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サクリファイス(お題 犠牲)

「兄ちゃーん」
 ふり向くと、にこにこと笑いながらその子はこちらにかけてきた。

与一よいちか。どうした」
 僕がそう言うと、うれしそうに抱きついてくる。
「…今日も遊べる?」
 まろいほっぺを赤くしながら首をかしげてそう聞いた。

「母ちゃんの手伝いがだいたい終わったからいいぞ」
「わーい!」
 彼は嬉しそうに跳びはねている。
 この子は近所に住んでいて、年も3,4つくらいしか変わらないのでよく遊びに来ている。僕も慕ってこられるのが嬉しくて、一緒に遊んでいるのだった。

「なにして遊ぶ?」
「そうだな……かくれんぼとか」
「わかったー」
 そうやってその日も1日が暮れていくのだった。

***

 ある日、村人の1人がつぶやいた。
「……雨がなかなか降らないな」
 彼の言うとおり、ここの所まったく雨雲を見かけないのだった。
 そのうち降るだろうと皆思っていたようだがひと月、ふた月と経つうちにしだいに深刻な顔になっていった。

「え――」
 それを聞いて僕は唖然としていた。
「今なんて……」
 母ちゃんにもう一度聞きなおす。
「だから、与一君が選ばれたんよ。人柱に」
 僕は耳を疑う。

「だって……あの子はまだ八つにも……」
「だからよ。人柱は数えで十になる前の男の子が選ばれるから――」
 言いながら気が引けるのか、目を反らして続ける。
 僕は、ぽかんと口を開けたまま母親の話を聞いていた。
 干ばつが続くと、村から小さな男の子が1人選ばれて人柱にされる。その事は前から知っていたけれど、実際に身近に起こるといまいち実感が湧いてこない。

「そんな…あいつは本当に小さいのに……まだ何も分かってないんだぞ…」
 そう言いながら、どこか他人事ひとごとのような気がしていた。

***

 母親からその話を聞いてから、まだ一度も与一とは会っていなかった。
 どんな顔をして会ったらいいか分からなかったし、あの子もふさぎ込んでずっと家から出ていないらしい。心配だったけれど、僕にはどうしようもなかった。

 そして、ついに儀式の日が訪れた。僕はそんなものになど出たくなくて、ずっと閉じこもっていた。本来は村の者全てが参加しなければいけなかったが、僕とあの子の仲を皆知っているのか、無理に行かせようとはしなかった。
 何もせず、じりじりとただ時だけが過ぎていく。
 昼も過ぎた頃だろうか、不意に子供の泣き声がしたような気がした。
 それは聞き覚えのある声だった。

「……与一!」
 僕はそう言うと、家から出て外へ走り出す。
 半里ほど全速力で駆(か)け続け、息が切れて肺が痛み、もうこれ以上一歩も進めないと思ったころ、雨乞(あまご)いの儀式を行っている場所へたどり着いた。

 そこには、ほぼ全員の村の人々が集まっていた。
 僕はふらつく足で人の波をかき分ける。誰かに呼び止められそうになったが、他の者にたしなめられたのか、それ以上誰にもとがめられなかった。

 ――その先には、彼の姿はすでになかった。
 目の前にはただ、地面の土が3尺あまりの長さでこんもりと山になっているだけだった。

「…………」
 思わずその場に立ちつくす。

「どうして来なかったんだい」
 声をかけられ、振り返った。
「母ちゃん……」
「あの子はずっと待っていたよ。あんたの事を」
「与一は……」
 僕はのろのろと聞く。
「あの子はどんな様子だった……?」

「別にどうもしやしないよ。ただ黙って運命を受け入れていた。穴が掘られて、そこへ入れられる時になっても」
 彼女は言葉を続ける。
「ただ一粒、涙を流しただけだった。」

 僕はそれを聞くと、視界がグラグラと揺れた。立っていられなくなり、思わずひざをつく。

「……お前も最後のお別れをしてやればよかったのに」
 そう言われて、茫然ぼうぜんとする。
 ──そうだ。もうあの子のまろい頬も、兄ちゃん兄ちゃんと呼ぶ声も、二度と目にする事も耳にする事もない。
 そう気づくと、ふいに視界がぼやけた。

 僕はうずくまり、顔を腕にうずめ声を上げて泣いた。
 涙は、後から後からあふれてきてきる事を知らなかった。

               了


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ショートショート集『いつか君と遠く離れても』 1話から↓


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