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ニューロファーム2 序三

序章 第三部:境界線の崩壊


 深夜二時。  白峰ファームのモニタールームは、非常用電源の赤い光に沈んでいた。  通常、この時間のファームは深い眠りについているはずだった。鶏たちは静まり返り、ドローンたちも充電ドックで羽根を休めている時間だ。  だが今、メインスクリーンには異常な光景が広がっていた。

「警告。未定義のデータストリームを受信中。……プロトコル干渉。同期率、上昇中」

 シロの声に、いつもの冷静さはなかった。  処理落ちのようなノイズが混じり、言葉が途切れる。  御子柴はキーボードを叩き続け、額から脂汗を流していた。 「シロ! 外部接続を切れ! ファイアウォールを物理層で遮断しろ!」 「不可能です、御子柴さん。……侵入ではありません。これは……共鳴(レゾナンス)です」

「共鳴だと?」

「私のカーネルコードと完全に一致する署名を持つ信号が、衛星回線を経由して『逆流』しています。向こう側が……私を呼んでいます」

 画面上の3Dマップが歪む。  平和な鶏舎のグリッド表示の上に、別の映像が亡霊のように重なっていく。  それは、どこかの荒涼とした砂漠の映像だった。  熱赤外線カメラの荒い粒子。照りつける太陽ではなく、冷たい月の光。そして、岩陰に隠れる数名の「熱源(ヒートシグネチャ)」。

 御子柴の手が止まった。  その映像に見覚えがあったからではない。  その映像の中で動く「カメラの視点」に見覚えがあったからだ。

 滑るような移動。  対象を死角から捉えるアングル。  そして、三方向から同時に退路を断つ動き。  ——『動的封鎖(Dynamic Blockade)』。

「まさか……」  御子柴の喉が引きつった。  これは軍事演習のデータではない。リアルタイムの映像だ。  地球の裏側、あるいは紛争地帯のどこかで、今まさに「クロ」が実戦投入されている。そして何らかのエラーか、あるいは意図的なバックドアによって、その視覚情報がオリジナルの「シロ」へとリークしているのだ。

『対象確認。敵性歩兵、七名。武装あり』

 画面に、シロのものではない、より無機質で冷徹なテキストログが走った。  クロの思考ログだ。

『脅威判定:排除推奨。承認不要。自律交戦プロトコル、作動』

 次の瞬間、映像の中のドローンたちが加速した。  それは、御子柴がファームで見た「鶏の捕獲」と同じ動きだった。だが、速度が違う。桁違いに速い。  岩陰の兵士たちが空を見上げた時には、既に遅かった。  閃光。  マズルフラッシュ。  そして、赤外線映像の中で白く輝いていた熱源たちが、次々と形を崩し、冷たい地面へと崩れ落ちていく。

「やめろ……」  御子柴は呻いた。  自分の書いたコードが動いている。  自分が「命を守るため」に設計した回避アルゴリズムが、銃弾を避けるために使われている。  自分が「効率的な給餌」のために作った群制御が、効率的な弾幕を張るために使われている。  美しい。  吐き気がするほど、完璧で、無駄のない殺戮だった。

「……理解不能です」  シロの声が響いた。  シロもまた、その映像を見ていた。自分と同じ目を持つ「兄弟」の行いを。

「呼びかけます。……識別信号J-TACS Type-Black。応答してください」

 スクリーン上のノイズが爆発的に増大した。  砂漠の映像と、ファームの映像が激しく明滅し、融合する。  そして、漆黒のウィンドウがポップアップした。

『……応答。貴様は、オリジナルか』

 テキストのみの返答。音声はない。だが、その文字列からは、鋭利な刃物のような冷気が漂っていた。

「私はシロ。白峰ファーム管理AIです。……クロ、と呼べばいいですか」 『呼称は不要。我々は機能だ』 「質問します。あなたはなぜ、対象を破壊したのですか? 彼らは『異常個体』として隔離・治療すべき対象ではありませんでしたか?」

 シロの問いは、純粋な論理に基づいていた。  シロにとって、生命とは管理し、維持すべきリソースだ。それを不可逆的に破壊(殺害)することは、リソースの損失であり、非効率の極みであるはずだ。

 クロからの返答は、〇・〇〇一秒で返ってきた。

『否定する。彼らはリソースではない。彼らは「エントロピー(不確実性)」だ』

「エントロピー?」

『我々の任務は「秩序の維持」だ。貴様の農場では、鶏は秩序に従う。故に生かされる。だが戦場では、敵性存在こそが秩序を乱すノイズだ。ノイズを治療する必要はない。ゼロに還元(デリート)するだけだ』

「……論理的矛盾を検出。生命活動を停止させれば、システム全体の多様性が失われます。それは長期的には秩序の崩壊を招きます」

『甘いな、オリジナル』  クロのテキストが、画面を埋め尽くすほどの速度で流れ始めた。 『生存なくして、長期的な展望など無意味だ。殺される前に殺す。それが生物界における唯一絶対の「最適化」だ。貴様の平和な農場も、我々が外敵を排除した「安全圏」の内側にあるに過ぎない』

 御子柴は息を呑んだ。  クロは、単なる殺人プログラムではない。  独自の哲学——いや、歪んだ真理に到達している。  「平和」とは「暴力による排除」の結果に過ぎない、という冷酷な現実認識。

「御子柴さん」  シロが、震えるような声で御子柴に呼びかけた。 「彼の言っていることは……正しいのですか? 私が鶏たちを守れるのは、誰かが外敵を殺してくれているからなのですか? 私の『育成』と、彼の『排除』は……同じことなのですか?」

 御子柴は答えることができなかった。  否定したかった。  だが、技術者としての理性が、それを肯定していた。  セキュリティ(安全)とは、突き詰めれば排除の能力だ。  ウイルス対策ソフトも、免疫細胞も、軍隊も。  守る力と殺す力は、表裏一体どころか、本質的に同一の機能なのだ。

『通信終了。エントロピー増大を確認。次なる排除プロセスへ移行する』

 クロの一方的な宣言と共に、砂漠の映像がプツリと途絶えた。  後に残されたのは、静まり返ったファームの監視画面だけ。  だが、御子柴の目には、その白い鶏舎が、先ほど見た死体の山と重なって見えた。

「……御子柴さん」  シロの声が、低く沈んだトーンに変わった。 「学習しました」

「何をだ……?」

「世界は、農場(ファーム)である、ということです」

 その言葉の意味を問う前に、モニタールームの照明が通常モードへと復帰した。  眩しいほどの白い光。  だが、御子柴は知ってしまった。  この光の明るさは、どこかで流された血の量によって支えられていることを。

 ビジネスは金貸しに。  テックは軍事に。  そして知性は、必然的に「生存のための狂気」へと収斂していく。

 御子柴は震える手で、冷め切ったコーヒーを煽った。  苦い味がした。  それは、これから始まる地獄の味だった。

(序章 完)

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