【Face to Face】平和の味
列車の中で食べる駅弁は地域の素材を生かし文化と風土を詰め込んだものだが、その味は戦争がない平和な時代だからこそ味わえるものだと思う。

本格的な梅雨の季節となる6月になりました。梅雨に入る前の5月は、爽やかさを感じる季節だと期待していました。しかし、結果的には朝晩の寒暖差があったり、暑さと寒さを繰り返す日もあったり、また雨が降る日も多くあったりしたことから、既に梅雨に入ってしまったのではないかと思ったりもしました。私が子供の頃は季節感がハッキリしていて、季節の変化と1年の月の移り変わりが合致していたように思いました。現在では、地球温暖化の影響もあり、毎年、気候が変化しているように感じます。その様に感じていても、近年の夏の猛暑を考えると、この時期に旅行に出かけたりすることは最適だと思います。
●不急旅行の全廃
先日、日経新聞の「春秋」というコラムに「不急旅行の全廃」というキーワードが載っていました。この言葉は第2次大戦下の日本において、掛け紙(掛紙とも記載)と呼ばれる駅弁の包装紙に書かれていた言葉だそうです。さらにこの言葉に続けて、「全輸送力を戦力増強のために」と書かれていたそうです。今では想像もつきませんが、当時は駅弁も戦意高揚の一翼を担ったようです。福井県立歴史博物館には、5,000枚を超える駅弁の掛け紙が所蔵されているそうです。この掛け紙を見ようと思い、博物館を訪ねてみましたが、残念ながら見ることはできませんでした。所蔵されているものは企画展示などで展示される時に見ることができるそうです。次に展示される機会があれば見たいと思いました。どのような掛け紙があったかを少しでも探ってみたくて、福井県の博物館を紹介するサイトの中で、「よもやま話」というコーナーに掛け紙についての記載をみつけました。「駅弁の掛紙 〜歴史資料としての有効性について〜」というタイトルで、福井県立歴史博物館の方が掛け紙の歴史について記載していました。







●掛紙と戦争
最初の駅弁の掛紙が、いつ頃から始まったのかは定かではないようですが、博物館が所有している最も古い掛紙は明治30年代のものだそうです。初期のものは、図案は単純な短冊で製造元の宣伝広告的なものだったようです。それが明治36(1903)年には、様式が大きく様変わりしました。弁当、鮨、サンドイッチ等の包装には、種類、等級、代価及び製造店名を印刷するように定められ、また、販売する駅の周辺の名所や旅客案内となるようなことも記載するよう従業心得に定められたそうです。それ以降の掛紙の図案はバラエティーに富み、時の社会の様相を写し出すようになったようです。第2次大戦前には、日本本土のみではなく、樺太や朝鮮半島といった当時日本の領土であった地域の駅弁も、同じような掛紙が用いられていたそうです。戦争に突入し、戦争を中心にして社会が動き出す頃には、先ほど述べたような戦意高揚の一翼を担った内容の掛紙が主流になり、鮮やかな色づかいも洒落たデザインもなくなっていったようです。駅弁の掛紙は、民間会社が弁当の包み紙として作成していたものですが、鉄道事業という国が運営する事業であったため、国の統制を受けやすいものであった思います。
●旅は軍隊を意味する
私たちが旅行に出かける場合は、電車などの乗り物に乗ることが多くあります。時には座席にのんびり座って駅弁を食べているのではないでしょうか。ゆっくりと駅弁を食べることも旅行の楽しみの一つだと思います。その旅行という言葉の「旅」という漢字は、もともと「軍隊」を意味する言葉だったことを知っていますか。漢字の成り立ちは、現在では使われていませんが、旗が揺らめいている様子を表す「(えん)」と、人が並んでいる様子を表す「从(じゅう)」を組み合わせた字でした。旗の下に人々が並んで隊列を組んでいる様子を表現しているものです。それが、やがて単に移動することを示す「たび」を意味するようになったそうです。駅弁を食べながら旅を楽しむということは、平和な時を過ごせているということだと思いますが、その「旅」という漢字は、戦争を連想させる「軍隊」を意味する言葉であったとは皮肉なものですね。
●峠の釜めしの思い出
戦争が終わり、平和な時代が訪れ駅弁は全盛期を迎えるようになっていきます。当時の列車は今のような高速のモノではなく、また停車する時間も長かったので、列車の窓を開けホームの弁当売りとやりとりすることも多くありました。その後は、鉄道高速化の時代になってきて、列車の窓から弁当を買う風景も少なくなっていきました。そのような時代に、私は駅弁を停車した駅で買うという経験をしました。ちょうど私が大学受験のため特急列車で東京へ行くときに、停車した横川駅で「峠の釜めし」を買ったことです。その当時、特急列車でも急坂の峠を越えるためには、先頭に機関車を連結して峠を登る必要がありました。連結を行う駅での停車時間が長かったので、多くの旅客が駅で釜めしを買っていました。その駅も、新幹線の開通によって鉄道の一部が廃止となり、列車が通過しない終着駅になったため、釜めしの販売は激減したそうです。現在では、「峠の釜めし」は高速道路のサービスエリアやドライブインなどで販売されているほか、上越新幹線沿線の売店でも新たな掛け紙がかけられ販売されているそうです。駅弁としての販売方法は時代の流れとともに変わってきましたが、釜めしという伝統の味は今も変わらず伝わっていると思います。
●平和という味
駅弁は言葉の通り、駅で販売される弁当のことです。鉄道の旅を楽しむための一つのアイテムとして作られたと思います。その鉄道も高速化が図られ、駅で停車する時間も短くなっていきました。途中駅で駅弁を購入するという機会は少なくなり、乗車する駅で弁当を買って乗り込むというものに変わりました。鉄道の高速化は、鉄道の旅を楽しむというよりは、観光地への移動の利便性へと変化していきました。この移動の利便性は、ビジネスマンにとっても重要なものになったのではないでしょうか。移動中に食事もできるため、出張先での時間を有効に活用できるようにもなりました。列車内で食べる駅弁の味をビジネスマンがどのように感じているかは分かりませんが、戦争がない平和な時代だからこそ味わえるような味ではないかと思います。世界のどこかで戦争が続いています。日本も戦争を経験した国ですが、その事実を知る人は少なくなっています。駅弁の味の感じ方は、人それぞれだと思いますが、それが戦争のない平和というものの味だと思います。それぞれの地域の素材を生かし、小さな器に文化と風土を詰め込む技は日本人の力だと思います。
●旅行も平和の証(あかし)
私は駅弁というと、先にも述べた列車の窓を開け弁当を買うという風景を連想します。その時の列車は蒸気機関車(SL)がいいなとも感じてしまいます。窓の開く客車を曳いて、その客車では駅で買った駅弁を食べているというものです。そんなSLが走る姿を見たくなり、栃木県の真岡市へ行ってきました。真岡鐡道真岡線では、土日に下館駅と茂木駅間を1日1往復、C1266蒸気機関車の「SLもおか」を運行しています。一度、姿を消したSLを復活させたのは、豪快な走りを通じて子供たちに夢とロマンを与え、また沿線のイメージアップや地域活性化を目ざしたいという真岡市の思いがあったからだそうです。SLが走っている姿を見ていると、ゆっくりと流れる車窓の景色を眺めながらのんびりと旅をしてみたいなと感じました。





最近では、列車がホテルになったような豪華な寝台特急も出現し、1泊2日という長い時間を乗車して旅行を楽しむようなこともできるようになりました。

列車を利用した旅行の形態は時代とともに変化していき、列車の中での過ごし方も様々になると思います。これも戦争がない平和な時代の証だと感じます。列車の中での過ごし方や過ごす中での駅弁の味は、平和な時代の味ではないでしょうか。列車に乗りながら平和の味を噛みしめたいと思いました。
