令和に見ると炎上確定? なぜ昭和の少年たちは南斗水鳥拳の男にシビれたのか
最近、新たにアニメ化された『北斗の拳』を見ている。3DCGで描かれた映像は現代的なのだが、ストーリーは武論尊先生の原作に忠実だ。だからこそ衝撃が強く、逆に驚かされる。
「今なら絶対に炎上するだろうな」
と思う場面が次々と出てくるのだ。
ちょうど今、南斗聖拳シンとの戦いが終わり、私の大好きな南斗水鳥拳のレイが登場したあたり。マミヤや牙一族とのエピソードが描かれ始めている。印象的なのが、マミヤが牙一族討伐に同行しようとする場面だ。
弟のコウを殺され、村のリーダーとして責任を感じるマミヤは「私も行く」と主張する。しかしレイは「女は戦いに参加するな」と止める。現代の感覚なら、この時点でかなり危険なセクハラ発言である。
さらにマミヤが「女は捨てました」と言い返すと、レイは南斗水鳥拳で彼女の服だけを切り裂いてしまう。『え、マジで?』と思いながら『確かにそうでしたよね』と思い出す。
慌てて胸を隠すマミヤ。
そこでレイは言う。
「女を捨てたやつがなぜ胸を隠す」
そして最後に、妹アイリが結婚式で身につけるはずだったベールをマミヤに渡し、「女にはこれが似合う」と諭す。
今見れば、なかなかの茶番である。
いや、本当に茶番だ。
もしこのシーンが令和の新作アニメだったら、放送直後からSNSで大論争になっていたかもしれない。
それなのに、当時の私はおろか、少年みんなはこの場面にしびれていた。そして不思議なことに、今見返しても少し心が動く。
なぜだろう。
レイは女性差別主義者だったのか
改めて見返すと、レイの発言は現代の価値観とはかなり距離がある。「女は戦いに参加するな」という言葉だけ切り取れば、そう受け取る人がいても不思議ではない。
だが、私はレイを女性差別主義者だとは思わない。
なぜなら、彼自身が誰よりも傷ついた人間だからだ。
妹アイリを奪われ、人生を狂わされ、守れなかった後悔を抱え続けている。
だからこそ、マミヤを戦場へ送り出したくない。
レイの言葉の根底には支配ではなく、守れなかった者の痛みがある。守りたいと思う人間への気持ちがある。
昭和の少年たちが憧れたもの
レイの価値観は、今で言う男女平等とは違う。
しかし昭和の作品にはよく出てくる。
男が前に立つ。
女や子供を守る。
自分が傷ついても責任を引き受ける。
今の時代から見れば古臭い考え方かもしれない。だが、当時の読者はそこに「覚悟」を見ていたのだと思う。
重要なのは、レイは厳しい言葉や態度だけではないことだ。自分は安全な場所にいて他人に命令するのではない。
誰よりも危険な場所へ行く。
誰よりも先に傷つく。
誰よりも先に死ぬ覚悟を持つ。
だから読者は納得した。
そして少年たちは憧れた。
私自身もそうだった。
令和になって変わったもの
もちろん、社会は大きく変わった。
男女平等は進み、多様な価値観が尊重されるようになった。それは間違いなく良い変化だと思う。一方で、「男らしさ」「女らしさ」を語ること自体が難しくなった。
すると今度は、
守るとは何か。
責任を負うとは何か。
強さとは何か。
そんな問いも曖昧になっていく。
だからレイを見ると不思議な気持ちになる。
古臭い。
でも格好いい。
間違っている気もする。
でも嫌いになれない。
そんな複雑な感情が残る。
レイは間違っていたのか
私はこの記事を書きながら、ずっと考えていた。
レイは間違っていたのだろうか。
それとも時代が変わっただけなのだろうか。
もし令和の今、レイが同じことを言ったら炎上するだろう。それはたぶん間違いない。けれど昭和の少年だった私は、あの場面でレイにしびれた。そして50代になった今でも、その理由を完全には否定できない。
皆さんはどうだろう。
レイの言葉や態度は、女性差別だったのか。
それとも、守る覚悟を語ったハードボイルドなのか。
そしてもし今の時代にレイがいたら、彼を支持するだろうか。それとも批判するだろうか。
ぜひコメントをお寄せいただきたい。
