国立映画アーカイブの活動にご支援を
国立映画アーカイブとは
国立映画アーカイブ(National Film Archive of Japan=略称NFAJ)は、70年以上の歴史を背負う、日本で唯一の「国立の映画専門機関」です。
もとは、1952年(昭和27年)に設置された国立近代美術館の映画事業(フィルム・ライブラリー)に始まり、「東京国立近代美術館フィルムセンター」での活動を経て、2018年(平成30年)4月、独立行政法人国立美術館の6番目の館として設立に至りました。
映画を対象とした収集・保存活動を中心に、調査研究、国際連携、教育普及事業なども通して、映像文化の振興をはかる拠点として活動しています。
当館で収集した映画作品は、館内のホールでの上映を中心に、全国各地での巡回上映や共催上映、映画館への貸出を行い、戦前の文化記録映画などは配信での公開も行っています。映画関連資料も、展示や図書室での公開をはじめ、オンラインでの公開もしています。
【クラウドファンディングに挑む理由(館長:とちぎあきら)】
【館長のとちぎあきらが語る、クラウドファンディングに挑む理由】
Our Mission Is to Archive the Memory of Mankind
国立映画アーカイブに、なぜいま資金が必要か。
本日開始したクラファンにかける思いや背景を説明しています。
国立映画アーカイブは現在、運営費全般(資料の収集・保存・修復・復元、上映・展示等の公開事業等)を募るクラウドファンディングに挑戦しています。
守らなければならない貴重な映像フィルムを管理している
国立映画アーカイブの国からの予算がカットされてしまったそうです。
そんな馬鹿な話がありますか?
コメ欄より
>国はおかしい 日本の文化歴史芸術を消す方へ動いている 日本人1人1人日本のために、動かなければいけない
>「国立」なのにクラファンが必要なのはおかしい。「クールジャパン」の名のもとに500億の赤字を出し、しかも実態は外国映画のグッズ屋を運営するなどふざけたことをして来たのに、日本の映画文化のアーカイブには5億弱しか出せないという。 日本政府はどうかしている。
使命は人類の記憶を繋ぐこと。国立映画アーカイブの活動にご支援を
寄付募集は9月23日(水)午後11:00までです。
国立映画アーカイブ National Film Archive of Japan
こちらがYouTubeチャンネルです
とても貴重な動画を見ることができます。
その中からいくつか紹介を
【全篇】『禮儀作法』1930年|「フィルムは記録する」より ‘Film IS a Document: NFAJ Historic Film Portal’
『禮儀作法』 (レイギサホウ、1930年) 文部省 25分, 白黒, サイレント
冒頭に「從來行はれてゐた作法の各流派の何れにも偏することなく且つ形式に拘泥せず其の精神を取って可成現在の實際生活に適合する様製作したもの」とあるように、姿勢にはじまり、座り方、お辞儀の仕方、神社の参拝、訪問や取次時の対応や案内、お茶やお菓子の勧め方や受け方など、日常生活における様々な基本的作法を紹介する教育映画。
…やはりこの頃の日本の所作はきれいですね✨
【全篇】『南の島 琉球』1934年|「フィルムは記録する」より ‘Film IS a Document: NFAJ Historic Film Portal’
『南の島 琉球』 (ミナミノシマ リュウキュウ、1934年) 大阪毎日新聞社 16分, 白黒, サイレント
沖縄の名所旧跡、産物、人々の暮らしや自然を紹介する大阪毎日新聞社フィルムライブラリーの教材用映画。
本作を使った地理の学習指導案を提案する参考文献(『最新映畫敎育の動向と實踐』)では、「撮影手法は餘り上等ではないが地理學的の素材としては現代地理映畫の模範と考へてよい」と評されている。
映し出されるのは首里城、「世衰の墓」と表示される浦添ようどれ、真玉橋、墓所、壺屋の陶器作りの様子、那覇港と市場の賑わい、農村の機織り、サトウキビ畑と馬を動力に使っての圧搾作業、旧正月20日の尾類(ジュリ)馬行列、村芝居の踊り、ハブ、台風の脅威、糸満の町並み、サバニという木造舟を使った出漁、働く女性たちの姿、戻った舟から漁獲物を分ける様子などで、元素材の状態は良好とはいえないが、戦前の沖縄の貴重な記録のひとつといえよう。
…こちらも戦前の琉球の映像で貴重だと思います
【全篇】『大正十二年九月一日 帝都大震災大火災 大惨状』1923年|「関東大震災映像デジタルアーカイブ」より ‘Films of the Great Kanto Earthquake of 1923’
『大正十二年九月一日 帝都大震災大火災 大惨状』(タイショウジュウニネンクガツツイタチ テイトダイシンサイダイカサイ ダイサンジョウ)
作品クレジット=東京シネマ商會[撮影]、芹川勢三、白井茂[撮影技師] 作品仕様=27分、白黒、サイレント
協力=千束八幡神社 「関東大震災映像デジタルアーカイブ」では、震災発生100年に向けて、国立映画アーカイブが所蔵する約20作品の震災関連映画を、随時アップしてまいります。いま必要とされる災害記録としての関東大震災の記録映像から、より多くの情報を読み取っていただくガイドとして、ぜひ「関東大震災映像デジタルアーカイブ」をお訪ねください。
【全篇】『日本』 1934年|「フィルムは記録する」より ‘Film IS a Document: NFAJ Historic Film Portal’
『日本』 (ニッポン/ニホン、1934年) 東京日日新聞社、大阪毎日新聞社 64分, 白黒, サイレント
時事的な出来事、東京の街と数々の建築物、地方の名所や港、様々なスポーツ、教育機関などの施設、各種の工場、陸海軍の活動など、日本社会を多様な面からとらえた日本紹介映画。場面によって画質やフィルムの速度にばらつきがあり、本作のために撮影された素材以外にも様々な作品のフッテージが使われたとみられる。多岐にわたる話題の多くは短い紹介にとどまる一方、冒頭で皇居前広場を見せてから、1934年3月1日の帝政移行から間もない満洲国から特使として来日した鄭孝胥国務総理大臣の東京到着(参考文献『東京朝日新聞』1934年3月26日発行27日付夕刊)に移り、麻布の満洲国公使館前で溥儀の皇帝即位を祝う人々を前に丁士源公使が言葉を述べる場面(参考文献『讀賣新聞』)が続く構成や、陸海軍の紹介など軍事的内容の扱いが大きい点に特徴が認められよう。浅草の映画館街の場面は上映作品から1934年6月頃の撮影と判断され、終結部近くの観兵式は本作の製作時期と参考文献(『朝日新聞』1933年1月9日付)から1933年1月8日の陸軍始ではないかと推測される。なお、陸軍戸山学校の紹介のあとに挿入される1937年8月の日本軍の北京入城に関わる場面は撮影時期に隔たりがあるだけでなく中間字幕の書体が異なり、また日本国外の出来事であるなど構成上でも編集上でも不自然な印象が否めず、本来は含まれない場面だった可能性が考えられる。検閲時報には暹羅(タイ)向けの輸出を目的としたフィルムの記録が残るが、ロシア・ゴスフィルモフォンドに保存されていた元素材の中間字幕は「東京駅」が「東京車站」とされるなど、すべて中国語表記となっている。
これもとても貴重な映像です。
こういう貴重な映像こそ、国費で守らないといけないものだと思います。
なぜ国はこういったところから予算をカットしていくのでしょうか?
一旦失われてしまったら、未来永劫取り戻すことは出来ません。
本当におかしな国だと思います。
こちらが国の方針です
国立博物館や美術館に収入目標、未達成なら閉館含め再編検討…30年度までに文化庁
国立の博物館や美術館がなくなる?文化庁の新方針が波紋
>つボイ「日本の歴史や文化を大切にするため、『予算を切ろう』とする行為は慎重にしてもらいたい」
ほんとそのとおりです。
他にもたくさん貴重な映像があります。
もしご関心を持っていただけたなら、クラファンのご協力
お願いいたします。
