悩ましき唱歌③ ふるさと(うさぎ追いし…)
本シリーズは、長年、筆者がどうしても気になって仕方がない唱歌について、気になる所以を語っておこうとするものです。
はじめに
根拠なく良い人だろうと思うのは街角ピアノで「ふるさと」弾く人 (横浜市)杉本 恭子
唱歌「故郷」は、言うまでもなく大変人気の高い歌です。どれほど人気の高い歌かは、Wikipediaなどでご覧頂くとして、比較的最近ではNHKの朝の連続ドラマ「半分青い」で、半ば準テーマソングのように繰り返し歌われる場面があったのが印象に残っています。(それらの場面が感動的だった、ということではなく、そのような場面を随時挟むことで視聴者の好感や共感が得られ、幼馴染の恋愛関係の成就に対する視聴者の心理的同意が形成され易い、と考えたであろう制作者側の見通しが印象に残ったのでした。)
筆者などがあれこれ言うまでもなく、この歌はこの先も当分愛唱されるでしょうが、歌としての魅力の根源は結局のところ、このメロディーにあるということになろうかと思います。そして、このメロディーの誕生には、おそらく高野辰之の作詞が決定的に貢献したのではあるまいか、と筆者は考えます。
以下、この唱歌について述べる前にお断りして置かなくてはなりません。以下の議論中に、筆者の独創と言えるものは何一つありません。他の稿も同様かもしれませんが、少なくともこの稿に関する限り、筆者ならではという内容は何も無いと思います。語る内容は全て、誰もが感じていること、誰もが気づいていることに過ぎないはずだと確信しています。それならこんな長文を記す意味はないではないか、とお叱りを受けるかもしれません。
しかし、誰もが感じ取っている、誰もがわかっている、ということは、それが言葉ではっきり語られていることを意味しません。この唱歌に関しては、感じられている事をきちんと(というのは難しいにせよ)言葉にしておくべきだ、と筆者は考えています。言葉になっていないものは、うっかり見過ごされたり忘れられたりしかねないと思うからです。
今は広く支持されている観のあるこの歌ですが、遠からず、この歌がリアリティを失う日が来ないという保証はありません。こんな歌が何の足しになるか、という疑問が起こった時、私たちが惹かれていたものが再検討されるための資料を、忘れないうちに記録に残しておくべきではないか、というのが筆者の今回の動機です。
「故郷」の歌詞
では、高野辰之の詞を見ておきましょう。
故郷
1.兎追いし彼の山
小鮒釣りし彼の川
夢は今も巡りて
忘れ難き故郷
2.如何にいます父母
恙無しや友がき
雨に風につけても
思い出ずる故郷
3.こころざしを 果たして
いつの日にか帰らん
山は青き故郷
水は清き故郷
この歌詞の表記は、原作とはもちろん異なります(1914年に「尋常小学唱歌」の第六学年用に発表されたものなので、当然原作は歴史的仮名遣い、いわゆる旧仮名です)し、筆者が小学校6年の時に音楽教科書で見た表記とも異なります。(当時の「教育漢字」に含まれていなかった漢字は小学校用の教科書では用いられず、また当時は、教科書や新聞等での漢字の訓みを文部省が非常に狭く制限していたため、歌詞の多くの言葉が仮名書きでした。) 筆者は、2025年現在でのnoteの書き手としてはやや漢字を多用する部類かも知れませんが、しかし、この歌詞に関する限り、筆者の接した教科書表記はかなり優れたものであると考えます。その理由は、忘れなければ後ほど述べるつもりでいますが、参考までに、筆者が教科書で見た表記のものも下に掲げておきます。もちろん、記憶が正確という保証は全くありませんし、故意に記憶と異なる表記を交えた部分もあり、かなりの異同がありうることをお断りしておきます.(なお、この歌詞は旧仮名での表記を見ることも無意味ではないと思いますので、それを本稿末尾に掲載します。)
ふるさと
1.うさぎ追いし かの山
小ぶな釣りし かの川
ゆめは今も めぐりて
わすれがたき ふるさと
2.いかにいます 父母
つつがなしや 友がき
雨に風に つけても
思いいずる ふるさと
3.こころざしを 果たして
いつの日にか 帰らん
山は青き ふるさと
水は清き ふるさと
読者諸賢は、上の二様の表記のどちらをより良いとお感じでしょうか?
筆者自身は、筆者の記憶ヴァージョンの方が優れているのではないだろうか、と考えています。それは、自分が実際に出会った歌詞だからではなく、この歌の歌詞の成立原理と、そしてその歌詞へのメロディーの寄り添い方に、こちらの方がよく適合していると考えるからです。
この問題は後で考えることになりますので、二つの表記に名前をつけて区別できるようにしておきましょう。
最初に掲載した、漢字を多用したヴァージョンを「漢字多用表記版」、後に載せた漢字の少ないものを「ひらがな多用表記版」と呼ぶことにします。
以下、本稿は基本的にはこの「ひらがな表記版」という、大変身勝手な形のものを用います。ただ、ところどころ文脈により「漢字多用表記版」(など)を併用します。どちらを選ぶかの理由はいちいち述べません。
歌詞の形態的特徴
六四調
この歌詞において、おそらく誰でも気がつくのは、日本語歌詞として極めて珍しいその音数律でしょう。
この歌詞は、六音四音という音数構成の行を四行連ね、その形を三連並べた構成になっています。どの行を見ても破調は一箇所もなく、厳密な「六四調」が一貫しています。(そして、おそらく、これが実は人気メロディーが生まれた秘密のひとつでしょう。)その点で、これは変則的ではありますが、間違い無く定型詩というべき詞でしょう。
言うまでもなく、日本語の詩歌において、これは極めて稀な形で、少なくとも筆者には、咄嗟に思い浮かぶ他の例がありません。
本シリーズ②「われは海の子」でも記した通り、日本語史上最も支配的な音数律は問答無用で七五調で、その人気や大衆支持率は圧倒的であり(註1)、日本語で詩歌なり韻文なりを成そうとすれば今日でも七五調に対する何らかの態度決定を迫られるのが実情です。(note詩壇でも、意識的であれ無意識的であれ、七五調で流れるものや七五調を導入したものが少なくありません。)
どうやら今日ますます高い人気をほしいままにしている観のある中原中也、彼の有名作品の大半が、七五調を基調としています。中也に対する評価のあり方の一部は不可避的に七五調問題に突き当たるでしょう。
そして、実は七五調で始まった日本語近代詩が、今日までに七五調(及び七五調的なるもの)と如何に苛烈な緊張関係を展開してきたか、そこを語ることで近代詩史の(やや大袈裟に言えば)半ばが語れる、とすら言えるように思われます。
そうした事態を視野に入れてこの「ふるさと」の歌詞を見るとき、これが稀有の姿を成していることに気づかざるを得ません。
六四調が与える印象
「ふるさと」の「六四調」はなぜ、どこから生まれたのでしょうか。
その手がかりは、この六四調がもたらす効果を考える以外に無いでしょう。
では、この六四調はこの歌詞にどんな印象をもたらすでしょうか。
おそらく、誰でも最初に気づくのは、この歌詞の不思議に控えめな印象でしょう。
一般的に言って、七五調は、流麗であったり調子や威勢がよかったりするわけですが、その七五調よりも一音ずつ音節が少ないと、口数が抑えられて、一種の訥弁や口ごもりに近い印象が生まれます。
格助詞「を」の不在
忘れないうちに、この六四調と密接に関わる特徴のひとつを、述べておきます。
歌詞の冒頭二行は特に不自然な印象を受けないと思いますが、それは歌詞が文語であることに関係します。
「うさぎ追いし かの山/小ぶな釣りし かの川」。この二行の「うさぎ」「小ぶな」の後には格助詞が置かれていません。口語散文の規範に従えば、「うさぎを追いし」「小ぶなを釣りし」であるべきでしょう。文法用語で言えば、「うさぎ」が「追いし」の、「小ぶな」が「釣りし」の、それぞれ目的格であることが明記されておらず、屁理屈をこねれば「うさぎが」追い、「小ぶなが」釣ったのかもしれないではないか、と難癖をつけることができます。
しかし、文語では、このようなケースで格助詞が用いられないのがごく普通であるのは周知の通りです。(実は日常口語でも同じです。井上ひさしの小説「吉里吉里人」中では、吉里吉里語の教科書に「おら 服 脱ぐだ。」等の例が掲載されています。)
とりわけここでは、「追いし」「釣りし」と助動詞「き」の連体形である「し」が用いられています。この「き」は、文法用語で「直接経験の過去」と呼ばれる助動詞で、話者の直接経験の内容が語られているはずです。そうなると「うさぎが」追いかけたり「小ぶなが」釣ったりしたのでなく、「ワタシがうさぎを」追いかけ「ワタシが小ぶなを」釣ったのは明らかです。
いや、そうは言っても、「うさぎを」追いかけ「小ぶなを」釣った、と明瞭にしてもバチは当たらないだろう、という意見があるかもしれません。
実際、口語の書き言葉では、これらの助詞が省かれることは通常はありません。無意識に省かれた場合には、不明瞭だったり舌足らずだったり幼稚だったり配慮が欠けていたりする印象を与えるケースがほとんどで、書き手としての人格を問われかねません。
そこで、逆にそのような印象を付与したければ意図的に格助詞を省くことで話者の人格を浮かびあげる、という小説の手法はありうるでしょう。
もし、小説でそのような語り口の話者が登場した時、そんな話者の言語レベルを読み手が許容し、そこに何らかの必然性を読み手が感得できるとすれば、それは、格助詞とは本来、了解し易いようにとの受話者への配慮から布置されるものであって、発話者自身の為には要らないものだからでしょう。(何者が何をどうしたかは、話者には自明であるはずだからです。したがって、話者が自ら受話者となる必要が生じるとき、すなわち、話者が自らの認識内容を確認する必要が生じたときは、格助詞が用いられることになります。)
したがって、これが詩歌の世界となると、事情はかなり異なって来ます。話者が自らの思いのありようを存分に放出しようとする場合であれば、格助詞はしばしば省かれるし、意図的に格助詞の欠落した文を連ねて心情のあり方を明確に表現しようとするケースも稀ではありません。逆に、口語の詩歌において格助詞の使用が厳密周到に貫徹されている場合には、そのことだけで、その詩歌作品が「受け手(読み手)という人格に対して、ひとりの言語人格として立つ」という、話者の言語態度なり宣言なりが含まれている場合もあるかも知れません。
「ふるさと」の歌詞では、格助詞「を」が二行続けて置かれていなくても、それは十分自然なことであり、むしろ置かれている方が不自然です。だから、ここで「を」が置かれていないことに言及する方がおかしい、というのは尤もな議論です。尤もどころか、それこそがなされるべき議論でしょう。
つまり、ここに格助詞「を」があったら、まず第一に「うさぎを追いし」「小ぶなを釣りし」というまどろこしいセンテンスになり、文が間延びする、ということは語られて然るべきでしょう。
さらに、格助詞の無い方が「自然」だというのは、何にとって自然なのか、ということも議論されるべきでしょう。それは、単に日本語文語文にとって自然であるだけではありません。何よりもまず、ここに歌われる懐郷の情の込み上げ方にとって自然なのだ、ということを見落としてはならないでしょう。(後述しますが、情の発生はその情を表す言葉の発生と同値ではありません。)
とりわけ、不要な格助詞「を」の不使用が、この詞の基調である「六四調」を可能にしている(というよりは、「六四調」をもたらす原理として機能している)、ということは確認されておくべきでしょう。
再び詞の口調について
およそ歌詞というものが、思いのたけを誰憚らず歌い上げるものであるとすれば、遠慮無く存分に心情を吐露していいはずです。いったいこの口籠るような口数の少なさは何事でしょうか。
筆者自身は、この口数の少なさに、歌詞の話者の(そしておそらくそれはまたこの作詞家の)人格と、抑圧され屈託した心情とを、最終的には感じます。
しかし、これは語るとしても最後にすべき事柄で、この歌詞に対する評価はそうした「人柄」とは無関係のものです。
(望郷詩急増の背景)
望郷や懐郷の念、すなわち「ふるさと恋しさ」というのは、当然ながら故郷を離れて生きる人間に生まれる心情ですが、それを歌う歌詞が近代の大衆的歌謡において急増する(註2)のにはむろん原因があったでしょう。
それは第一に、農・漁・山村から都市への人口流入、すなわち、生まれ故郷の村を出て都会の一隅に暮らす人間の急増、また生活の新天地を求めて外地へ移住する海外移住者の急増です。
そして第二には、徴兵制により生家を離れて軍隊生活を送り、更には戦争で「お国を何百里離れて遠き」(註3)戦地に駆り出された軍人の存在でしょう。
上記いずれのケースでも、土地の景観も人口密度も生活様式も人間づきあいも生まれ故郷でのそれと全く異なり、多くの場合、住みにくさ息苦しさや生活苦(しばしば経済的耐乏を伴い、また労働条件や被雇用者としての扱われ方も劣悪でした)が常態で、そんな艱難辛苦に耐える日々に、生まれ故郷の風景やそこでの肌に馴染んだ家族生活が懐かしく蘇る、というのは極めて自然なことであったでしょう。(註4) また、これとは逆に、新たな境遇で田舎に無い楽しみや喜びに接する時、故郷の苦しい生活に耐えている家族に思いを馳せることもあるでしょう。(ああ、この食べ物を父母にも味わわせてやりたい、とか、この楽しい経験を弟妹にもさせてやりたい、など。)
往年の映画やテレビドラマなどでは、都会暮らしをする若者が、しばしば大きな川のほとりや海辺で泣く場面がありました。かれらは、なぜそうした場所で泣くのでしょうか?経験した人ならわかるでしょうが、それは、河原や海辺でしかひとりになれないからです。故郷の田舎でなら、いつでも泣きたい時泣く場所に事欠かなかったでしょうが、都会や軍隊では泣きたくても泣ける場所が無いことがごく普通です。(稀代の泣き虫である筆者自身も、都会の学生生活を始めて最初に最も辛かったのは、声を上げて泣ける場所が無いことでした。) 数々の望郷歌で知られる石川啄木は「大海にむかひて一人/七八日/泣きなむとすと家を出でにき」と読みました。
大都市と田舎には今日なお、景観や交通網・人口密度などにかなりの違いがあるとは言え、国内どこへ行っても同じように道路その他のインフラが整備され、同じようにコンビニで深夜の買い物ができ、同じような食事をし、国内一律の文明生活を享受している今日でも、果たしてかつてのような故郷恋しさが生じるのかどうか、筆者にはよくわからないところがあります。
「瞼に浮かぶ光景」と「言葉」
軍隊で、都会で、外地/戦地で、故郷では知らなかったさまざまな境遇で暮らす時、所謂ホームシックに駆られるわけですが、人間のあらゆる感情の例に洩れず、その故郷恋しさの感情は、無条件に言葉を伴っているわけではありません。
少し他の例に喩えてみます。例えばある人が好きになったとしましょう。(いわゆる恋愛感情を考えてみます。) 一人でいると、その人に会いたくてたまらないとしましょう。そんな時、わたしたちはその人の顔や様子が瞼に浮かび、あるいはその人の声が耳の奥に響いて消えないでしょう。わたしたちにあるのは、言葉ではありません。(かろうじて、その人の名前が口をついて出そうになるでしょうか。)その後に、言葉が出るとすれば「会いたい」”I miss you.”などでしょうか。(note詩壇に日々「会いたい」という表現が夥しく氾濫している所以でしょう。)そのような言葉が出ることで、初めてわたしたちは自分がどんなにその人を恋しているかを自覚するかも知れません。
「まだあげ初めし前髪の/林檎のもとに見えしとき/前にさしたる花櫛の/花ある君と思ひけり」(島崎藤村「初恋」)などという言葉が形成されるのは、そうした思いを明瞭に自覚した後のことであるのは言うまでもないことでしょう。
望郷・懐郷の情も、あり方は似ているでしょう。「ふるさとは 遠きにありて思ふもの/そして悲しくうたふもの」と、室生犀星は有名な「小景異情」という詩の「その二」冒頭で詩いました。「遠きにありて思ふ」ことと「悲しくうたふ」こと、この両者は、「そして」で繋がれなくてはならないような二つのことであり、決して同一のことではありません。なぜなら、「遠きにありて思う」時のその「思い」は、無条件に言葉と共に現れるわけではないからです。故郷のあれこれが自然に思い浮かび、「ひとり都のゆふぐれに/ふるさとおもひ涙ぐむ」(「小景異情」)だけで終わる場合も幾らでもあるでしょう。
例えば都会で、梅雨の走りのような雨を見ていると、その大気の温度や空の暗さ雨の降り具合などから、同じような雨の降る、故郷のジャガイモ畑の情景が自然に脳裡に浮かんだとします。その時点で、そこに言葉はありません。そこから「馬鈴薯のうす紫の花に降る/雨を思へり/都の雨に」(石川啄木「一握の砂」。初版本は総ルビ付きですが、ルビ頻度が高すぎるせいか、note記事に完全には反映できませんんので、ルビを略します。)という短歌ができるには、「馬鈴薯のうす紫の雨に降る雨を思」う、その思い方を捉える「言葉」が必要になります。「かにかくに渋民村は恋しかり/おもひでの山/おもひでの川」(同)も同様のはずで、「おもひでの山/おもひでの川」があまりに当たり前の言葉に見えるせいで、これが渋民村の山河の景が瞼に浮かぶと同時に出て来た言葉だと錯覚してはいけないでしょう。
「思い出の山」や「思い出の川」は今日あまりにありふれた言い方なので、わたしたちは、山や川がこの言葉と一緒に(むしろ山河の景が言葉に乗って)脳裡に浮かんで来たように感じるかも知れません。
しかし、この「思い出の〜(名詞)」という言い方は、少なくとも私たちが確認出来る形としては、啄木のこの歌が実は最初であるかも知れません。(もし、これより以前の文献等で「思い出の〜(名詞)」という表現があるのをご存知の方は、是非ともそれを具さに公表頂きたいです。)
「思い出」は近代の大衆歌の人気ワードの一つでしょうが、考えてみると近代以前は「思ひ出づ」・「思ひ出す」と動詞で使う例が断然多く、「思ひ出」と名詞で登場するのは稀ではないでしょうか。(徳富蘆花の「思出の記」の連載が1900年〜1901年、ヴェルレーヌの「落葉」の一節を「過ぎし日の思ひ出や」と上田敏が訳した「海潮音」の出版が1905年で、啄木の「かにかくに〜」は1908年以降1910年までの間の作とされています。北原白秋の詩集「思ひ出」が1911年の刊行で、この時期文芸の新潮流はさながら「思い出ラッシュ」の観を呈しています。)まして、これに連体格助詞「の」をつけて後の名詞に繋ぐ語法は、優れて近代的なものではないかと思えてなりません。すなわち、「おもひでの山」「おもひでの川」は啄木の独創(または独創に近い語法か、現れたばかりの語法)であったが故に極めて新鮮に響いたのではないかと思われます。「みかんの花が咲いている/思い出の道 丘の道」(加藤省吾「みかんの花咲く丘」1946)や「思い出の 橋のたもとに/錆びついた 夢のかずかず」(横井弘「川は流れる」1961)などの有名な歌詞が後に続々と現れます。
言葉少なさの所以
その啄木の詠んだような「おもひでの山」「おもひでの川」が、「故郷(ふるさと)」でもうたわれます。詩人・高野辰之は、ふるさと恋しさの心情をどのように言葉に変換したでしょうか。
うさぎ追いし かの山
小ぶな釣りし かの川
一見してわかる通り、啄木が単に「おもひでの山」「おもひでの川」と詠んだふるさとの山や川が、どんなふうに「おもひで」の山や川なのかを、「ふるさと」の歌詞は具体例を添えて提示します。
高野の歌詞と啄木の短歌は、故郷の山河が心に浮かぶ折の浮かび方として、一体どちらが「自然」なのでしょうか。この問いに対する答えは、いつどんなふうに故郷の景を思い出したかで異なって来るでしょう。例えば子供が川で釣りをしているのを偶然目撃して少年時代を思い出したなら「小ぶな釣りしかの川」は極めて自然な言葉でしょう。(実際に啄木には望郷のきっかけを詠み込んだ歌も多いです。)しかし、それならば逆に、啄木の「おもひでの山/おもひでの川」はなぜどんなきっかけで彼の心に浮かんだものでしょうか。その手がかりは私たちにはありません。「かにかくに渋民村は恋しかり」すなわち闇雲に恋しいのであり、どうして恋しいのかを言っている余裕が、話者には無さそうです。
もし、啄木の渋民村恋しさが、何がどうなどと言う余裕も無いほどの恋しさの現れであるなら、逆に「ふるさと」の歌詞はさほど切実な真情が無いのでしょうか。もちろん、そんなことは言えない、とわたしたちは感じる訳ですが、それはなぜでしょうか。「うさぎ追いしかの山/小ぶな釣りしかの川」と適切な(ものであるはずの)具体例付きで語ってみせる「技」にも関わらず、私たちが啄木短歌の話者以上にこの話者を支持することがあるとすれば、それはなぜでしょうか?
その考えられる理由の一つが、おそらくこの歌詞の「口数の少なさ」であろうと筆者は考えます。
もちろん、「口数の少なさ」が評価の根拠になるのは、それが謙虚な人柄の反映であったり、おしゃべりでない人の方が信頼できる、という類のことではありません。私たちがこの歌詞を支持したくなるのは、話者の人柄の反映だからではありません。
この歌詞の「口数の少なさ」を支持したくなるのは、それが懐郷の情のあり方に則しているからです。経験のある方は思い出して頂きたいのですが、故郷恋しさ・懐かしさの心情は、たいていは一人でいる何らかの折に、私たちに(国木田独歩なら「油然と」と言うでしょうか)「込み上げ、湧き上がって」くる感情です。それは、最初は言葉を伴うこともなく込み上げ、たとえ言葉を見出しても、言葉が後から後から溢れ出て来るような心情とは無縁の、むしろ思いの切なさに言葉がつっかえて出てこないような、ほとんど苦しいに近い感覚と言えるでしょう。啄木の「おもひでの山/おもひでの川」という、体言だけのぶつ切りの並列は、流暢に言葉の出て来ないような心情の反映になっているからこそ、どんな山かどんな川かまるでわからなくても、私たちはこのようにつぶやく話者の言をよしとします。そして、「ふるさと」の歌詞を私たちが支持したくなるのもまた、この、言葉のぶつ切りに近い「つぶやく」ような形の、口数の少なさのせいだと言えるでしょう。「ふるさと」の歌詞は、何よりもまず、込み上げるふるさと恋しさの、言葉にならない込み上げ方の有り様そのものを表現し得ていることで、私たちをとらえるのではないでしょうか。
だから、念のためにここで確認しておきましょう。
言語表現、とりわけ書き言葉による表現に関して、しばしば「削ること」の需要性が言われます。余計な要素、無駄な装飾、くどくどしい説明、そうした無駄を削り取って印象の鮮明な表現にすることが大切だ、と。
さらにはまた、全部言い尽くしてしまうと空想の余地が無くなる、または味わいや余韻・余情が出ない、だから表現の省略や抑制が大切だ、と。
わたしたちの唱歌「ふるさと」は、間違い無く上のような要求によく応えていると言えます。しかし、この歌詞が言葉少なくして優れた表現たり得ているのは、こうした言語表現一般に適用される表現技法のみの結果なのではない、と言うべきでしょう。この歌詞が優れているのは、何よりもこの口数の少なさこそが心情生成のあり方そのものの反映たり得ているからである、と筆者は考えます。故郷恋しさの募るとき、わたしたちはまさにこのように口ごもり、このように言葉が出なくなっているのです。
そして、そのような口数の少なさを形象化したのが、この歌詞の「六四調」です。流麗な七五調ではなく、舌足らず・字足らずのような訥弁の「六四調のつぶやき」こそは、望郷の切なる思いのあり方そのものを表現する語調だと言えます。
(ちなみに、同じ高野辰之作詞の唱歌「朧月夜」では、「六四調」と逆に、七五調よりも一音ずつ音数の多い「八六調」が用いられます。こちらは、音数が増えることによって一行の焦点や視界がぼやけるでしょう。その「ぼやけ」が朧月夜の朦朧たる雰囲気に合致するのかも知れません。)
歌詞の実際
「うさぎ追いし」問題
その歌詞はまず、「うさぎ追いしかの山/小ぶな釣りしかの川」と始まります。
実は、この歌詞の最大の問題点は、この「うさぎ追いし」かも知れません。
意味上の問題は何もありません。「兎を追いかけたあの山」と言うのです。
問題は、この日本語歌詞を歌う人のうちのいったい何人が、この「兎を追いかけた」と言うことの意味がわかるか、またそれを実感として感じ取れるか、です。
この点に関して筆者は悲観的です。いかに日本は平地面積が少ないとは言え、今日の日本語社会の中で、幼少年時に地元の山で兎を追いかけた経験のある人は極めて少ないだろうと思います。少ないどころか、今日では絶無に近いのが実情ではないでしょうか。
日本の多くの里山には、実際に多くの野兎が今ももちろん生息しているでしょう。しかし、その山で子供が「兎を追いかける」と言うのは滅多に無いことでしょう。(実は筆者は、子供時代に近所の仲間たちと延々2、3時間にわたって一匹の野兎を追いかけ続けた経験が一度だけあります。今にして思うとこれは、あちこち段差のある土地だったとは言え、平地なればこそ可能なことでした。)そもそも、野兎の走力はとてつもないもので、子供の足で追いかけて捕まるようなものではありません。(どんなに人間が全速力で走っても、兎は追手に決して捕まらないだけの距離を保ったスピードで走れます。絶対に「追いつく」ことができないのだと悟ったわたしたちは、兎が用水ベリの叢に潜んだ隙に示し合わせて二手に分かれ、挟み撃ちにしてみました。兎は追手の現れた方向と逆方向へ逃げるのですが、猛スピードで走っているにも関わらず、前方からも突然敵が湧いて現れた瞬間に、前後に対して直角の方向、つまり右や左に全くスピードを落とさず進路を変えます。この、「速さを全く落とすことなく瞬時に直角に曲がる能力」は実際に目にしたものでなければその驚きはわからないと思います。二方向からの挟み撃ちでなく、完全な包囲網を敷かない限り絶対に捕まえられないと筆者らは覚りましたが、それには人数が足りず、しかも兎の逃げ続けるタフネスには到底敵いませんでした。)まして、高低起伏があり樹木雑草の繁る山中で兎を追いかけるというのは、普通ならとても子供にできることではありません。たとえ山中で兎を目撃することはあっても、その「脱兎」ぶりを一瞬でも見れば子供はすぐに追いかけるのを諦めることでしょう。(「脱兎の如く」という慣用句があることにあらためて感嘆します。)
「ふるさと」の歌詞の冒頭である、「兔追ひしかの山」というのは、実態の無いただの空想ではないのか、と思いたくなるところです。しかし、実は、作詞者の高野辰之は長野県の旧・永江村(現・中野市豊田地区)の出身であり、かつてこの地域では冬季の食用に野兎狩りの風習があったとのことです。(実は筆者の生まれ育った里山地域でも、冬の半ば過ぎに「兎狩り」の日がありましたが、これは猟銃を持った大人を中心とする行事で、子供が面白半分に参加を許されるような行事ではありませんでした。)
おそらく、高野自身にとっては「兔追いしかの山」は決して空想や絵空事でなかったどころか、「かの山」での最も印象的な体験だったのでしょう。しかし、それが実体験であったということは、この作品の歌詞の価値を保証してくれるものではもちろんありません。山野に兎を追いかけた体験の無い人々が、この歌を「自分の歌」として歌えるかどうかは、全く別の問題と言うべきでしょう。
この歌を手放しで讃える多くの人々に対しては、筆者は、「兎追いしかの山」の意味をちゃんと理解し考えた上でこの歌を歌っていますか、と意地悪な質問をしてみたい思いに駆られることがあります。意味をちゃんと押さえた上で、それでもこの歌を愛おしんで歌う気持ちになりますか、と。
おそらく、山で(どころか、どんな場所ででも)兎など追いかけたことの無いほとんどの人が、それでもこの歌を愛唱せずにはいられないだろう、と筆者は考えます。
それはなぜかと言えば、「おもひでの山」のあるふるさとを有つひとりひとりが、その山との一種濃密な固有の関わり方の中で育ったからでしょう。ある人は近くの山で本当に野兎を追いかけた経験があるかも知れません。蕨や山菜をとった人、茸狩りをした人、栗拾いをした人、夏休みに虫捕りをした人、スキーや橇で遊んだ人、遠足やハイキングのような時間を山で過ごした人、かくれんぼや鬼ごっこに興じた人、山の作業を手伝わされた人、あるいは、毎日見ているだけの山にそのように実際に分け入ったりしたことは無くても、日々あの山の向こうはどうなっているのだろうと思ったり、空気の澄んだ日には山に向かって叫んでこだまの返るのを楽しんだり、晴れた日の夕焼けに染まる山の色に見惚れたり、または、嬉しいこと泣きたいことがあった日に山を見ながら涙ぐんだり、等々、山とともに過ごした濃い記憶のある人は多いだろうからです。
兎を追う、というのは、山にまつわるそのような思い出の、いわば典型例ないし象徴例として、おそらく誰もが受け止めることができる言葉なのでしょう。過剰な言及の無い、つまり、詳細さによって回想内容が制限されることの少ないこの言葉に触れることで、誰もがそれぞれの「おもひでの山」との具体的な時間の記憶を蘇らせられるとすれば、この歌詞は成功していると言わねばなりません。
小ぶな釣りしかの川
歌詞の二行目は「小ぶな釣りしかの川」です。
こちらは、「うさぎ追いし」のような面倒な問題は無いに近いかも知れません。
21世紀も四分の一を閲した今日、日本語生活を送る子供たちの何人が川で小鮒を釣っているか、筆者には把握できません。その点、将来もこの歌詞が現在と同じように共感を得るかどうかは、やや心許ないようには思います。
かつては、田植えの一大農繁期が終わると、男の子たちは申し合わせたように、小川(や、もっと大きな清流)に釣り糸を垂らすようになるのが農村のお決まりの光景でした。子供の頃にどんな魚を釣ったかを聞けば、その人の育った土地の地形やそこに流れていた川の様子がわかると言えそうですが、鮒を釣る、というのは典型的な里山地域の釣りかと思います。
「うさぎ追いし かの山」と同様、いやそれ以上に、「小鮒釣りしかの川」という思い出の具体性は、この歌詞に接する人々に、自分が関わった川の具体的な釣り場の様子や川の様相を鮮明に思い出させるでしょう。筆者などは、ある日ある時の釣りをしている時の水深や水流の早さや浮きの動きや魚の引きの手応え、さらには対岸に咲いていた薊の花の色まで鮮明に思い出したりします。
「うさぎ追いしかの山」という歌詞が、たとえ意味は諒解しても、何となく手応えが希薄でやや朧げな印象であるのに対し、「小ぶな釣りしかの川」は大変くっきりした印象で一行目の弱さをカバーしてくれると言えるでしょう。たとえ子供の頃に近くの川で釣りをした経験が無くとも、この歌詞には、歌う人の故郷での濃い時間を回想させる力があり、それは「うさぎ追いし かの山」と並列されるに相応しいのではないでしょうか。
そして、その時間がとりわけ「濃い」のは、そこに流れた時間が少年少女時代までの、謂わば「遊ぶことが何より楽しかった」時期のものだからでしょう。そのような時間の記憶として、うさぎを追い小ぶなを釣るという、いかにも子供らしい活動と共にある山河の歌われ方は、まことに魅力に満ちたものと言えるのではないでしょうか。
「うさぎ追いし」対「小ぶな釣りし」
さて、以上の「かの山」「かの川」の議論は、実は主として言葉の外側に関わる、すなわち言葉の表している意味をめぐって考えられる問題です。
しかし、以上を踏まえた上で、私たちにはこの歌詞の冒頭二行の「言葉のあり方」について、考えるべき多くの問題が残されています。
その第一は、次のような問いです。
山で兎を追いかけた経験のある人は極めて少数であり、川で魚を釣った経験のある人はそれよりも圧倒的に多いならば(つまり、山に兎を追うよりも川で小鮒を釣る方が遥かに普遍性のある体験と言えるなら)、実はこの山と川の叙述の順は逆の方がいいのではないか、その方が、多くの人が最初から無条件に歌詞の世界に入れるのではないのか、という問題です。
これはもちろん、間違った議論でしょう。
まず、故郷が思い浮かぶ、故郷が恋しい、というとき、故郷の何が浮かぶことが多いかといえば、それはやはり普段見ていた大きな景色でしょう。そうなると、視野をやや狭く限定される川よりも、開放された視野に捉えられる山でしょう。わたしたちの言葉は、「山川」と言い、「山と川」と言い、「山河」と言います。山と川が並べて語られる時は、常に山が先で、その逆はまずありません。啄木の短歌も「おもひでの山/おもひでの川」でした。
「ふるさと」の歌詞には、上のようなわたしたちの言語習慣的発想が型通りに踏襲されているように見える点が多々あります。
しかし、「川」より先に「山」が来るのは、慣用的に固定された順序に無意識に従っているのではないでしょう。
この歌詞は、ふるさとを懐かしむ心情の動き方を実は丹念に分析しているように見えます。「山」が「川」に先行するのは、故郷を想うとき、最初に瞼に浮かぶのが大きな景の山であり、そこから細部に視点が絞り込まれて、釣りに興じた川が思い出される、という意識の動きに沿ってカメラが動いていると言えるように思います。この順番が逆になると、故郷の像が、いきなりやや狭いくっきりした部分からより広い視野に広がって印象がぼやけ薄れてゆくのではないでしょうか。
懐郷は、初めはぼんやりと、そして次第に細かい具体的なシーンにさまようと言えるでしょう。そこを考えると、「兎追いしかの山/小鮒釣りしかの川」の順序の逆転は許されないものと言えるでしょう。
そして、この「山」と「川」の順序には、もっと大切な秘密も潜んでいます。
仮にこの一行目と二行目が逆転したら、詞の効果はどうなるでしょうか。
「小ぶな釣りしかの川」、この一行にはk音が3個あります。そして、「小」が付かなければ「ふな」である音が、「小」という接頭語が来ることで「ぶな」となり、ここに「ぶ」というやや強い破裂音が来ます。
これに対し、「うさぎ追いしかの山」の行の音は、k音が一個であり、「ぎ」も鼻濁音であるため濁音中で最も柔らかい響きと言えるでしょう。さらに、第一音が「う」で、これは日本語の自然な発音では、母音としては舌の緊張が最も弱く、言い換えると母音のうちでは最も響きの柔らかい音であると言えます。すなわち、「うさぎ追いし〜」は「小ぶな釣りし〜」の行に比べると、かなり柔らかくなだらかで穏やかに響きが展開してゆくと言えるでしょう。
この、緊張少なく柔らかく穏やかな響きで詞が始まることは、この歌詞の決定的に重要な点であると言えます。およそ懐郷の情というものが、わたしたちのどんな心的状態において現れるか、そしてどのような現れ方でわたしたちに生じるものか、それがどんな性格の心情か、そしてわたしたちがふるさとに求めるものは何であるのか、等々の全ての答えを含んでいるものと言えるでしょう。そう考えると、「うさぎを追う」というやや漠然として明確な像を結びにくい言葉こそが、かえってふるさとへの漠たる思いの表現に適しているのかもしれません。
明確に像を結びにくい、おぼろに柔らかい「うさぎ追いしかの山」から、しっかりと具体性のある、響きも景もかなり明確な「小ぶな釣りしかの川」へズームする、これは視覚的にも聴覚的にも優れた映画的手法であると言えるでしょう。
その郷愁のありようは、さらに「ゆめは今もめぐりて/わすれがたきふるさと」で完成します。この「ゆめは今もめぐりて」の解釈は、何通りか考えられるところでしょう。筆者自身は小学生時代以来一貫して、この部分を「ふるさとを離れて暮らす今も、わたしのゆめはあのふるさとに繰り返し立ち返り、繰り返しふるさとのそこかしこをめぐるのだ」と解釈しています。しかし、考えられる解釈のどれを採っても、その限定された意味は元の歌詞よりも色褪せて見えるように思います。多様な解釈を探る気になるということは、つまりは「わかりにくい」ということです。読み手がどのように解釈したにせよ、詞は「ゆめは今もめぐりて」と言います。ここにはマ行音が4個、「ゆ」と「り」が各1個用いられ、濁音は鼻濁音「ぐ」が1個のみ、破裂音は最後の「て」のみで、全体がまろやかに柔らかい響きになっています。
かの山 かの川
さて、もう一つ、歌詞の最初の二行について考えておきたい点があります。
それは、連体詞「かの」です。(口語では一語の連体詞となりますが、文語では「か」「の」の二語一文節と見ることもできるでしょう。)
「かの」は文語か口語かと言えばどちらかというと文語ですが、現在の口語でも「かの有名な」などの形でけっこう用いられています。
一方、「かの」とほぼ同義と思われる「あの」は、文語ではほぼ見かけないように思われます。
俗に「こそあど」と呼ばれる指示語体系は近世・近代のものでしょうが、「こ」「そ」が古くからあるのに対し、「あれ」「あの」などはかつて「かれ」「かの」が普通でした。(室町時代になると、謡曲に「あれは我が子か」などの表現が現れます。)
「ふるさと」は文語の歌詞なので、「かの山」「かの川」はごく当然の語法には違いありません。しかし、仮にこの「かの」が少し古めかしい印象だから「あの」としたら感動が新鮮になるだろうか、と考えてみましょう。(文語の中に「あの」は馴染まないだろう、と考える方があれば、今、自分が言葉の転換期にいて、周囲で「あの」が流行っていて、「かの」より「あの」の方が現代人のキモチがビビッドに伝わるように思える、という時代状況にあると仮定してみて頂きたいです。)
うさぎ追いし あの山
小ぶな釣りし あの川
こうなっても、歌詞の意味はほぼ変わらないでしょう。(実際に、「ふるさと」の歌詞の意味を小学生に噛み砕いて解説するときには、「野兎を追いかけたあの山/小鮒を釣ったあの川」と言うでしょう。)
もしかすると、「かの」とk音が入るよりも、母音だけの「あの」の方が部分的に見れば音がすらりときれいに響くように思えるかもしれません。
しかし、この改変後の詞を原詞と比べると、「あの」の頼りなさが際立つような気がします。「かの」はk音が入るせいもあってか、くっきりと明確な感じがあるのではないでしょうか。
「あれ」や「あの」は、「かれ」や「かの」に比べて、印象がはっきりと定まらず、話者の関心がどの程度あるのかわからない、もしかしたら対象に対してあまり関心がないのかもしれない、という印象を与えます。それに比べ、「かれ」や「かの」には、響きの強さ明確さのせいか、話者のやや切実な関わりの意欲が感じられるように思えます。対象に対して「用がある」(英訳するならwantやlong for?)感じがします。カール・ブッセの詩を上田敏が訳した詩(註5)の一行目が「山のかなたの空遠く」では、どこともしれぬ漠然とした「憧れ」の心情は出ないでしょう。だからこそ、文語であるにもかかわらずあの訳は「山のあなたの空遠く」でなくてはならなかったのでしょう。
「あの山」「あの川」では、話者の切実な故郷恋しさが出ない、と筆者は考えます。もし全体が口語であれば、ここに「かの山」「かの川」は単に気取ったりカッコつけたりしている印象を与えるか、少なくともある程度の違和感は免れないでしょう。その点、作詞の言葉として文語が当然であった高野辰之の時代は、この詞にとってまことに幸いなものだったと思います。
二番の歌詞
歌詞の二番は、「如何にいます父母/つつがなしや友垣」と始まります。
望郷の念に駆られた人ならおそらく誰もが知るところでしょうが、故郷恋しさで真っ先に浮かぶのは故郷の山河や風景で、それについでは家族や友人です。その点で、この歌詞の一番から二番への流れは極めて自然なものと言えるでしょう。(「います」という尊敬語や、「つつがなし」「友垣」といった、今日から見れば古さを否めない語群は、この二番の歌詞を現代の子どもたちから遠ざけるかもしれません。しかし、この歌は、実は小学生が教えられる唱歌ではありますが、小学生にとって必要な歌ではありません、成人後に故郷を離れて暮らす機会があって初めて実感を込めて歌いたい歌でしょう。その時のために小学校で習っておくのだ、という珍しい歌です。特に尊敬語「います」(「あり」「をり」の尊敬語)などはなかなか習得できないとしても、この歌詞の話者の心情を汲み取ることは、年齢を重ねれば自然にできるでしょう。)
雨に風につけても
思い出ずるふるさと
この部分については、故郷を離れていろいろ辛い目に遭う(雨に風につけても)ごとにますます故郷が思い出される、という解釈があるとのことです。そういう解釈が加えられることに、筆者は必ずしも異を唱えようとは思いません。
しかし、筆者の実感としては、これは何よりもまず、実際に雨が降ったり風が吹いたりする天候を言っていると思います。
都の雨に故郷の「馬鈴薯のうす紫の雨に降る」雨を思ったのは啄木ですが、とりわけ、暴風や豪雨に遭うと、故郷のみんなは、故郷の我が家は、無事だろうか、と気が気ではありません。(暴風や豪雨のニュースのたびに、故郷のことが気が気でない、と訴える筆者に対し、筆者の母は「それは当たり前だ。わたしら、嫁に来た後、火事があると親の家じゃないかと心配になって実家のある方角を見るようなものだ」と言いました。)その意味で、この後半二行は前半二行と確かにひとまとまりになる内容だと筆者は考えます。
三番の歌詞
いつの日にか帰らん
「ふるさと」は、内容を辿れば「序破急」的によくまとまった構造になっています。
三番の歌詞の冒頭「志を果たして/いつの日にか帰らん」は、今日の人々にどの程度実感されるものでしょうか。
「志を果たす」は、大志を抱いて故郷を離れた者の思いでしょう。実際には志成らずに故郷に帰ることもありえたでしょうが(註6)、一旦故郷を出る以上、中途半端な状態で帰るわけにはいかない、という思いが多くの人にあった、そういう時代が長く続きました。この点について語り出すときりが無いのでやめておきましょう。
飛行機や新幹線などで簡単に故郷と行き来する時代には、この歌詞の実感は湧きにくいのだろうと思います。(そして、NHKの朝の連続ドラマでは、大志を抱いて都会へ発つ我が子に、母や父などが「辛くなったらいつでも帰って来るんだよ」と言い聞かせる場面が必ず挟まれます。)
それでも、今日なお多くの人がこの歌詞に共感を抱くとすれば、それは「いつの日にか帰らん」という言葉でしょう。故郷は、いつか帰る場所、帰りたい場所であり、帰ればそこに全てを投げ出してくつろいだり泣いたりできる場所であり、だからこそ犀星の「帰るところにあるまじや」という深い悲痛の言葉は、衝撃を以て人々に受け止められたことでしょう。
山青く水清き
歌詞の最後は
山は青き ふるさと
水は清き ふるさと
と、もう一度故郷の自然を想う言葉に返って心情をまとめています。
おそらく、多くの人がこの歌に惹かれる最大の魅力が、この二行ではないでしょうか。この簡潔な、そしてあまりにベーシックな、わかりやす過ぎる柔らかい大和言葉の魅力は、口ずさむと抵抗し難いものがあります。山と水、青い、と、清い、そして、ふるさと、です。
言葉の内容自体は、「山紫水明」とか「山むらさきに水清く」とか言い古されたものとさほど変わり映えはしないでしょう。しかし、この「山紫水明」や「山紫に水清く」などに比べ、この二行は圧倒的に素朴で単純、本当にぎりぎりの基本だけで成立している詞だと言えるでしょう。故郷について、誰がこれ以上簡単な文章を書けるでしょうか?(ここに「海」が現れないのは、作詞者の経験の限界だったと思われます。その点、物足りない、とか、遺憾だ、と思う海育ちの「海の子」は、新しい歌詞を加えるなり作るなりして、別のヴァージョンを歌われることを提唱したいと思います。)
この徹底した言葉の簡単さと、そしてそこに込められた故郷の自然への思慕、これこそこの歌の魅力の精髄でしょう。おそらく、多くの人が、自分の故郷がいつまでもこのようであってほしい、と思い、そして、世界中がこのようであってくれたら、と思うのではないでしょうか。私たちの誰もに宿るかもしれない望郷の思い、ふるさとを讃えるその思いが、この世界の永遠の讃歌であればどんなに素晴らしいことだろう、とわたしたちはほとんど涙ぐむように、願うように、思わずにはいられないでしょう。
そして、わたしたちがこの歌に浄化されるような気がするのは、畢竟、この世界が美しくよい場所であってほしいというわたしたちの願いの内容そのものの、何物にも変え難い尊さに気付かされるからではないでしょうか。
形容詞「清し」
さてここで、もう一つ確認しておかなくてはなりません。
それは「水は清き」における、形容詞連体形の「清き」です。
大変惜しまれることですが、形容詞「清し」は近代口語においてほぼ消滅しました。今日、形容詞の「清い」はほぼ用いられる場面がありません。わずかに連体形の使用例で「きよい関係」(性的交渉が無い関係)や「きよい心」などの定型文句がある以外には、(方言的なものを除いては)ほぼ用いられません。
これは、形容詞の終止形および連体形が、連体形のイ音便形に完全に取って代わられた結果と言えます。不幸にして、「きよい」という単語が生き延びるには、その音が余りに清く弱かったのでしょう。その音声的弱さ頼りなさに堪えられなかったわたしたちは、「きよい」という形容詞よりも「清らか」という形容動詞に走りました。表現したいことが表せさえすれば、形容詞だろうが形容動詞だろうがかまわないではないか、と言いたいところですが、しかし、形容詞と形容動詞は、話者の心理との密接性という点で決定的な違いがあります。(両者が截然と分かれている所以です。)(註7)
そこで、どうしても形容詞として使いたいケースでは、いまだに私たちはこれを文語の活用形で用いることになります。「清き一票」(「清らかな(る)一票」ではダメなのです。)や「流れも清き賀茂川の」など。これらは慣用的に固定化したもので、もはや「清き」はほとんど連体詞と言わなくてはならないでしょう。
ぬばたまの夜の深けゆけば久木生ふる清き河原に千鳥数鳴く
このような「清き」を、もはや私たちの口語は用いることができません。
「言葉の乱れ」は巷でしばしば話題になりますが、形容詞が口語においてイ音便形へ雪崩をうって変貌して行ったこと自体は、もちろん必然の流れがあったればこそでしょう。そこを咎めるわけにはいきません。しかし、その結果、わたしたちはまことに口惜しくも「清し」という形容詞を実質的にほぼ失ってしまいました。
唱歌「ふるさと」は、文語が作詞の前提であった時代に作られました。それが、ここに「山は青きふるさと」「水は清きふるさと」という歌詞を可能にしました。この歌詞を子供に解説するとき、わたしたちは「水は清いふるさと」と言えず、「水は清らかな(または「水はきれいに澄んでいる」)ふるさと」としか言えません。このとき、わたしたちの日本語の歴史が「水は清きふるさと」という歌詞を見殺しにしていることになります。この歌詞を生き返らせるためには、わたしたちはある程度の文語の感覚(すなわち、自らは使わなくとも、文語は間違いない私たちの日本語であり、その言葉遣いを極めて自然なものとして理解できる能力)を身につけ、さらにそれを若い世代に伝えるしかないのです。それは、「山は青き ふるさと/水は清き ふるさと」という歌詞の「青き」「清き」の音の貴重さを感じ取れ、それを尊く感じるものの責務だと言っても構わないでしょう。
念の為に言い換えます。わたしたちが文語の力を失わないことが必要なのは、「正しい日本語・美しい日本語」を守るためではありません。例えば「山は青き ふるさと/水は清き ふるさと」という、何ものにも代え難いこの歌詞の、この音声の言葉でしか表現され得なかった心情を十全に素直に感知する能力を失わないためです。
そんな能力がなぜ必要なのか、と、もし尋ねる人があるなら、ではそんな能力が必要ではなくて、他のどんな能力が必要なのですか、と問い返すことができるでしょう。
近代文明の渦に巻き込まれた人々は、「ふるさと」と題された、このわずか120音の言葉に綴られた「ここにないもの」の尊さを感じ、その120音の言葉に「自分が失った場所」の尊さを思い知らされて涙ぐんで来ました。もし、この歌の価値をとことん考え抜くことが出来たら、日本語を生きる近代人には、全く別様の近代史があり得た、と考えることは出来ないでしょうか。そんな能力は必要ではない、と平然と言える人々は、ではわたしたちを本当に幸せにしてくれるどのような能力を発揮してくれたのでしょうか?
国破れて山河無し、と言わざるを得ないまでの、わたしたちのふるさとの現状は、わたしたちのどのような能力の結果もたらされているのでしょうか?山は青きふるさと、水は清きふるさと、この言葉に込められた思いを、わたしたちは本当に汲み取れて来たと言えるのでしょうか?
この歌詞を汲み取る文語能力が必要だ、と筆者が考えるのは、その様なことです。日本の伝統文化を守れ、と叫んでいた人々は、ついにこの「ふるさと」の歌詞の訴えを守ることができませんでした。なぜでしょうか?
歌詞を活かすメロディー
さて、以上のように、故郷恋しさの込み上げる思いをかろうじて拾い得た、口数少ない歌詞に、岡野貞一が曲をつけて、ここに多くの人の愛唱してやまない歌が誕生しました。
岡野貞一・高野辰之のコンビは数々の唱歌を作りましたが、「故郷」はその白眉と言ってよい、と筆者には思われます。
その4分の3拍子の曲は、最もさりげなく、一点トの音がそれぞれ一拍づつ3個連なって始まります。そして、この「六四調」の歌詞の一音一音をそっと丹念に拾い上げるように、愛おしむように綴ってゆきます。
そこに展開するのは、単に美しい曲を作ろうとか感動的な調べを歌い上げようとか図るだけでは思いつけないかも知れない、あまりにシンプルで自然な音の流れだと言えるのではないでしょうか。
おそらく、高野の詞に接したとき、作曲家・岡野貞一の耳は、この歌詞の、一音たりとも他の音には代え難い響きを、十全に聴き取ったことでしょう。すなわち、湧き上がる情感に遅れ気味にしか顕ち現れ得ない、ほとんど不器用に近い訥々とした言葉の響きを聴き取り、それに耳を傾けることによって、歌われている情感の込み上げ方を隈なく感じ取ったに違いありません。ここに紛れもなくふるさと恋しさに涙ぐむひとりの想いがある、この想いの込み上げ方を、歌詞の一音一音を生かすことで描き出さなくてはならない、と思ったことでしょう。
その結果、岡野の聴き取った高野の想いが、ほとんど望郷の想いの在り方の一典型としてわたしたちに届きます。稀有の旋律がこの歌詞に耳を傾けることで生まれ、その稀有の旋律によってわたしたちはこの歌詞をわたしたちの歌として噛み締めることができます。
今日、決して十分とは言い難い日本語力しか有たないわたしたちが、この歌詞を余すところなく感じ取れるとすれば、それはひとえにこの穏やかに流れるメロディーの賜物でしょう。そして、実際のところ、わたしたちは、たとえ歌詞の日本語を完全に理解してはいなかったりしても、歌詞に込められた作詞家の意図はこのメロディーによって感じ取られているのではないでしょうか。
そして、作曲者岡野貞一が聴き取ったこの詞の音声は、最初に掲げた漢字多用表記ヴァージョンではかなり見えにくいのではないか、と筆者は考えます。岡野貞一が愛しみ、おそらくは全身を耳にして聴き取りメロディーへと開花させた詞が、どのような響きに支えられた言葉であったのか、それを感じ取るには、ひらがな多用ヴァージョンに如くは無い、と筆者は思います。ひらがな多用ヴァージョンは、岡野の聴いた音を見やすくしてくれるだけではなく、目で追えば岡野のメロディーをよく立ち上げ活かしてくれる表記だと言えるのではないでしょうか。
今日、大衆歌謡の世界はまさに百花繚乱の観を呈しており、そこではありとあらゆる歌作りの試みや実験が行われています。それは、歌を作ろうとする人々にとって、避けるわけにはいかないものであるでしょう。
しかし、高野辰之作詞・岡野貞一作曲の「故郷」という、歌詞もメロデイーも驚くほど単純なこの歌が、この歌謡乱世にあってなお多くの日本語生活者の人々に愛しまれている、という事実は、ひとり歌謡活動のみならず、あらゆる表現活動に絶えず反省を迫るものがある、と筆者は考えます。そこに思いを致すことを忘れる時、というより、高野・岡野のように表現の発生の原理を忘れる時、真にわたしたちが心を揺さぶられる歌の出現は難しいのではないでしょうか。
旧仮名遣いの歌詞
最後に、旧仮名遣い表記でこの歌詞を掲げておきます。これは旧仮名遣いが「かっこいい」からでもなければ、筆者の衒いによるものでもありません。
ひとつには、実は旧仮名遣いこそが正しい仮名遣いだ、ということが確かにあります。(正しさの利点は、わかりやすいこと、です。今となってはなかなか信じてはもらえないかも知れませんが、旧仮名遣いは新仮名遣いよりも、実は文章の意味がわかりやすい場面が多いのです。)
その他、旧仮名遣いには、新仮名遣いに望めない作用や利点がいくつかあります。それらがどのようなものか、このシンプルな歌詞の表記で多少なりとも感じ取って頂ければありがたいのですが、今はそこまでを期待しません。ただ、旧仮名遣いでの「ふるさと」を目で追いつつ、岡野貞一のメロディーを口ずさんで頂くだけで嬉しいです。
故郷(ふるさと)
1.うさぎ追ひし かの山
小ぶな釣りし かの川
ゆめは今も めぐりて
わすれがたき ふるさと
2.いかにいます 父母
つつがなしや 友がき
雨に風に つけても
思ひ出づる ふるさと
3.志を 果たして
いつの日にか かへらん
山は青き ふるさと
水は清き ふるさと
註)
1.本シリーズ②「われは海の子」でも述べましたが、「われは海の子/白浪の騒ぐ磯部の」と、本来なら五七調に捉えられるべき詩行が「われは海の子白浪の/騒ぐ磯辺の松原に」と七五調で捉えられたりします。二句切れや、とりわけ四句切れの短歌などは、明らかに五七調と捉えるべきものですが、百人一首などでは何句切れだろうとお構いなしに五七五を「上の句」、続く七七を「下の句」としています。もしかすると、かなりの日本人が五七調のリズムの味わい方を知らない疑いがあります。
2.有名な阿倍仲麻呂の「天の原ふりさけ見れば〜」など、望郷歌は古くからあります。しかし、たとえば「梁塵秘抄」の大衆歌謡の有り様に比べ、近代の望郷歌の数の多さは目を見張るものがあります。今日から見れば信じ難いようですが、1960年ごろまでのいわゆる「流行歌」には、望郷の思いまたはそれに準ずると思われる情緒をテーマとした歌が多数見られます。
3.「ここはお国を何百里/離れて遠き満州の/赤い夕日に照らされて/友は野末の石の下」(軍歌「戦友」一番の歌詞)
4.照る月に吹く北風に飛ぶ雁にただ故郷の幸のみ祈る
これは一兵卒として派遣された筆者の父が「満州国牡丹江省愛河」で「遺稿」と題して記していた中の一首です。
5.カール・ブッセ「山のあなた」上田敏「海潮音」所収
6.志を果たせずに故郷に帰った失意の人物を描いた非常に早い小説例として、国木田独歩の「河霧」を挙げることが出来るかと思います。また、新美南吉の童話「和太郎さんと牛」には「理屈が好きで働くことが嫌いになって帰って来た」という人物が登場します。
7.拙稿「形容詞エモいの隆盛」参照。この稿では「エモい」という形容詞を、巷間言われる「をかし」ではなく「あはれ」の意と捉えています。この判断に関しては賛否が分かれるようです。筆者自身は、近年猛威を振るっている二つの単語「映える」と「エモい」のうち、「映える」は典型的「をかし」例であり、一方「エモい」は単なる「カワイイ/イケてる」等と異なり、「あはれ」の情緒系列の語と捉えています。そして、これが「あはれなり」と形容動詞でしか言えなかった情感を、「エモい」と形容詞で表現できるようになったところが、「エモい」の隆盛の秘密であると捉えています。
