会話は相手をよく見て呼吸とリズムを合わせること
会話は簡単なようで難しいし、難しいようで簡単な面もあるような気もする
メンエスセラピストも一対一の接客業であるため、会話には神経を使い工夫もしていることかと思う
お客の話題に合わせることが上手な人
おだて上手や褒め上手な人
甘え上手な子
お姉さんのように優しい聞き上手の人
たまに結構な無口な子もいる
まだ新人で施術の手順をこなすことに一生懸命で、滑らかな会話ができずにぎこちない子もいる
昼職で別の接客業に従事経験がある子や営業職の子は会話の技術もあって、そつなくコミュニケーションをとることが上手いなと思う子もいる
ただ難しいもので、いや僕が偏屈だからだろうが、「技術で会話をしているな」と感じる子は、もちろんその場はそれなりに楽しさはあるのだが、もう一歩先へのその子への興味に繋がらない
技術が駄目だと言っているのではない
誤解を招く恐れがあり難しいのだが、技術やセオリーを感じさせるのは本当の技術ではない気がするのだ
言葉がたどたどしくても
言葉に詰まりながらでも
自分の想いを語っているんだなと感じる会話のほうが楽しいし、「次も会ってみたいな」と思うのだ
偉そうに言ってすいません・・・
単なる相性や好みと言ってしまえばそれだけなんだが・・
会話は言葉使いや話題の内容が重要ではなくて、相手との呼吸とリズムと間のほうが重要な気がする
呼吸とリズムがあってくる会話が一番心地いい
いくら共通の話題があっても
考えが同じであったとしても
リズムと間が合わないといらつく会話になったり広がりや深さが出ない
僕は仕事柄、老若男女と幅広く会話することが多いが、最初の頃は事前に質問事項や伝えなければならないことをメモしたりして、順を追って話すことばかりに気を捉われていた
「何を話そう」
「何を聞こう」
「何の話題を話そう」
とばかり考えていたが、ある時期からあまりそういったふうに考えないようになった
逆に「何を話したい人」か
「何を話したくない人」かを
会ってその場の雰囲気や流れで掴み、話題はその場で拾って広げたり掘り下げていけばいいやと思うようになった
自分が何を話そうと考えるのではなくて
「相手に何を話してもらおう」と
「相手は何を話したい人だろうか」を最初に頭において会話している
そして重要なのが
「何を話したくない人」
かということだ
人にはそれぞれ触れられたくない事が多かれ少なかれある
それを察する能力のほうが話術よりも重要な気もするのだ
言葉は自分の頭から無理に引っ張り出さなくても、言葉を探すのではなくその場で拾っていけばいい
相手の話を真摯に聞けば、聞きたいことや感じたことや言いたいことは、いくらでも出てくる
会話下手な人は声の強弱のバランスが悪かったり
相槌のタイミングが悪かったり
話を最後まで聞けず遮ったりと
リズムを相手に合わせていくのが苦手なんだと思う
会話はディベートではない
論理的に説明して相手を打ち負かすことではないのだ
相手の話を聞くだけで終始することも会話であるし
相手に自分の話を終始聞いてもらうことも会話である
昔、聾啞者同士の会話を近くで見たことがある
声を発していないので声は聞こえず見ていただけになるが、でも会話を聞いているようだった
手話を使って
相手の目を真っ向から見て
表情をぶつけ合っていた
まるでケンカのように、必死に伝えあっている
必死に相手の言わんとすることを読み取ろうとしている
必死に自分の言いたいことを伝えようとしている
手話で会話をして、笑いあってもいる
言葉を発することなく笑いあっている
そこには「上手く話そう」とか、これを言ったら「変に思われるだろうか」とか、余分な神経を使っていない
中途半端な探り合いもないし、見栄も虚栄心も、すかしたカッコつけもない
情報と気持ちを必死に伝え合おうとしているだけだ
会話とコミュニケーションの本質がここにある
伝えようとする思い
伝えたい思い
相手を知りたいという思い
相手の言いたいことを汲み取りたいという思い
それさえあれば会話はできる
セラピストにとっては、もしかしたら一番やりやすいお客は、最初と最後の挨拶ぐらいで、他は終始無言で黙って気持ちよさそうに施術を受けてくれる人かもしれない
黙ってても何度も通ってくれる人かもしれない
そうであればセラピストも施術に集中できるかもしれない
僕は喋りたいほうなのでそういう客にはなれない(笑)
会話の呼吸とリズムを合わせるためには、相手をよく見ないとできない
それは施術も同じではないかと思うのだ
