短編小説「エモーショナル怪人 エモ山」(38)バカAIの改良とエレベーター
これまでのエモ山
「そんなはず、ないわ」
沼田ミソギの横顔がイラッついていた。
まっすぐな、長い廊下を、沼田は急いでいた。
ほんとうならここで沼田の火ヒールの踵はかつかつと、音を立てたほうが説得力がある。
けどここは『利害関係調査委員会』、ガリラヤ倉庫は音を吸収する素材でつくられている。
廊下は灰色のカーペットが敷き詰められている。
音も臭いも吸い込んでしまうカーペット。
沼田の足音は響かない。
「バカAIに、バカができないなんて」
おそらくカーペットってのは感情も吸い込む。
オフィスビルの廊下の端につくられた、ちょっと休憩するような場所、
飲み物の自動販売機とか、ベンダーなんか置かれてるような場所のカーペットが廊下よりも汚れてへたってすり減って、シミができているのは、ベンダーあたりのカーペットが、こぼれたジュースやコーヒーなんかといっしょに人間の感情を吸い取っているからだと俺は思う。
「バカAIは低確率を選ぶの」
速足で急ぐ沼田の横を、俺は歩いていた。
「ダメなほう、ダメなほうへ行くようにつくられてるはずなの」
廊下のカーペットは歩きやすくつくられている。
山とか谷とか穴とかのある廊下っていうのはあまりない。
それは廊下ってものがそういうふうにつくられることを前提としているから。
転ばず迷わず進んでいくための装置だから。
沼田は急ぎ足で進む。
「しかし」
俺は歩きながら頬を掻く。
「まともな」
急いでる沼田の横を歩く俺の速度は。
「文章しか作らなかったんです」
ぽりぽり。
「エモ山君、『まともな』って、どういうこと?」
「それは」
沼田は俺より背が低いから、歩幅も俺よりちょっとせまい。
せかせか歩く沼田の横を俺はゆっくりと歩く。
ぽりぽり頬を掻きながら。
自分の語彙の中に、「まとも」をうまく説明することばがないことに気づきながら。
ぽりぽり。
廊下の白い壁に、うっすらと、こすったような黒い線が見えた。
たぶんなにかが運ばれている時、その一部が壁にくっついて、それが押すか引くかされて廊下を直線移動したとき、壁にくっついた部分がこすれてできた横線なんだろうけど、
だれかがここを歩きながら引いた線みたいに見えなくもない。
俺は想像してみた。
たとえばここを歩いた誰かが、ポケットからこっそりと、鉛筆かクレヨンを出し、その先を壁に当て、そのまま廊下を進んでいく姿を。
小さくなっていく後ろ姿を。
線は残る。
俺が沼田を追い抜かさないのは、自分たちがどこに向かっているか俺が知らないから。
知らされてないから。
ついてこい、と沼田が俺に言ったのは、少し前。
廊下の直線をしばらく進み、沼田は角を曲がった。
急に視界が開け、俺たちは、突如うまれた退避スペースみたいな場所に出た。
そこには扉があった。
壁に埋め込まれた、銀色の、横開きの扉。
扉の横のスイッチに沼田の指が触れたとたん扉が開いた。
扉の中は、銀色だった。
それは、銀色のエレベーターだった。
上昇だか下降だか俺は知らないけど、おそらくは縦に動いるのだろう銀色の箱の中、俺たちは、なんとなくお互いわずかにそっぽ向き、一時的に共有する空間の狭さに耐えた。
鏡ってほどじゃない。銀色の壁には俺たちが、影みたく映っていた。
エレベーターは、上に行ってるのか下に行ってるのかわからなかった。
銀色の壁のどこにも電光掲示板的なものはなくて、停止階を選ぶボタンもない。
エレベーターの動いた距離は、扉が閉まる前にした最後の会話から、
沼田がもしかしたら口にするかもしれない次のことばの最初のひと文字目まで。
いや、そのひと文字目の前に、沼田が息を深く吸うまで。
エレベーターの銀色の壁に、沼田が映っていた。
黒いワンピースを着た沼田の体は、壁の銀色に溶け込んで、輪郭はあいまい。
どこまでも広がっていきそうだった。
ゆいいつはっきりと見えたのは、赤い唇。
けどその唇は、閉じたまま、ピクリともしなかった。
沼田の唇は、動かなかった。
そのせいかもしれないけど、俺は方向感覚をうしなった。
自分が上昇しているのか、下降しているのかが、わからない。
浮かび上がっているのか。
沈んでいってるのか。
俺は足元に目を落とした。
俺の革靴は、灰色のカーペットに乗っていた。
革靴の中で、俺は足指を、もぞもぞ動かしてみた。
そうやって、俺から時間を吸おうとするカーペットに抵抗しようとしたけど、
別にそんなことにそれほどの意味はなく、ただ息苦しくなっていくだけ。
カーペットが俺の息と時間をどんどん吸っていく。
俺はちょっと、あきらめに似た気持ちにもなった。
カーペットってものが、どこにでも敷かれていることを考えたからだった。
どこに向かうかわからないエレベーターの中で、
俺はエモツイートについて考えた。
エゴ山が小指立てて繰り出すクソみたいなエモツイートは、
エゴ山の顔の下にある女が、
つくるっていうか、ただ組み合わせてる。
だけなんだけど。
心のない女が、ただことばを、積み木みたく組み合わせてるだけだから。
実際は、単なる妄言なんだけど。
実際はひとりごとなんだけど。
俺は会話とかもしちゃってて。
女が「いる」ような気がしちゃってて。
くすくす。
聞こえてもいないのに、沼田が一瞬身じろぎし、
銀色の壁にうつる赤い唇も、ゆがんだ。
上に行ってるのか下に行ってるのかわからないエレベーターの中で、
俺は、沼田のことばを頭の中で反芻した。
「『まともな』って、どういうこと?」
同じことばがバウンシー。
「『まともな』って、どういうこと?」
ゴムボールのように跳ね、俺の手に、戻ってきた。
戻ってくるたびに、いつも同じことば。
「『まともな』って、どういうこと?」
ボールが壁に当たり、戻ってくる。
「バカAIは低確率を選ぶの」
「バカAIに、バカができないなんて」
俺の脳内で沼田のことばが遡っていくところをみると、
もしかするとエレベーターは下降している。
「『まともな』って、どういうこと?」
でもまたこのことばが出てくるところをみると、エレベーターは、回っている。
同じところをぐるぐると。
ボールが壁に当たりカーペットに落ちて。
あ。
受け止めようと広げた手のひらに、ボールは返ってこなかった。
俺は天井を見上げた。
考えた。
もしかするとエレベーター、動いてないって可能性もあるな。
どうする?
動いてると思ってたけど実際は動いてなくて、
ずううううううっと同じ場所で、ぼけーーーーっとしてるだけ、
だったとしたら。
なーんて思ったとき、
ピコン
と音がして、銀色の扉が開いた。
(続きます)
