短編ドラマ「名もなき主役たち」第24話「深夜のフロアに『清掃の仏』現る」
都心の街並み。昼はスーツ、夜はネオン。見上げれば、まっすぐな箱。似たようなビルが、ぎゅうぎゅうに並んでる。そのひとつ、14階。夜10時半。
音もなく回るモップだけが、生きていた。
「……お疲れさまでしたー」
誰もいない男子トイレに、小さくつぶやく男がいた。モップを押してる。けど、どっちかというと、モップに引っ張られてる。
スウェットのズボンに作業着の上着。白いゴム手袋に、頭にはタオル。どこにでもいる“清掃の人”。でもその歩き方には、妙なリズムがあった。律儀なルンバみたいに、無表情で効率よく、そして静かに。
掃除した場所は、どこも妙に静かにピカピカしてる。主張はしない。でも完璧。だけど誰も見てない。誰にも気づかれない。
このビルに来て3年。エレベーターで「お疲れさまです」って言われた回数は……ゼロ。
でも、べつに気にしてない。……ことにしてる。
「はい、14階終わり。……さぁ、13階……行きますか」
誰にともなくつぶやいて、モップを抱えた瞬間──
カンッ!
非常階段のドアが勢いよく開いた。
「うわっ! すいませんっ!」
汗びっしょりのスーツ男が、よろけながら飛び込んできた。ネクタイがズレてて、むしろ邪魔。息は上がって、目が泳いでる。
「エレベーター……まだ動いてます?」

「動いてますよ。たぶん。あと10分くらいで止まりますけど」
「助かったぁ……マジで14階、階段で下りてきた……途中で3回泣いた」
「むしろ多いですね」
「忘れ物思い出して上がってきたんすけど……社員証、机の上でお留守番。エレベーター、呼べないんですよ、深夜」
「で、非常階段」
「しかなかった……3階で足つって、5階で人生ふりかえって、9階で悟って、12階で絶望しました」
「階段って、物理的には上がってるのに、メンタルは下がりますね」
「マジそれ。てか、清掃の人って、ほんとにいたんですね」
「たまに、霊的な感じで出現します」
「いやほんと、見た瞬間泣きそうになりましたよ。人って“誰もいない”って思うと、一気に壊れますね……」
「俺は最初から“いない側”なんで、壊れません」
「その発想、逆に強いな……」
「非常階段、やめた方がいいですよ。3階あたりに、鳴くやついますし」
「……鳴く?」
「ネズミ。“ヒュー”って。たまに“フハァ”って鳴くやつも」
「……それ、人じゃないの……?」
「どっちにしろ、怖いです」
“ピンポーン”。清掃用に呼んでいたエレベーターがちょうど到着。
「神……いや仏……いや、清掃の神仏混合スタイル」
「いや、自分、“清掃3”なんで。3番目の男です」
「その言い方、ちょっとカッコいいじゃないですか……」
エレベーターに乗り込む。会話は続く。というか、スーツ男の独壇場。でも不思議とテンポはいい。清掃員の相槌と頷きが、絶妙だから。
「……この仕事、やってて空しくなったりしないんですか?」
「空しくなるには、まず“居る”必要がありますからね。俺、最初から透明なんで」
「それ名言……俺なんか今日、会議で“田中”って呼ばれました。俺、田村です」
「惜しいですね。もう一息で田仲」
「そのフォロー、逆に泣ける」
エレベーターが、1階に到着。
「……あの、名前、教えてもらってもいいですか?」
「……いや、もう呼ばれてなさすぎて、忘れました」
「え?」
「名札、洗濯で溶けたんですよ。だから今は“清掃3”で通ってます」
「3って……早番とかいるんすか?」
「いますよ。1と2が。たまに4が迷い込んできますけど」
「いや、清掃界、意外と多層……!」
男は笑いながら、小走りで出口へ。
彼はふぅっと静かに息をついて、モップを引いた。廊下の床が、街灯の光を反射してキラリと光った。
翌日。清掃休憩室。
ロッカーの上に、1枚の手書きのメモがあった。
「14階男子トイレ、すごかったです。床の輝きに人生救われました。誰がやったか分からないけど、ありがとう。“清掃の仏”と呼ばせてください。」
誰が書いたのかはわからない。でも、すぐに丸めて捨てた。バレたら、めんどくさいから。
けどその夜、彼は14階の鏡をいつもより30秒多く拭いた。
仏が映ったら嫌だから。せめて、ちゃんとピカピカの自分だけが映るように。
誰も見ていない。誰も気づかない。
でも、だからこそ──
「……ま、いっか」
そうつぶやいて、今日も彼は次の階へ向かっていった。名前のないまま、床だけを静かに光らせながら。
※本作に掲載している写真は、記事のイメージに基づいて作成したものです。
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