「施す人」と「施される人」の両者がいないと施術は完成しない
メンエスは施術がもちろんメインだ
そしてそこで交わされる会話もとても重要だ
会話で癒されているお客もたくさんいると思う
僕は会話はとても好きなので、施術そっちのけで会話に夢中になることは多々ある
だが施術は本来会話が無くても成立する
口に出して言葉が無くても成立する
あるセラピストに聞いたことがある
そのセラピストを定期的に指名するお客は最初と最後の挨拶以外は一切喋らないそうだ
そのセラピストの施術を黙って受けて黙ってじっくりと堪能して帰っていき、また再び来るそうだ
ああ、僕には真似できない
僕はセラピストに興味を持ったら聞きたいことが溢れてくるし、話したいことが溢れてくるのだ
喋り過ぎて施術内容を覚えていないこともある
そのお客にとってはそのセラピストの施術を受けることが会話になっているのだろう
そのお客に合わせて余分なことは喋らずに施術に集中して何かをお客に与えているセラピストも凄い
施術というのは僕にとっては不思議なものである
格闘技は相手が居なければ試合は成り立たないように、施術の技術がいくらあっても、その施術を受けてくれる人がいないと成り立たない
「施す人」と「施される人」
「能動」と「受動」がないと施術は完成しないのだ
「能動」と「能動」になると格闘技の寝技みたいになってしまうのだろうか?
そんなこと当たり前ではないかと言われればそうなのだ
それがどうしたと言われればそれまでなのだ
でも僕は偏屈者であるため余計な事ばかり考えてしまう
風俗ではあまりそんなことは考えたことがない
風俗は性欲処理、整体マッサージは治療
リラクゼーションはリラックス効果
みんな目的が最初からある
おそらくメンエスは目的が曖昧なところがあり
自分でその楽しみの照準を定めなければならないからだ
メンエスは「対」となるものが喚起されてくる
陰陽道のごとく表があれば裏がある
光と影
聞こえる音と聞こえない音
見えるものと見えないもの
「触れる」ということは「触れない」という概念が存在しないと「触れる」という表現は成り立たないのだ
いくら密着されてもプロレスのベアハッグみたいに力任せにハグされても息苦しいだけでそれは苦痛となり「触れる」という概念からは乖離していく
他者との接触、他者との関わり、他者との距離感がないと施術は完成しないのだ
施術技術を追求して、一般的なメンエスから卒業していくセラピストも多い
そういった人たちの施術に対するマインドにも興味がある
施術のどんなところに魅了されて夢中になっていくのか
人の肌に触れることにはどんな世界が広がっているのだろうか
僕にはよくわからないことが一杯あるのだ
自分の内面との交信というものが施術にも必要なのか
相手と同化するような意識が必要なのか
必要ならどの程度必要なのか
それは感覚なのか体内や脳内で計測してる感覚はあるのか
客観的に距離感が必要なのか
俯瞰する感覚も必要なのか
こんなややこしいことばかり言うお客なんてセラピストにとっては嫌な客だろうな・・・
技術を感じる施術も素晴らしい
でも拙くても一生懸命にやってくれる施術もいいよ
僕は人間を感じる施術が好きなのだ
