見出し画像

美しい老人

私のひい婆ちゃんは美しい人だった。

94歳で亡くなり、私は当時17歳。

17歳の私でも「この人は美しい」と、理解できた。

ひい婆ちゃんが亡くなる当時のこの家には、ひい婆ちゃん、祖父、祖母、叔母、その子二人、両親、中兄、私の10人で暮らしていた。

父一人の稼ぎで兄二人の学費。
年金生活者3人。

ひい婆ちゃんと父の会話をよく覚えている。

「もう、早くお迎えに来てもらわんと、あんたがしんどいばっかり。
可哀想に。」

「婆さん何言っとるん。
婆さんはうちの宝だよ!」

この会話は何度も聞いた。

老人を宝だと言っていた父。



ひい婆ちゃんは、
私達家族と同居する前も、美容室の二階奥の日の当たる小さな部屋にベッドだけを置き、日がな一日そこへ居た。

私が生まれる前はひい婆ちゃんが料理担当だったが、私が記憶しているひい婆ちゃんはいつもその部屋へ居た。

私や兄弟、従姉妹、子供たちはひい婆ちゃんの部屋へ集まる。

もちろんベッドの上だ。

賑やかだっただろう。

悪いことも沢山したに違いない。

ひい婆ちゃんは怒らない。

いつも、可愛い笑顔で笑ってる。

とても線が細く小さい。
透明に近い白のイメージ。

ひい婆ちゃんを嫌な想いにさせたくない、そんな気持ちは幼子の私にもあった。

祖母に邪険にされても、ひい婆ちゃんは愚痴をこぼすでもなく、
「仕方ない子だねー」
と話は終わるらしい。

そして、近くに沢山点在するお地蔵さんのお世話にいく。


残念ながら、
ひい婆ちゃんと私達家族との血縁はない。
ひいじいちゃんの後妻だから。

若いときは昔あるあるの、
『◯◯小町』と有名だったらしい。

うなづける。

ひいじいちゃんの連れ子、私の祖母を育ててくれたひいばあちゃん。
祖母は一人娘。

とてもチャキチャキな人だ。
美容室を中堅都市に開き、住み込みの弟子を10人ほど抱え、美容協会なども立ち上げたらしい。

その娘にはコケにされていた。

「外に出させなかった。」

祖母が!と母は言っていたが、
真実は別にしてもひい婆ちゃんは殆ど外へ出ていなかった。

私の母は、ひい婆ちゃんのファンだった。


10人の生活を支える母は、ひい婆ちゃんの話を私にして、ストレスから解放されていたのだと、今になって気づいた。
ひい婆ちゃんの美しさを話すことで。

祖母がひいばあちゃんをどれだけぞんざいに扱ってきたか。

母は、
それを見てきた人だった。

祖母が、笑いながら昔話をすることに、
母は違和感を覚えていた。
それを、私に話した。

母と祖母は嫁姑関係。
他と変わらず、
いろいろあった。らしい。

それを差し引いても、祖母はちょっと自由奔放すぎた。

だから、ひい婆ちゃんが際立っていたのか?

ーーそうではないと思う。
17歳の私が記憶する逸話でも、私はひい婆ちゃんを美しい人だと思っていたから。


私達家族と同居して間もなく。

ひい孫たちの誕生日を書き記した紙と、年金口座を母に渡した。
「この誕生日にだけ、お金を下ろしてきて欲しい。
あとは世話になってるあんたにあげる。
好きに使ってな。」

当時、叔母家族までもいた10人の家計は火の車。
母は内職まで夜中にしていた。

当時ヘルパーさんや介護施設も殆どない中、祖母のオシメ替えや離乳食は母と私でやっていた。

どれだけ嬉しかったか、今になってよく理解できる。

そんな美しいひい婆ちゃんは、
毎晩晩酌をする。
とてもゆっくり一合飲み干す。

亡くなる前日もそうだった。
飲み終えたあと、廊下で少しよろけた。

「今日はしんどいからお風呂いらん」と言って部屋へ向かう。

寝る前心配で部屋を覗き、胸が動いているのを確認したのを覚えている。

翌朝、冷たくなっていた。

そんな死に方までもが美しいひい婆ちゃん。

あんな老人に、私はなれるだろうか。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。

私の根底にある「美しさの探究」は、
この人との出逢いが始まりだったのかもしれません。

お墓参りの帰り、
ふと、このエピソードを思い出し、
こうして書き留めることにしました。


いいなと思ったら応援しよう!

サポ なんと‼️ そんな神みたいな方がいらっしゃるとは😭 いいのですか?😭💦 嬉し過ぎます❣️❣️❣️