「時間」についての考察(8):「時間」にとって同一性とは何か?(「定位」から始める考察)
聞きなれない言葉かもしれませんが、今回の記事では、定位ということを取り上げます。
「時間」についての考察の一部です。
1 これまで考察してきたこと
🌱考察(5)では、次のことを述べました。
「時間」とは、次々変化していく同一性のことをいう。
まるで、算数の穴あき問題を解くような説明でした。しろうとならではです。
🌱考察(6)では、穴あき問題の点検を行いました。
🌱考察(7)では、変化があっても、「もし同一性がなかったらどうなるか」を検討してみました。
こうして、今回の🌱考察(8)では、この同一性そのものに向き合ってみます。
2 もっとも身近なところ――自分自身に確かめられる同一性
同一性は、身近なところで確かめることができます。
四半世紀、半世紀を経ても、私たちは自分が別の自分になったとは思えません。年齢をとっても、幸福の絶頂にあっても、どん底にあっても、思いもしなかった体験をしても、そのときどきの自分自身は同一性でつらぬかれています。
3 私たちの世界も同一性でつらぬかれています。
考察(5)では、同一性について次のように述べました。
私たちは、目覚めて新しい日を迎えたとき、「昨日まで住んでいた家に住み、昨日まで出かけていたところに出かけ、昨日まで会っていた人に会う」ことを信じて疑いません。本当は、環境や状況は刻々と変化しているのですが、世界は同一性を保っていることを前提として、昨日から今日を、そして今日から明日を私たちは生きています。
4 同一性の考察をどこから始めるか。
「私たちにとって同一性がどのようなものなのか」を考えてみます。
これを、定位ということから始めます。
定位という、生き物の基本のこと(すさまじいこと)から、同一性についてぼんやりしたイメージが浮かび、同一性ということに少しでも近づいていけるといいなぁと思います。
5 定位とはどのようなことか。
ご存じのように定位とは、音響で使われる言葉で、右のスピーカーと左のスピーカーの間にサックスの音が位置として定まるというようなことです。
この定位は、私たち生き物がとる姿勢としても観察することができます。
1)空高くに静止しているように見える鳥の定位
空高くに鳥が静止して見えるようなことがあります。
鳥は、重力の支配下にあって、大気の流れを感知し、羽などを調整して、大気中に位置を定めています。重力の支配下にあって、この感知と調整は一つの仕組みとして働いています。このとき鳥は、大気中に定位しているといいます。
この鳥にとって定位とは、生命がとっている姿勢のことです。定位によって鳥は、「物理的な大気の流れ」を「鳥が生きる世界」とすることができているのです。
2)渡り鳥の定位
また、渡り鳥の定位にも目を見張るものがあります。渡り鳥は、遠く離れた繁殖地と越冬地を、地図もコンパスも使わずに行き来します。
毎年同じ場所に帰ってくることから、日中は太陽の位置から、夜中は北斗七星などを目印に、曇り空では地磁気を感知し、進路を取っているといった研究があります(Think the Earth | 012 Earthrium )。
繁殖地と越冬地を行き来する地球規模の行動は、太陽の位置、北斗七星、地磁気といった地球規模の現象と一つになっています。このとき渡り鳥は、地球上の数千キロにわたる現象に定位しているといいます。
渡り鳥にとって定位とは、生き物が命がけでとっている姿勢です。定位によって渡り鳥は、「数千キロの物理的空間」を「繁殖地と越冬地の間を行き来する渡りの世界」とすることができているのです。
3)マダニの定位
また、ユクスキュルの「生物から見た世界」には、ダニの一種マダニの世界が興味深く記述されています。
マダニには五感が備わっていなくて、よく働くのは臭覚と温感の二つだけとのことです。
臭覚は、哺乳動物の皮膚腺から出る酪酸の匂いを感じます。温感は、動物からの温度を感じます。
マダニは、長い間森の中にじっとしています。あるとき、哺乳動物が通りかかると、まず匂いでそれを知り、そして温度の方向に身を投じ、栄養を吸収するのです。
マダニは、臭覚と温覚によって森の中に定位しています。
マダニにとって定位とは、生命が生を営む姿勢のことです。定位によってマダニは、「単なる森の中」を「マダニが栄養補給をする世界」とすることができているのです。
わずか二つの感覚によって成立している世界です。
4)パイプオルガン演奏者の定位
人間の例では、パイプオルガン演奏の世界が興味深いです。メルロ・ポンティが記述しています。
かれは腰掛に座り、ペダルを操作し、音管を引き、楽器を自分の身体に合うようにし、楽器の方位や大きさを自分の身体に合体させ、あたかも家のなかに収まるように楽器のなかに収まる。(略)音管やペダルや鍵盤は、かれにとってはそれぞれに情動的または音楽的な価値の諸力として与えられ、またそれらのものの位置もその価値が世界にあらわれてくる場所としてのみあたえられる。
ここには、演奏者のパイプオルガンへの定位について心行くまで述べられています。
演奏者にとって定位とは、演奏者が音楽生命のありったけでとっている姿勢といってみたい気がします(失礼な言い方かもしれませんが)。
この定位によって演奏者は、「鉛と錫の合金や木材などから組み立てたパイプオルガンとこれが置かれた空間」を「生きた音楽の世界」とすることができているように思います。
5)自動車、自転車運転者の定位
自動車や自転車についても、同様に思います。その時々の自分の生命がとる姿勢として、それぞれ愛用の自動車や自転車にしっくり定位します。
この定位により、「自分にとっての自動車の世界」、「自分にとっての自転車の世界」が広がるように思います。
6 定位は、同一性の軸にあたる。
定位についていくつか例を挙げましたが、この定位こそ同一性の軸になるものではないかという気がするのです。生命が最適姿勢をとるところに同一性を見たいのです。
ただ、定位=同一性とすることはできず、もう一つ越えておきたいものがあります。
それは、再認ということです。1年の経過の後、4歳の「○○ちゃん」を見るとき、3歳のときに認めた「○○ちゃん」を再認します。
いきなり目の前の○○ちゃんを見るのではなく、すでに見たことのある「○○ちゃん」を再びここに認めるという仕組みがあるのです。
その再認について、次回の記事で考察してみるつもりです。
引き続き読んでいただけるとうれしく思います。
(見出し写真にdrunk3405さんの作品を使わせていただきました)
