#シロクマ文芸部 それは、先に失われていた~短編小説~
小牧幸助さんのお題で書きはじめる企画「レシートに」に参加です。
締切は4/22(水)23:59だそうです。よろしくお願いします。
※この物語はフィクションです。
それは、先に失われていた
レシートに、見覚えのない高額な買い物が記されていた。
コンビニのレジ横で受け取ったそれを、私は何気なく折りたたもうとして、指を止めた。
合計金額の桁が、日常の範囲を軽く飛び越えている。
五万、いや、桁がひとつ違う。五十万。しかも、品目の欄には簡素にこう書かれている。
「記憶補完サービス 一式」
思わずレジに戻って、「これ、間違ってませんか」と聞いた。
店員は困ったように笑い、「うちではこういうのは扱っていません」と答えた。
だろうと思った。
そもそも、このコンビニで五十万円の決済なんてできるはずがない。
外に出て、改めてレシートを見直す。
日付は今日。
時刻も数分前。
店舗名は見たことのない名前で、住所は市内のはずれを指している。
私は地図アプリを開き、恐る恐るその住所を打ち込んだ。
そこには、確かに店があった。
「未来堂」
妙な名前だと思いながら、気づけば私は電車に乗っていた。
休日の午後、特に予定もない。
こういう違和感を放っておくのは苦手だった。
行って、確かめて、違えば笑えばいい。
最寄り駅から十分ほど歩いた先に、その店はあった。
看板は古びていて、営業しているのかどうか判然としない。
ガラス扉を押すと、意外にも軽く開いた。
店内は静かで、古書店のような匂いがした。
棚には商品らしきものは並んでいない。
代わりに、小さな引き出しがびっしりと壁を埋めている。
「いらっしゃいませ」
声に振り向くと、年齢不詳の店員が立っていた。
どこかで見たことがあるような気がして、でも思い出せない顔。
「これ、あなたの店ですか」
レシートを差し出すと、店員は一瞥して、ああ、と頷いた。
「はい。本日のお買い上げですね」
「いや、買ってません」
「いえ、購入されています」
言い切られて、言葉に詰まる。
「こちらで確認しますね」
店員はカウンターの奥にある端末を操作した。
ほどなくして、「ありました」と言い、小さな引き出しをひとつ開ける。
中から透明なケースを取り出し、私の前に置いた。
中には、何も入っていないように見えた。
「これが、記憶補完サービスの納品物です」
「……空ですよね」
「現時点では、そうですね」
意味がわからない。苛立ちがじわじわと湧いてくる。
「だから、私は買ってないって言ってるんです」
「いいえ。お客様は、三年後に購入されました」
あまりにも自然な口調で言われて、逆に否定する言葉が出てこなかった。
「三年後のあなたが、ここに来て、これを購入されたんです。そして、『過去の自分に渡してほしい』と依頼されました」
店内の空気が、わずかに冷たくなった気がした。
「……何を言ってるんですか」
「記憶の補完です。失われる予定の記憶を、事前に保管しておくサービスです」
私は笑おうとしたが、うまく笑えなかった。
「失われる予定?」
「はい。三年後、あなたはある出来事によって、重要な記憶を失います」
喉が乾く。
「その出来事が何かは、契約上お伝えできません。ただし、その結果、あなたは大きな後悔を抱えることになる」
店員は淡々と続けた。
「だから未来のあなたは、このサービスを利用しました。失う前に、記憶をここに預ける。そして、過去の自分に受け取らせることで、回避できる可能性を作る」
頭の中で、いくつもの可能性が浮かんでは消えた。
事故、病気、人間関係。
どれも現実味があり、どれも決定打にはならない。
「……これを受け取ったら、どうなるんですか」
「中身を開封すれば、補完が始まります。あなたの中に、本来は三年後まで得られないはずの記憶が流れ込みます」
「未来を知るってことですか」
「一部だけです。あなたが“失うはずだった部分”に限ります」
私は透明なケースを見つめた。
何もないようで、確かに何かがそこにある気がする。
「開けなかったら?」
「何も起きません。予定通り、三年後に記憶を失います」
選択肢はシンプルすぎた。
開けるか、開けないか。
未来の自分は、迷わず「開ける側」に賭けたのだろう。
だから五十万円も払った。
「返品はできますか」
思わず聞くと、店員はわずかに笑った。
「レシートにも記載がありますが、こちらは返品不可となっております」
私はポケットの中のレシートを思い出した。
「返品不可」の文字が、やけに重く感じられる。
しばらく沈黙が続いた。
店の外から、遠くで子どもの笑い声が聞こえる。
ごく普通の午後の音だ。
それが、ひどく遠いものに感じられた。
「……開けます」
自分でも驚くほど、あっさりと言葉が出た。
店員は頷き、「では、こちらで」とケースを差し出した。
手に取ると、ほんのりと温かい。
呼吸をひとつして、蓋に指をかける。
その瞬間、ふと考えた。
三年後の私は、なぜ“過去の自分”に託したのか。
自分で持っていればいいはずだ。
失う直前に見返せばいい。
なのに、わざわざ過去に送った。
それはつまり、今の私にしか、選べない何かがあるということだ。
私は蓋を開けた。
何も見えなかったはずのケースから、静かに何かが流れ出してきた。
光でも音でもない、けれど確かに意味を持った何かが、頭の奥に染み込んでくる。
見知らぬ風景。
知らない部屋。
聞いたことのない声。
そして。
——泣いている自分。
その理由を、私はまだ知らない。
けれど、確信だけが残った。
これは、取り戻せる。
三年後の私は、それを信じて、ここに来たのだ。
レシートに印字された五十万円の意味を、私はこれから知ることになる。
店を出ると、さっきまでと同じはずの街が、わずかに違って見えた。
信号待ちの人々、コンビニの明かり、遠くを走る電車の音。
そのどれもが、どこかで一度見たことがあるような気がする。
ポケットの中で、レシートがかすかに音を立てた。
私はそれを取り出し、もう一度だけ金額を確かめる。
五十万円。
高すぎる買い物だと思う。
けれど、不思議と後悔はなかった。
まだ思い出せないはずの何かが、胸の奥で静かに形を持ちはじめている。
名前も、輪郭も、はっきりしないまま。
それでも私は、それを失わずに済む未来へ、すでに足を踏み出している気がした。
~ 終 ~
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