農家は支援される人ではない──市民が農政を語る日(2025年5月公開/反響記事)
農家は可哀想だから支援すべき」ではなく、
共に未来をつくる“対等な存在”として見つめ直したい。
◆ なぜ、いま「農政」を語るのか?
食料自給率の低下、気候変動と災害の頻発、農家の高齢化と離農──。
この国の農業は、いま確実に「岐路」に立たされています。
けれど、その議論のほとんどは、政治家や官僚、あるいは大手メディアの枠内に閉じたまま。
“私たち一市民”が語る機会は、あまりにも少ない。
しかし私は思います。
「食べること」が暮らしの基本であるなら、「農政」は決して専門家だけのものではないはずだと。
◆ 支援される対象ではなく、「共創のパートナー」として
私たちは長らく、「農家は守られるべき存在」と教えられてきました。
しかしそれは同時に、農家を“弱い立場”に固定し、「支援される側」に押し込める構図でもあったのです。
けれど、本当にそうでしょうか?
・台風の夜、ビニールハウスを必死に守る農家
・朝4時に起きて収穫し、直売所に並べる夫婦
・地域と連携し、子どもたちに農業体験を提供する若者たち
──彼らは支援される存在ではありません。
むしろ、未来を共につくる仲間であり、市民社会の「担い手」なのです。
◆ 政策を「届ける」から「語り合う」へ
これまでの農政は、“農家に政策を届ける”という一方向の構図が強すぎました。
しかし、これからの時代に求められるのは、**「農家と市民と行政が語り合う場」**です。
市民が、自分の言葉で、農業の未来を語る。
それは決して、無責任な空想ではありません。
むしろ、誰もが“食べる側”である私たちこそが、「農の未来」を考える出発点を持っているのです。
◆ 小さな問いから、変化は始まる
・このトマトは、どこから来たのか?
・この価格の裏に、誰の労働があるのか?
・この農地は、あと10年後どうなっているのか?
そんな問いが、台所や食卓に持ち込まれたとき、
農政は遠いものではなく、身近な「参加」の場となる。
◆ 結びに代えて
農家は「支援される人」ではない。
農業は「守るもの」ではなく、「共につくるもの」。
この視点を起点に、次回の記事ではさらに深く、
「支援からこぼれ落ちた農家」たちの実態と、
私たちにできる具体的な問いかけについて、語ってみたいと思います。
📌 次回予告:
『農家の声が消えるとき──政策は誰のためのものか』
(2025年6月公開予定)
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