短編ドラマ「名もなき主役たち」第11話「ここに、ちゃんと“いた”」
夜9時半過ぎ。
コインランドリーの蛍光灯は、だんだん色が変わる。
最初は白い。でも時間が経つと、青くなる。冷たい青。
乾燥機の丸いガラスにその光が映って、
まるで、水槽のなかで月が揺れてるみたいだった。
店内は無音じゃない。でも静かだった。
「ゴウン、ゴウン……」という乾燥機の音だけが、
なんかこう、やけに“生活してる”感じだった。
その扉が開いたのは、ちょうど、乾燥機が小さく咳き込んだような音を立てたあとだった。
小柄な年配の女性が、そっと入ってきた。
控えめなスニーカーの足音。手には、くたびれたエコバッグ。
そこからのぞいたのは――赤いラインが入った黒いジャージ。
瞬間、胸の奥にざわざわっとノイズが走った。
あれだ。見たことある。
あの若い男が、毎回パンパンって軽く叩いてから乾燥機に放り込んでたやつ。
意味はなさそうだけど、毎回やってた。多分、クセ。あるいは、おまじない。
「こんばんは」
女性が、ちょっとおずおずと声をかけてきた。
その声も、乾燥機の回転音に包まれて、少し遅れて届いた。
「あの、この乾燥機、使っても大丈夫ですか?」
「ええ、どうぞ」
それは、“あいつ”がいつも使ってた3番の乾燥機だった。
女性は、ジャージとフェイスタオルを丁寧に入れて、扉を閉める。
小銭を入れて、スタートボタンを押す。
その一連の動きが、やたらゆっくりで、でも丁寧だった。

見ているこちらまで、背筋がピンとした。
気がついたら、聞いてた。
「すみません、その……ジャージ。ここによく来てた、若い男の方の……?」
女性は少し驚いたようにこっちを見て、
それから、ゆっくりうなずいた。
「ええ……息子のです。先月、亡くなりました」
乾燥機の音が、ちょっと大きくなった。
いや、変わってないのかもしれない。でも、急に近くなった。
彼のこと、名前も、職業も、どこに住んでるかも知らない。
でも――
あの背中だけは、覚えてる。
洗濯物の畳み方が、なんか几帳面だった。
タオルの角を揃えて、パンツのゴムを中にしまって、
ちょっとため息つきながら、それをリュックにしまってた。
しゃべってるところは見たことがない。
でも、ここにはいた。ちゃんと“いた”。
今日、来るかなって思うことがあった。
顔も名前も知らないのに、なぜか気にしてた。
……今思えば、俺に似てたのかもしれない。
「息子さん、静かにしてましたけど、ちゃんとここにいましたよ」
「目立たなかったけど……“いないと気づく”タイプの人でした」
女性は、乾燥機を見つめながらぽつりとつぶやいた。
「このジャージ……最後に洗濯してたやつなんです。
それで……もう一度だけ、ちゃんと乾かして、たたんで、しまってあげたくて」
“カコン”という音がした。乾燥が終わった。
女性は、ジャージをそっと取り出す。
ほんのり湯気が立って、
誰かがまだそれを着ようとしてるように見えた。
そのジャージをたたむ指先が震えているのを、
俺は見ないふりをした。
「この子、静かに生きて、静かにいなくなったから……
誰にも見つけてもらえなかったら、かわいそうだなって、思ってました」
俺は、言った。
「でも、ここに、確かにいました」
「そうですか……よかった」
店の奥の、少し傾いたベンチ。
彼がいつもスマホいじって座ってたやつ。
母親は、そのベンチにそっと腰を下ろした。
ギシ、と音が鳴った。
その音が、なんか返事みたいに聞こえた。
「この場所……残ってくれるといいですね」
「ええ。……たとえなくなっても、覚えてます。
あの背中と、その乾燥機の音と、あの折り目のきっちり揃ったタオルの角。全部」
母親が店を出て行ったあと、
俺はそのベンチにもう一度腰かけてみた。
少し冷たかった。でも、落ち着いた。
足元には、前に誰かがこぼした缶コーヒーの跡が黒ずんで残っていた。
たぶん、あいつのだったかもしれない。
誰も掃除しないまま、残ってる。
自販機の前に立つ。
何となく、ポタージュのボタンを押した。
理由はない。でも、あいつ、これ飲んでた気がする。
缶がカコンと落ちる音。
開けて、ひと口飲む。
……粒、多かった。
それだけで、目の奥が、ふっと熱くなった。
どこの誰だか知らなかった。
でも、背中と、座ってたベンチと、乾燥機の音と、
きっちり畳まれたジャージと、粒の多いポタージュは――ちゃんと覚えてる。
だから、それで、いいと思った。
※本作に掲載している写真は、記事のイメージに基づいて作成したものです。
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