夜の縁(ふち) ショートショート
そのお店は大きな通りをしばらく進み、市役所の方へ曲がった先の小さな路地にあった。ひっそりと立っているそこは、子どもたちが出入りしている雑貨屋だ。
駄菓子も置いてあるので、子どもはみな知っていたが、秘密の品も売っていることを一部の大人は知っていた。
数人の子どもがアイスやスナック菓子など、思い思いのものを手にして去った後、スーツ姿のくたびれた様子の男性がそこを訪れる。
彼は最近離婚したばかりだった。妻との間には小さな娘がいた。子どもには会いたかったが、元妻は許してくれない。彼は悩んで、眠れなくなった。
「……」
彼はまじまじと店の外観を眺める。こじんまりとした年季の入った店は、希望のものが置いてあるのか判断がつきかねた。店内には店主らしき女性以外、誰もいないようだ。
古ぼけたガラスの引き戸に手をかける。中へ入ると
「いらっしゃいませ」
と柔らかな声が彼を迎えた。肩よりやや長いツヤのある髪で、親しみやすそうな笑顔を浮かべている。若そうだと思ったが、よく見ると判別しかねた。穏やかにこちらを見つめている。
彼は店内を見回した。木とひもで作った小さな人形や、針金製の3段の吊り下げカゴ、レトロな花が描かれているガラスのコップ、ハンドメイドのネックレスやバッグなどが所せましと置いてある。
「何かお探しですか」
女性がにこやかに尋ねた。雰囲気が柔らかく、ほっとする何かを感じる。
「え、ええ…」
彼は躊躇するが、思いきって尋ねてみた。
「あの、ここで『夜』を買えると聞いたのですが」
彼女は目をぱちくりさせる。その様子を見て、内心しまったと思う。
あれは嘘だったんだろうか。やっとどうにかなると思ったのに。
ひどい不眠症で、病院へ行ったり薬を飲んでも効果はなかった。そんな時、ある噂を聞いてここを訪れたのだ。彼はがっくりと肩を落とす。
「『夜』ですか。ございますよ」
その返事を耳にし、驚いて彼女を凝視した。
「本当ですか?」
「はい。
他にも、惚れ薬のティーバッグ、未来が1日だけ見える琥珀糖、考えている事が判るヘッドフォンなどもありますが…」
「夜だけでいいです」
と、食い気味に言う。
彼女は柔らかくほほ笑んで、木製のカウンターの上にコトリと何かを置いた。
「ちょうど昨日入荷したんです。すぐに売り切れるので、幸運でしたね」
それは星砂を詰めてあるような、小さな瓶だった。砂の代わりに、黒いものが入っている。所々、チカ、チカと光っていた。
「これは真夜中の湖の水を濃縮させたもの。
水面に映っていた星も閉じ込められています」
「これが…」
彼は小さな闇と光に見惚れながらつぶやいた。
「はい。お求めになりますか」
「いくらでしょう」
「700円です」
彼はあわてて財布を取り出すと、紙幣を出した。
「ありがとうございます」
彼女はにこやかに、それを彼へ差し出す。と、一瞬手を止めた。
「ここは、一度訪れると再度来ることが困難です。場所はもうご存じでしょうが、たどり着く事はできません。それでもよろしいですか」
と念を押す。
「──はい」
彼は表情を引き締めて頷いた。
「では、よい夢を」
男性は瓶をそっと受け取ると、大事そうにカバンにしまって帰っていった。
彼は帰宅後、寝支度をすると、小瓶をカバンから出す。一緒にもらった説明書のとおりにコルクの栓をキュッと抜いた。
すると黒いものが中からフワ…、と出てくる。黒いもやのように広がって、時々キラキラと光った。
彼は瞳を閉じる。頬にベルベットのように柔らかい何かが触れた。息を吸うと、甘いクチナシのような香りがする。なぜか、脳裏に小さな娘の笑顔が浮かんだ。
「気持ちいい…」
彼はうっとりしながらそうつぶやく。しだいに濃い闇が彼の周りを包んでいった。
今日は久しぶりに眠れそうな気がする──
そう思いながら、ゆっくりと深い夢の底へと沈んでいった。
了
