2084年、社会から“消された”…それでも生きている~カエデのノート・エピソード1~
先日投稿した短編小説の登場人物「カエデ」のエピソード短編小説です!
見えない街の住民票
──存在しない者として生きる──
※この物語はフィクションです。ですが、もしかしたら近未来のどこかで、あるいはすでに誰かの身に起きているかもしれません。どうか、あなたのすぐそばにも、そっと目を向けてみてください。
カエデのノート ―存在しない私と、ここにいる私―
第一章 明るい少女
カエデは、幼いころから太陽のような少女だった。
小さな町の小さな家で、両親や近所の人たちに愛されて育った。
小学校では、友だちの輪の中心にいて、困っている子がいればすぐに手を差し伸べる。
「カエデちゃんがいると、みんなが笑顔になるね」
そう言われることが、何より嬉しかった。
彼女の笑顔は、まるで春の光のように周囲を明るく照らしていた。
カエデ自身も、自分がみんなの役に立てることに誇りを感じていた。
放課後は友だちと公園で遊び、家に帰れば母と一緒に夕飯を作る。
そんな日々が、ずっと続くと信じていた。
第二章 転校、そして闇
中学に進学してすぐ、父の転勤が決まった。
新しい街、新しい学校。
カエデは不安と期待を胸に、制服のリボンを結んだ。
だが、転校初日から、彼女の世界は音を立てて崩れ始めた。
「転校生って、なんか浮いてるよね」
「前の学校で何かやらかしたんじゃない?」
そんな噂が、カエデの知らないところで広がっていった。
最初は無視から始まった。
次第に、机に落書きがされ、教科書が隠されるようになった。
ある日、給食の時間に席に着くと、カエデのトレーにはシャーペンの芯やゴミが混入されていた。
「なんでこんなこと…」
誰にも相談できず、カエデはただ黙って給食を残すようになった。
それでも、明るく振る舞おうとした。
「大丈夫、きっと明日は良くなる」
そう自分に言い聞かせていた。
だが、いじめはエスカレートしていった。
靴箱には画鋲が仕込まれ、ある日、背中をカッターで切られた。
痛みよりも、なぜ自分がこんな目に遭うのか分からない苦しさが、カエデの心を深くえぐった。
一度だけ、勇気を出して担任の先生にいじめのことを相談したことがあった。
でも、先生は話を最後まで聞くこともなく、
「そんなことはないよ」
「気のせいじゃないか」と、
いじめそのものをなかったことにされた。
その瞬間、胸の奥がすうっと冷たくなっていくのを感じた。
「ああ、誰も私のことを信じてくれないんだ」
そう思ったら、もう誰にも助けを求める気持ちが消えた。
それ以来、カエデは人を信じることができなくなった。
どんなに優しい言葉をかけられても、心の奥で「どうせ信じても裏切られる」と思うようになった。
「誰も私のことを見てくれない」
「助けてほしいのに、助けてもらえない」
そんな思いが、カエデの心に深く刻まれた。
第三章 心の傷
高校に進学しても、状況は変わらなかった。
「中学のとき、あの子いじめられてたらしいよ」
そんな噂が新しい学校にも伝わっていた。
カエデは更に人を信じられなくなっていた。
誰かと目が合うだけで、心臓がバクバクする。
教室の隅で、息を潜めるように過ごす日々。
「私は、ここにいていいのかな」
そんな思いが、心の奥底に根を張っていった。
やがてカエデは、先端恐怖症や高所恐怖症、対人恐怖症、閉所恐怖症に悩まされるようになった。
カッターや針、包丁の先を見ると、あの日の痛みがよみがえり、動悸が止まらなくなる。
高い場所に立つと、足がすくんで動けなくなる。
人混みや狭い空間では、息が苦しくなり、冷や汗が止まらなくなる。
それでも、カエデは「普通」に生きようと努力した。
「みんなと同じように、ちゃんとしなきゃ」
そう自分に言い聞かせていた。
第四章 大人になっても消えない傷
大学に進学し、実家を離れて一人暮らしを始めた。
新しい環境、新しい友だち。
最初はうまくいくと思っていた。
だが、心の奥底にある傷は、簡単には消えなかった。
サークルの飲み会で人の輪に入ると、急に息苦しくなり、トイレに駆け込むこともあった。
バイト先でミスをすると、「また嫌われるんじゃないか」と不安で眠れない夜が続いた。
それでも、カエデは笑顔を忘れなかった。
「大丈夫、きっと私は変われる」
そう信じていた。
第五章 結婚、そして新たな絶望
社会人になり、カエデは仕事に打ち込んだ。
「今度こそ、幸せになりたい」
そう願っていた。
やがて、職場で出会った男性と恋に落ち、結婚を決意した。
「結婚すれば、人生が変わるかもしれない」
カエデはそう信じていた。
だが、入籍した途端、夫の本性が現れた。
些細なことで怒鳴られ、無視され、時には暴力も振るわれた。
「お前が悪いんだ」
「全部お前のせいだ」
そんな言葉が、カエデの心をさらに傷つけた。
「どうして、私ばかり…」
カエデは何度も自分を責めた。
やがて、心も身体も限界を迎え、カエデは離婚を決意した。
「幸せになりたい」と願ったはずの結婚生活も、また新たな傷を残すことになった。
第六章 消された存在
すべての人がデータで管理され、顔認証も、バイオIDも、行動履歴も、都市の隅々まで網の目のように張り巡らされている2084年。
カエデは、離婚をきっかけに旧姓へ戻そうとしただけだった。
ほんの些細な手続きのはずが、行政システムの誤処理で、彼女のIDは無効化された。
朝起きて、スマートドアが開かない。
交通カードも使えない。
役所に行けば、「あなたのデータはありません」と冷たく告げられた。
「昨日まで普通に暮らしていたのに、今日から“存在しない”ことになったの」
カエデは地下の旧鉄道トンネルで、同じように“消された”人々と暮らすことになった。
そこには、誰にも知られない、けれど確かに“いる”人たちがいた。
互いに名前を呼び合い、「君はここにいる」と認め合うことで、かろうじて自分の存在を確かめていた。
第七章 ノートに記す存在
ある夜、元・都市行政局のソウマが現れ、紙のノートを広げた。
「ここに、私たち一人ひとりのプロフィールを書こう。記憶を、記録にしよう」
その言葉は、カエデの心の奥深くに静かな波紋を広げた。
長い間、誰にも理解されず、見捨てられたと思っていた彼女の心に、初めて小さな明かりが灯ったようだった。
胸の奥で凍りついていた感情が、少しずつ溶けていくのを感じた。
「誰かが私を見てくれている」
その思いが、カエデの心に温かさをもたらし、閉ざされていた扉がそっと開いた。
彼女は震える手で、自分の名前、生年月日、好きだった花のこと。
そして「消される前の私」の思い出を、丁寧に書き記した。
ノートはやがて、地下の仲間たちの“新しい住民票”になった。
「君は、ここにいた」
誰かがそう記すたび、カエデは少しずつ自分を取り戻していった。
「私は、ここにいる」
そう思える瞬間が、少しずつ増えていった。
第八章 地上への一歩
ある日、ノートを持って地上に出る決意をした。
夜明け前の街角、カエデは手書きのプロフィールを電柱に貼った。
「私はここにいます」
誰かに知ってほしかった。
誰かに、もう一度「カエデ」と呼んでほしかった。
数日後、SNSでその紙切れが話題になった。
「消された住民」の存在が拡散され、都市議会は再調査を始めた。
そして、カエデは再び自分の名前が記された住民票を手にすることができた。
涙がこぼれた。
「私は、ここにいる」
たとえデータから消されても、誰かが私の名前を呼んでくれる限り、私は存在し続ける。
第九章 新しい物語のはじまり
カエデは今日もノートに新しい記憶を書き加えている。
地下で出会った仲間たちの物語、
自分が感じた小さな幸せ、
そして、これからの夢。
「私は、ここにいる」
そう自分に言い聞かせるたび、
カエデの心には、かつての明るい笑顔が少しずつ戻ってきていた。
傷ついた過去も、消されそうになった存在も、
すべてが今の自分をつくっている。
カエデは、これからも自分の物語を生きていく。
エピローグ
ノートの最後のページに、カエデはこう書き記した。
「私は、ここにいる。
どんなに傷ついても、消されても、
私の名前を呼んでくれる誰かがいる限り、
私は私として生きていける。」
カエデのノートは、今も新しいページを増やし続けている。
それは、彼女が「ここにいる」ことの、何よりの証だった。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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