短編ドラマ「名もなき主役たち」第52話「既読の向こうで、生きている」
朝7時。
歯磨きしながらスマホを見る。
通知が一件。
昨夜送った「明日、何時集合にする?」への返信だ。
「うーん、まだわかんない」
……24時間かけて、この六文字。
何か大切な会議でも開かれたのだろうか。
「うーん」の“う”に丸一日分の人生が詰まっている気がした。
俺は即レス派だ。
メッセージが来たら3分以内に返す。
返さないと、相手を待たせている気がして落ち着かない。
電車の中でも、トイレでも、信号待ちでも。
ポケットの中でスマホが震えたら、反射的に取り出してしまう。
「了解!」「助かる!」「おけ!」
短く、速く、テンポよく。
それが俺の会話のリズムだった。
まるで打楽器。タンタタン、ポン。既読、返信、既読、返信。
でも、そのリズムが狂った夜がある。
3月の終わり、年度末の追い込みで終電を逃した。
タクシーで帰宅して、玄関でそのまま靴を履いたまま座り込んだ。
スマホが光っていた。
高校時代の友人からだ。
「最近どう? 久しぶりに会わない?」
既読をつけた。返そうと思った。でも、指が動かなかった。

何を書けばいい?
「忙しい」? 「また今度」?
どの言葉も嘘くさくて、でも本当のことを書くにはエネルギーが足りなくて。
結局、スマホを置いた。
そのまま、ベッドに倒れ込んだ。
翌朝、未送信のままの画面を見て気づいた。
――返信しない時間にも、俺は生きていた。
へとへとになって、言葉を失って、それでも朝を迎えて。
その12時間は、確かに俺の人生だった。
それ以来、返信を待つ時間の見え方が変わった。
相手が返してこない空白の時間。
そこには、俺の知らない誰かの生活がある。
残業かもしれない。
家族との夕食かもしれない。
あるいは俺と同じように、ただ疲れ果てて言葉を失っているのかもしれない。
返信が遅いことを責める権利は、誰にもない。
夜10時、グループチャット。
「明日、誰が運転する?」
送信ボタンを押した瞬間、既読が3つついた。すぐに4つになった。
でも、返信はゼロ。
5分経っても、10分経っても、誰も何も言わない。
既読4という数字だけが、画面の隅で静かに光っている。
まるで4人が、同じ部屋で顔を見合わせて黙っているみたいだ。
30分後、やっと通知が来た。
「オレでもいいけど、車ガソリンないかも」
ああ、一人動いた。
でも、他の3人はまだ沈黙している。
さらに20分待つ。
指でスマホをスクロールしては戻し、また開いて、を繰り返す。
“更新”というボタンが、まるで人生の早送りボタンみたいだ。
そして1時間後、別のメンバーが言った。
「え、明日って何時集合だっけ?」
――話が最初に戻った。
思わず笑ってしまった。腹は立たない。
むしろ、このぐだぐだな感じが愛おしい。
この“遅さ”の向こう側に、それぞれの夜がある。
子どもを寝かしつけている人、上司に詰められて疲弊している人、
恋人と電話している人、あるいはただNetflixを見ている人。
それも含めて、人が生きているということだ。
返信の速度は、会話のテンポじゃない。
人生のテンポだ。
そう思えるようになったのは、あの3月の夜以来だ。
それでも、やっぱり待つのは苦手だ。
俺の画面には、3日前に送ったメッセージがひとつ残っている。
「おつかれ。元気?」
その下には、何もない。
真っ白なスペース。既読もつかない。
相手は大学時代の先輩だ。
卒業後、別々の道を歩んで、年に一度会うか会わないかの関係になった。
最後に会ったのは、もう2年前だ。
何かあったのか。忙しいのか。
それとも、俺のことなんてもう忘れているのか。
考え始めると、止まらない。
想像は、通知よりも早い。
でも、きっと向こうにも向こうの事情がある。
返せない理由が、返さない理由が、
あるいは返したくない理由が。
それを、俺は知らない。
知らなくていい。
スマホを伏せた。
テーブルの上に、画面を下にして置いた。
バスを一本見送るみたいに、この沈黙を味わってみる。
返信を待つ時間は、空白じゃない。
その間にも、俺は生きているし、相手も生きている。
それぞれの場所で、それぞれの速度で。
いつか返信が来たら、こう言おう。
「おう、生きてた?」
軽く、短く、でもちゃんと相手を思って。
その一言で、この“間”が全部、意味を持つ気がする。
そして、もし返信が来なくても、それはそれでいい。
沈黙の向こうで、誰かが生きている。
それだけで、十分だ。
※本作に掲載している写真は、記事のイメージに基づいて作成したものです。
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