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私は、母みたいになるのが怖かった。

健康や美容に興味を持った理由は、
“キラキラしたもの”じゃない。
むしろ、怖さから始まってる。

今回ロート製薬さんの企画
“身体についてのひとりごと”
のお知らせを見た時
考えてみた。


「どこからだろう」と記憶を辿ると、
母の若い姿が浮かぶ。

写真で見る母は、
どの写真も破顔で笑ってる。

だけど、記憶に残るリアルな母は
病気の総合商社だった。

私が幼い時から
入退院を繰り返していたらしい。

だからと言って寝たきりではいられない。

父は結婚前から起業し、
その奥さんとして共に働いていたから。

朝から夜遅くまで。

晩御飯の時間なんて
あってないようなモノ。

とっても記憶にあるのは、
遅く帰った母が
「今日はタンシチューしなきゃ!」
と言って煮込み、
食べ始めたのは夜の11:30。

小学校低学年だった私にとって、
少し恐ろしい記憶。

調子の悪い日はずっと寝ている母。
機嫌の悪い母。
(この姿が母だった。)


小学3年生のときには
脳梗塞で入院。

学校では、
千羽鶴を友人が手伝ってくれていた。

そのことは母には内緒。

毎日、家とは反対の病院へ
ランドセルのまま向かった。

病室で母と二人。

べったりくっついて、
学校の話をする。

そして、一人。
歩いて家へ帰る。

今から40年以上前だから、
現代のようないいお薬はない。


数ヶ月入院していた母。

帰ってきた時は嬉しかったー!


でも、そこから2年後。

5年生の時に、また入院。

数ヶ月後のマラソン大会の日。
母は退院。

コースは、自宅の前を走る。

その時、
朝には居なかった母が
父に支えられながら
笑顔で応援してくれていた。

その姿を見て、
泣きながら走った記憶がある。

2位になってしまい、また泣いた。
母が慰めてくれた。


幼い私は母がいなくなるのではないか。と、怯えていた。

母の病歴は私が知っているだけでも、
30代心筋梗塞。脳梗塞。
40代心筋梗塞。脳梗塞。
50代子宮筋腫。
60代ガン。
70歳を迎えた歳に逝ってしまった。


30代に入ってからは、
私も自分の体を心配するようになった。

「血管系の病気になる可能性が高いから、あんたも気をつけよ!」

そう言われていたこともある。
でも一番は、
子どもがいたから。

あんなに寂しい思いをさせたくなかった。


日常をこの子達と笑っていたい。
じゃあどうすればいいのか?

そこから健康や美容を学び始め、
気づけばそれが仕事になっていた。


身体は一生もの。
車や機械のように、
部品交換はできない。


日々のメンテナンスが必要になる。

現在50代の私は、
まだまだ健康意識は高い。

だけど、
いつもここに書いているように
怠惰です。

ただ、
崩れない構造に設計しているから
崩れそうで崩れない。

今のところ、
健康診断で引っかかる項目はない。
(生理も未だに毎月やってくる。)
更年期障害の症状も今のところない。

体内年齢も39歳のまま、
毎年変わらない。

結局、習慣なんだと思う。

とはいえ、
お酒はいただく。
散歩も習慣になったのは最近のこと。
食事習慣も
スーパーフードの資格をとっているから、化学物質を入れない程度。
偉そうにできるようなものではなかった。


それでも、
怠惰でもできる習慣に置き換えること。

母が70歳で逝ったとき、
私は41歳でした。

それでも『早い!』
と思いました。

当時、子供達は思春期。

『どんな言葉をかけた?』

『成人式はどうしたらいい?
私の着物はどこ?』

『大学へ行くって。
離れるの寂しいね。』

『いい人できたみたい。』


「どうしたらいいかな?」


沢山聞きたいことがあったし。
今も、これからもある。


せめて、
私は子供たちが50歳になるまでは、
そばで話を聞いてあげたい。

そう思う日々だから。

だから
今日もメンテナンスという
習慣の中に組み込んだプラスαの動きをやっている。

#身体についてのひとりごと

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サポ なんと‼️ そんな神みたいな方がいらっしゃるとは😭 いいのですか?😭💦 嬉し過ぎます❣️❣️❣️