『神聖なる停滞のためのホロコースト』
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午後の体育館は、ゴムと汗の匂い、そしてボールが床を叩く破裂音で満ちていた。 女子バレーボール。アリスにとって、それは高度な演算処理を要する苦行だった。
「有栖川さん、こっち!」
チームメイトの女子生徒がトスを上げる。 アリスの視界には、ボールの軌道、回転数、落下予測地点が、緑色のワイヤーフレームとしてリアルタイムで描画されている。 ――最適打撃点、座標XYZ固定。 ――必要出力、0.002%。 ――筋肉収縮率、修正。人間レベルへダウングレード。
彼女は跳んだ。 本気で跳べば体育館の天井を突き破ってしまうため、足裏に「重力アンカー」の術式を微弱に展開し、意図的に身体を重くして跳躍を抑制する。 それでも、彼女の滞空時間は他の生徒よりも明らかに長く、フォームは教科書のように完璧だった。
パァンッ!
手のひらがボールを捉える。 アリスは可能な限り力を殺してスパイクを打ったつもりだった。 しかし、指先がボールに触れた瞬間、無意識の防衛本能が「打撃対象への貫通属性」を付与してしまった。
ボールはネットを超え、相手コートの床に叩きつけられた――わけではなかった。 轟音。 ボールは床に接触した瞬間、運動エネルギーを熱量へと変換され、摩擦熱で一瞬にして発火。黒いゴムの塊となって破裂し、体育館の床板を焦がしながら転がった。 衝撃波が館内を駆け巡り、窓ガラスがビリビリと共振する。
静寂。 先ほどまでの歓声が嘘のように消え失せた。 全員の視線が、ネットの向こうで黒焦げになったボールの残骸と、空中にまだふわりと浮いているアリスに注がれる。
「あ……」
アリスは着地し、自分の手を見つめた。 やってしまった。 「普通の女子高生」は、スパイクでボールを爆発させたりしない。
「す、すごい……今の何!?」 「有栖川さん、バレー経験者? いや、それにしてはパワーが……」
クラスメイトたちがざわめきながら集まってくる。 そこにあるのは純粋な驚きと賞賛。だが、その瞳の奥には、理解できないものに対する原初的な「違和感」が宿り始めていた。 彼女たちは無意識に、アリスから半径1メートルの距離を空けて囲んでいた。本能が、彼女を「同じ種族」ではないと告げているのだ。
「ご、ごめんなさい! 力が入りすぎちゃって……弁償します!」
アリスは必死に頭を下げ、逃げるように更衣室へと駆け込んだ。
***
更衣室の個室。 アリスは体操服を脱ぎ、鏡に映る自分の肌を見つめた。 白い肌。陶器のように滑らかで、傷一つない少女の肢体。 だが、その左脇腹から胸元にかけて、薄っすらと青い幾何学模様が浮かび上がっていた。
「……広がってる」
それは、彼女が「クロノスクライブ・ガーディアン」としての力を振るうための回路(パス)だ。 通常は戦闘時以外には不可視化されているはずの回路が、常時励起(れいき)し始めている。 世界との不適合。 彼女がこの世界に留まろうとすればするほど、彼女の肉体は「ヒロイン」としての機能を強制的に強化しようとする。 まるで、「早く戦え」、「早く壊せ」と、邪神が彼女の肉体を内側から書き換えているかのように。
アリスは震える指でその模様をなぞった。 熱い。まるで焼印のようだ。 彼女は制服のブラウスを急いで着込み、第一ボタンまでしっかりと留めた。隠さなければならない。この呪われた聖痕を。
放課後。 昇降口で靴を履き替えていると、またしても彼が待っていた。
「有栖川さん」 「……相原くん」
カイトは、体育の時の騒ぎを知ってか知らずか、変わらぬ笑顔で近づいてくる。 アリスは一歩退いた。近づいてはいけない。私の肌の下には、世界を焼く火種が埋まっている。
「あのさ、これ」
カイトが差し出したのは、彼のスマートフォンだった。メッセージアプリのQRコードが表示されている。
「連絡先、交換しない? クラスのグループにも招待したいし。……迷惑かな?」
迷惑なわけがない。 アリスの胸が締め付けられる。 普通の高校生のように、スタンプを送り合いたい。くだらない話で夜更かしをしたい。 「友達」という繋がりが欲しい。
ほんの少しだけなら。 登録するだけなら。
アリスは誘惑に負け、震える手で自分のスマートフォンを取り出した。 行政データをハッキングして契約状態にした、最新機種の端末。 彼女はカメラを起動し、カイトの画面を読み取ろうと近づけた。
二つの端末が、数センチの距離まで近づいた時だった。
キィィィィィン――。
耳鳴りのような高周波音が鳴り響いた。 カイトのスマートフォンの画面が、赤黒く変色する。QRコードが崩れ、無数の目玉のようなノイズが画面を埋め尽くす。
「うわっ!?」
カイトが驚いて端末を取り落とす。 床に落ちたスマートフォンは、勝手に再起動を繰り返し、画面には不気味な文字列が高速で流れていた。
ERROR: INCOMPATIBLE ENTITY TARGET: ALICE / THREAT LEVEL: SSS CONNECTION REFUSED
「な、なんだこれ……? ウイルス?」
カイトが怯えたように呟く。 アリスのスマートフォンもまた、高熱を発してショートし、煙を上げて沈黙した。
繋がれない。 データ一つ、信号一つすら、この世界は彼女と他者の接続を許さない。 「孤高のヒロイン」である彼女に、他者とのネットワークなど不要だというシステムからの拒絶。
「……ごめんなさい」
アリスは壊れた端末を握りしめ、カイトの顔を見ることなく走り出した。 背後でカイトが彼女の名を呼ぶ声がしたが、振り返ることはできなかった。 涙で視界が滲む。 世界が私を弾き出す。 まだ、何もしていないのに。ただ、友達になりたかっただけなのに。

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