見出し画像

短編小説「エモーショナル怪人 エモ山」(45) 転生したらエモ山だった件


「俺は」
と、俺は言った。
「俺は」
とまで言って、鼻の奥がつんとした。

はっははっはと、「犬」が荒く呼吸していた。
毛むくじゃらの体が、小刻みに震えていた。

俺は「犬」を見て考えた。
俺はもしかすると「犬」の毛アレルギーなのかもしれない。

しかし俺は、その考えを信じたくなかった。
俺は前日着たワイシャツを、翌日も着られる男だからだ。
その俺が、「犬」の毛アレルギーかもしれないなどということは、
信じられなかった。

「俺は」
俺はことばを失った。

チーママが俺のことばを待っていた。
そのとき俺たちは、ふたりだけだった。
ドエムとどえむ君はいたけど、
そのときの俺にとってだいじなのはチーママだけ。

ただ、モーリシャスのことだけは遠かった。
モーリシャスにタコがたくさんいるという初耳情報が、
俺の心をもてあそんだ。
「つかみとる」というチャンス。

チャンスとタコ。
タコ&チャンス。
タコタコチャンチャン。
チャンスでタコスで、
タコチャンタ・コチャンス。

モーリシャスは、遠かった。
どこにあるのかも、知らない。
タコがいるのかも、知らない。
タコなんてどこにでもいそうだ、とも思う。

ぺろり。

と、「犬」が舌を出した。

俺の鼻の奥にノイズが走った。

はっはっはっはっはっはと「犬」が呼吸する。
目を閉じたまま、毛むくじゃらが震える。

俺はキッとして、ノイズにさからって、アーケードの天井を見上げた。
天井には、いつか雹が降った日にできたと思しき破れ目ができていた。
そこから光がタコチャンタ、俺の瞳はコチャンス射抜かれて、
光とらえたノイズは増幅し、口をこじ開け喉に突風通されて、
肺まで大きく膨らませ、俺の体は固まった。

タコチャンス。

「びえええっくしょい!」

我慢しようとしてタイミングがずれちゃって、
結果的にいつもよりでかいくしゃみが出てしまった。

その時の俺はきっと目を見開いていただろう。
「犬」の耳がびくりと持ち上がったのを俺は見逃さなかった。
俺のくしゃみに反応し、
「犬」の両たれ耳は巨鳥の翼のごとくいちど大きく広がって空気をはらんだ。
そしてまた、何事もなかったかのように、ひっそりと沈んだ。

動いたのは耳だけだった。
「犬」本体は、前肢に顎を乗せ、目を固く閉じていた。

チーママは、目を丸くしていた。
モーリシャスに飛んでいた心はあきらかに、アーケードに戻ってきている。

俺の体が熱くたぎった。
俺は、自分が信じられなくなった。

「あ、どえむ君、どえむ君、応答せよ」
ドエムの声が聞こえた。
「あ、どえむ君、どえむ君」

どえむ君がこたえた。
「お久しぶりです。何をしてますか?」
ドエムの声が苛立つ。
「お久しぶりじゃないんだよ」
「何をお手伝いしましょうか?」
「ですからね、こちらの皆さんに…」

「余は」
と、俺は言った。
「余は」
涙をにじませて、俺は言った。
「大きな音が、嫌いである」

「ん?」
チーママが首を傾げた。

「余は」
俺は鼻をすすり上げる。
「実はさんぽも、あまり好きではない」

「んん?」
チーママが、もっと首を傾げた。

「それから余は」
俺は自分の鼻をつまむ。
「UMAも苦手だな」
「ん?」
「ユーマ」
鼻をつまんだまま答えた。

チーママは、俺を見つめ、それからチーママの赤い唇は、
ぱかっと音を立てるように開いた。
しかしその口から声は出てこなかった。

鼻をつまんだ俺はやるせなくなり、息苦しくなって舌を出した。
口を開ければ呼吸は少し、楽になる。
やるせなさは俺の奥底からため息になって出てきた。
次から次へと出てきた。
たくさん出てきた。
俺は肩で息をしながら、チーママに言った。
「UMAとは、未確認動物のことである」

チーママが「犬」を見下ろした。
目を閉じた「犬」は微動だにしない。
俺は鼻から手を下ろす。
背中に汗をかいていた。

「UMAとは」
俺は言った。
「東京大学を出たバカ、実績のないコンサル、極薄インフォメーションを精神論と抱き合わせて販売する商材屋などのことである」
次から次へと出てくる。
「おそろしい存在である」

「おそろしい?」

俺はチーママにうなずいた。

「しかし」

俺はチーママを見つめた。
「実際に、存在するのである」

「どえむ君、どえむ君」
「はい、どえむ君です」
「ボカーね、どえむ君の存在をですね、みなさんに、ご紹介してですね」
どえむ君が音を出す。
「存在。それ自体が答えです」

「余は」
俺は肩で息しながら声を出す。
「存在。それ自体が答えである」

この声は、なんだろう。

俺のすぐ隣を老婆が歩きすぎていった。
ひしゃげたカートはからっぽで、ゆがんだタイヤが斜めに動く。
どんだけ使えば、あんなカートになるのだろう。
ゆがんだタイヤはいつまで回るのだろう。

目を閉じた「犬」が、体をぶるっと震わせた。
毛むくじゃらから、細い毛が舞い上がった。

俺は鼻で大きく息を吸った。
体をのけぞらせ、天井を見上げた。
次のノイズが、俺を元の俺に戻してくれることを願いながら。

俺はどこだ。


(続きはこちらから)




いいなと思ったら応援しよう!