようとしてるみたいに。
ウインカーの音は、それまで以上に大きく聞こえて、
いまや指のほうが、ウインカーのリズムに合わせてるみたいになった。
かっち。
かっち。
かっち。
かっち。
俺は顔を真反対にそむけた。
反対車線は渋滞していた。
「あれはまさに」
ニックは指を下ろすと、ごそごと片膝を抱えると、小さく言った。
「アリジゴクだった」
信号の下に黄色い矢印が出た。
許しが出たと同時に、「フクフクようちえん」が発進した。
そのあとに続く俺は、進む先よりも後ろを気にした。
対向車線にはコンテナを積んだトラックが、いらいらと連なっていた。
この場で俺が求められているのは、前に進むこと。
この場に必要なのは、
黄色い矢印の許しが消える前に、一台でも多くの車が右折できること。
混み始めてたけど、こっち側の車線はまだ渋滞ってほどじゃなかった。
渋滞が始まる前に、俺たちは、この道を抜けなきゃならなかった。
俺がアクセルを踏むせいでもしかすると、
俺の行ったことない場所で、会ったこともない弱いものの中で
なにかがひとつまたひとつ
死んでくかもしれない。
そう思ったけど、
黄色い矢印が出ていた。
俺の手はウインカーを消し、足はアクセルを踏み、俺たちは道路に吸い込まれて行った。
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