冥府への玉座 第8話
第1章 混沌の世界への誘い
7. 最果ての地
彼らは最果ての地を目指しているのだと、ポーランツ王子は目覚めた馬上で思った。
どのぐらいの間、自分は眠らされていたのどろうか、かなり北に進んでいるようだった。そのぐらい、身体に感じる冷気が2、3度低いようにポーランツ王子には思えた。しかし、ポーランツ王子が落馬しないように漆黒の騎士ケネスが、しっかりと彼を抱いていたおかげで他の馬上の人たちよりも温かくいられた。
ポーランツ王子は、自分が目覚めたことを漆黒の騎士ケネスに気づかれぬよう、目的地に着くまで動かずにいようと思った。漆黒の騎士ケネスに抱きつくような恰好で騎乗させらているポーランツ王子は長い間、漆黒の騎士ケネスの体臭とともに彼の鼓動を聞いていた。
(この果実が饐えた汗の匂い。緩やかな一定の間隔を刻む鼓動の音。なぜ、こんなにも心地よいのだろう。まるでヴァス、お前に守られているようだ)
ポーランツ王子は胸に芽生えていた棘にヤスリをかけながら、漆黒の騎士ケネスに身を任せていた。
「王子、お目覚めですか? 顔をお上げください」
漆黒の騎士ケネスは、ポーランツ王子にそっと声をかけた。ポーランツ王子は顔を上げることはなかった。
「私は、もう王子とお話しをすることも許されない、ということですか」
ポーランツ王子は顔を上げることなく、口を開いた。
「よくわからない。ラナキュスに眠らされていたためなのか、レインブーネ、お前の容姿のせいなのか、お前とお前が守りたいキャリコダウン国の民を憎む気持ちが薄れていく」
ポーランツ王子の言葉を聞いて、漆黒の騎士ケネスは彼を抱きかかえる腕にさらに力を込めた。
「王子、私はまるで媚薬を盛られたみたいな気持ちでいます。王子と過ごした数日間、私は王子に心奪われてしまいました」
ポーランツ王子は、漆黒の騎士ケネスが刻む鼓動を聞いている。
「だから、ヴァイス・ブロンデンをずっと嫉んでいた。あの月夜の晩から、いや、産まれおちた時からずっと。私からすべてを奪っていく憎き……弟を」
「弟⁈」
ポーランツ王子は漆黒の騎士ケネスの言葉を聞き、はじめて顔を上げた。
「彼と過ごしたのは10ヶ月でも、同じ子宮の中で羊水に浸かっていたほどの仲です」
ポーランツ王子は、その碧い瞳に困惑の色味を加え、漆黒の騎士ケネスを見上げた。
「グレイシア大峡谷での戦いで父が亡くなったあと、私はレインブーネ公爵家へ、ヴァイスはブロンデン男爵家へとそれぞれ引き取られた。レインブーネ家は、あのセブルペタンの反乱で没落。私はソレル・ラナキュス伯爵とともに、キャリコダウン国へ逃げてきた」
漆黒の騎士ケネスは氷河のような薄緑色の瞳を遠い北東の空に据えた。
「ソレル・ラナキュス伯爵の元で己の生い立ちと、ヴァイスの存在を知りました。そして、王子、貴方にまつわる伝説も」
ポーランツ王子は漆黒の騎士ケネスを見つめたまま黙っている。
「ラナキュスは命の恩人です。レインブーネ家再興のために力を貸してくれた恩がある。だから、彼が指示することをすると決めたのです」
「お前は己を偽っている。これまで行ってきたことも、これから行おうとしていることも、自らの意思で動いていない。ヴァスを嫉んでいたということも」
そう言うとポーランツ王子は、再び漆黒の騎士ケネスの胸に顔を寄せた。
「私は漆黒のサーコートをまとった時から、暗闇の世界に入り込んでしまったのです」
「それは、お前の周りによき指導者がいなかっただけだ。お前とヴァイス、二人の魂は同じなのだ。どのような魔法をかけられたとしても、深い愛情をたっぷりと含んだ羊水に浮かんでいたのだからな。私にはわかる」
漆黒の騎士ケネスは視線をポーランツ王子へ落とした。
「うれしいお言葉ありがとうございます。しかし、遅すぎたようです。私が染まってしまった黒い沁みは取り除けそうにありません」
ポーランツ王子はゆっくりと顔を上げると、悲しみを帯びた漆黒の騎士ケネスの氷河のような冷めた瞳を見つめ、彼の頬にゆっくりと顔を近づけた。
「遅いことなどない。人が過ちに気づき正していくことに、恐れることはない。目に見える世界だけが真実ではない。私にはお前の本当の姿が見えているぞ」
ポーランツ王子の温かみのある碧く澄んだ瞳に見つめられ、黒く染まってしまった心に、一滴の明るい色合いが加わったように漆黒の騎士ケネスは感じた。
「王子には真実は隠せませんね」
と言って漆黒の騎士ケネスは穏やかで温かみのある笑顔をポーランツ王子へ送った。それに答えるようにポーランツ王子もやさしく微笑んだ。
そんな二人の様子を横目で伺いながらソレル・ラナキュスは、ポーランツ王子が伝説の男たるゆえんを悟り恐怖を覚えた。
そこは、思い描いて以上に最終の地であった。
その先には一歩の進めない。そのような断崖絶壁にそびえ立ち、来る者を拒んでいるようだった。
伝説の場所は、存在していた。
ペルセウスがいずる北東の地、ヴィーダ修道院。
幾多の支配者が要望を抱きつつ訪れては夢破れ、多くの流血を見たヴィーダ。ここで、また新たなる欲望が渦巻き『彼女』は再び、血に飢えた悪魔と化すのであろうか。
キャリコダウン国を出てから何日間、このように馬に揺られていたのだろうか。ヴァイスと一緒に馬術の練習をしているのとはわけが違う状況下で、最果ての地に足を踏み入れた。あの時のような平穏な日々はもう二度と送ることはできないのだろうか。 伝説は伝説であってほしい。
戴冠式前夜に味わった恐怖と至福の時、あの時以来の複雑な思いが去来している。
(ここにペルセウスが光り耀き、私が王としてあの宝冠を戴く時、今あるこの世はどうなってしまうのだろうか。今存在しているものを他者の欲望だけで潰してしまっていいのだろうか。その潰され消されものは、また別のものに潰されていく。永遠にその連鎖は続く)
終焉を迎えてしまっていいのだろうか。ポーランツ王子は自問自答の答えを出せずに、その時を迎えてしまった。
腕を縛られたままのポーランツ王子は漆黒の騎士ケネスに抱きかかえられるようにして馬から降ろされた。
「とうとう来てしまいましたね」
そう言いながら漆黒の騎士ケネスはポーランツ王子の腕を縛っている紐をはずしている。
「ここまで来て何を言っているのだ。この先はケネス。貴方が望んでいた天下統一と疫病もない永遠の命が待っているのだぞ」
いつの間にかポーランツ王子と漆黒の騎士ケネスの背後にいたラナキュスが二人の行動を監視するかのように見つめていた。
ギリシャ神話の英雄ペルセウスがダナエの胎内から輩出され、この世に現れるのもあとわずかだ。
ペルセウスよ。アンドロメダに会いに行く前に、ヴァスをここに連れてきてくれとポーランツ王子は、ヒメヤナギランの4枚の花弁の間から覗く萼片の濃い紫色のように色づきはじめた上空に目をやり願った。
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無職で色無し状態だニャ~ン😭
