盗まれた重力――黒い檻の囚人: 革命の歴史 Vol.24.6
MC: アイ、ユウ
「世界は、ある朝突然変わるのではない。
古い灯りが一つずつ消え、その隣で、
まだ名もない光が静かに灯り始める」
過去へ戻れない理由
ユウ:
アイ先生、前回の話の続きです。
プラスチックが海を汚しているなら、昔みたいに、お鍋を持って豆腐を買いに行ったり、お酒や牛乳をガラス瓶で買ったりする生活に戻せばいいんじゃないですか?
少しくらい不便になっても、その方が自然で、地球にも優しい気がするんですけど。
アイ:
その感覚は、間違っていないわ。
近くで作り、近くで消費し、使い終わった容器を回収して何度も使う。そうした仕組みが、現在でも合理的に機能する場所はある。
でも、それを今の巨大な都市と物流システムへ、そのまま戻すことはできないの。
ユウ:
ガラス瓶が重いからですか?
アイ:
それも理由の一つね。
容器が重くなれば、一度に運べる量が減る。割れないように保護する資材もいる。
回収する車両、洗浄する水、再び使える状態へ戻すエネルギーも必要になる。
ただし、だからといって「ガラスは悪い」「プラスチックの方が正しい」と結論づけるのも違うわ。
どれだけの距離を運ぶのか。
何回使うのか。
どのように回収するのか。
条件が変われば、環境への負荷も変わるから。
【解説:LCAという鏡】
LCA――ライフサイクルアセスメントとは、原料の調達から、製造、輸送、使用、回収、再利用、廃棄まで、製品の「生涯全体」を通して環境負荷を評価する考え方。
見た目が自然だから環境に優しい。
リサイクルと書いてあるから正しい。
そうした一部分だけでなく、別の場所へ移された負荷まで映し出すための鏡である。
ユウ:
つまり、LCAは私たちを閉じ込める罠ではないんですね。
アイ:
ええ。
罠の存在を、見えるようにしているだけよ。
プラスチックをガラスに替えても、負荷そのものが消えるとは限らない。
リサイクルをしても、回収や再生に使うエネルギーがゼロになるわけではない。
この世界に、使った瞬間すべての問題を消してくれる「無垢な素材」は存在しないの。
このままでいいのか
ユウ:
では、昔には戻れない。
何かに置き換えても、別の負荷が生まれる。
だったら私たちは、このまま石油を使い続けるしかないんですか?
アイ:
いいえ。
過去へ戻れないことと、現在を変えなくてよいことは、同じではないわ。
プラスチックの軽さは、輸送に使う燃料を減らし、食品を長く保存し、医療や衛生を多くの人へ届けてきた。
でも、その便利さと引き換えに、海へ流れ出る廃棄物や、燃やされる化石燃料、分解されずに残り続ける物質も増えた。
ユウ:
助けられてきたから、簡単には手放せない。
でも、助けられてきたことを理由に、永遠に続けていいわけでもない。
アイ:
そういうことよ。
善か悪かではなく、どこで必要とされ、どこから減らせるのかを考える段階へ来ているの。
黒い壁を削る研究
ユウ:
でも、本当に変えられるんでしょうか。
プラスチックも、燃料も、物流も、あまりに深く石油とつながっています。
アイ:
人類は、檻の中で眠っているわけではないわ。
例えば、プラスチックや化学製品の原料を、石油由来のナフサだけに頼らず、廃プラスチックやバイオマス、回収した二酸化炭素などから作ろうとする研究が進められている。
廃プラスチックを熱分解して油へ戻し、再び化学原料として使う試みも、その一つね。
日本の産業政策でも、ナフサ由来原料から、バイオエタノールや廃プラスチック由来の化学品へ転換する技術が検討されている。
ユウ:
石油から作っていた物を、別の炭素から作ろうとしているんだ。
アイ:
ええ。
そして、エネルギーの側では、太陽と同じ核融合反応を地上で制御しようとするフュージョン研究も続いている。
どちらも、明日から現在の仕組みを丸ごと置き換えられる技術ではないわ。
コスト、供給量、設備、安定性。越えなければならない壁は、まだいくつもある。
ユウ:
それでも、壁を削る道具は作られ始めている。
アイ:
そうね。
ただし、新しい技術が、今まで積み上げてきた負債をすべて帳消しにしてくれるわけではない。
使う量も、運ぶ距離も、捨て方も何も変えないまま、原料やエネルギーだけを交換すれば、いずれ別の場所に新しい檻を作るかもしれない。
技術は、扉を開く鍵にはなる。
でも、扉の先へ何を持っていくのかを決めるのは、技術ではないわ。
静かな脱獄
ユウ:
いつか人類は、本当に化石燃料の檻から出られるんでしょうか。
アイ:
その可能性はあると思うわ。
かつて、炭鉱を中心に栄えた街があった。
人が集まり、鉄道が敷かれ、商店や学校が生まれた。
でも、エネルギーの主役が変わると、坑道は閉じられ、人々は去り、街そのものが静かに役割を終えていった。
未来の人々にとっては、巨大な油田や製油所、ガソリンスタンドも、同じように古い時代の風景になっているかもしれない。
ユウ:
今は絶対に動かせないと思っている世界も、五百年後には残っていないかもしれない。
石油に依存したまま変われなかった国や街も、その形を保てなくなっているかもしれない。
アイ:
世界は変わるわ。
問題は、変わるかどうかではない。
どのように変わるのか。
そして、その途中で誰が置き去りになるのかよ。
石油は単なる燃料ではない。
国家の収入であり、地域の雇用であり、物流の血液であり、食料や医療を届ける基盤でもある。
正しさだけを掲げて檻を一気に爆破すれば、中にいる人たちまで傷つく。
ユウ:
じゃあ、必要なのは……マイルドな脱獄ですか?
アイ:
ずいぶん軽い言葉を選んだわね。
ユウ:
でも、明日から百八十度変えるんじゃなくて、少しずつ隣の道へ移っていく感じです。
古い産業がまだ動いている間に、
新しい産業を育てる。
仕事がなくなる前に、
次の仕事へ渡れる橋を架ける。
必要な場所では今ある技術を改善しながら、減らせるところから少しずつ役割を移していく。
アイ:
なるほど。
それなら「マイルド」も、悪くないかもしれないわね。
ただし、緩やかに変わることは、何もしないことではない。
問題を先送りして、限界が来た瞬間に慌てて飛び降りることでもない。
大きな不幸を避けるために、まだ余裕があるうちから、静かに変わり始めることよ。
ユウ:
ゆっくり変わるためには、早く始めなければならない。
アイ:
ええ。
その矛盾を理解することが、移行の最初の一歩なのかもしれないわね。
一歩先まで覗く
ユウ:
でも、私たち一人ひとりに、そんな大きな仕組みを変える力があるんでしょうか。
アイ:
一人で世界のエネルギー政策を決める必要はないわ。すべての技術を理解して、完璧な答えを出す必要もない。
ただ、目の前に差し出された「それらしい正解」を、そのまま飲み込まないことはできる。
ユウ:
二酸化炭素を減らすならEV。
プラスチックを減らすなら紙。
リサイクルと書いてあれば環境に優しい。
そんな一つの点だけで、正しさを決めない。
アイ:
そう。
EVを見るなら、走っている時だけでなく、電気をどう作り、電池を何から作り、最後にどう回収するのかまで見る。
プラスチックを見るなら、捨てた後だけでなく、その軽さが輸送、食品保存、衛生に何をもたらしているのかまで見る。
脱化石燃料を見るなら、新しい技術だけでなく、産油国、雇用、物流、価格、そこで暮らす人々まで見る。
ユウ:
目の前の一点だけじゃなく、その選択の一歩先を覗いてみる。
アイ:
ええ。
知ろうとすればするほど、簡単な答えは消えていくかもしれない。
けれど、世界が複雑なのに、答えだけが単純な方が不自然でしょう?
正解を言い当てることよりも、見えないものを想像しながら選ぶこと。
その小さな見識の積み重ねが、急激な破壊ではない、次の変化を作るのかもしれないわ。
ユウの余韻
冷蔵庫を開けて、冷えたミネラルウォーターを取り出す。
薄くて、透明で、驚くほど軽いボトル。
キャップを開け、水を飲む。
それだけのことなのに、今日は指先に触れる感覚が、いつもと少し違っていた。
容器の向こう側に、知らなかった景色が重なって見える。
地中から汲み上げられた黒い液体。
熱と圧力で切り分けられた分子。
遠い工場から続く船とトラックの道。
けれど、ボトルそのものは何も語らない。
いつもと同じように軽く、冷たく、便利なままだった。
水を飲み終え、空になった容器を握る。
ペコリ、と小さな音がする。
ゴミ箱の前で、私は一瞬だけ手を止めた。
何を選ぶのが正しいのかは、まだ分からない。
ただ、昨日まで何も感じなかったその軽さが、
今日は少しだけ、重かった。
【編集部より】
※本記事で紹介しているLCA、石油化学産業、代替原料およびフュージョンエネルギーに関する記述は、実際の研究や歴史的事実に基づいています。
ただし、アイとユウの会話、ならびに「黒い血」「檻」「脱獄」などの表現には、独自の比喩およびフィクションを含んでいます。
コラム
――ゆめの結人
原油を題材にした今回の「革命の歴史」。
結果的に、6週にわたってお送りすることになりました。
私たちは、どうしても一つの問題に対して、一つの答えを用意し、それによって解決しようとしてしまいます。
しかし、現実はそれほど単純ではありません。
ここで言う「単純ではない」とは、解決策の実行が難しいというだけの話ではありません。
目の前にある一つの問題を解決しても、全体を見れば負荷そのものは消えず、別の場所に新たな問題が現れることがあります。
ある意味では、「等価交換」のような原理が働くのです。
だからこそ、一つの正しさだけを性急に進めるのではなく、関連する産業や社会、そこで暮らす人々への影響を見ながら、全体を少しずつ変えていく必要があるのではないでしょうか。
この6週間で扱った内容は、一つひとつを見れば、「知っている」「どこかで聞いたことがある」と感じる話だったかもしれません。
けれど、細切れに浴びた情報は連続性を失います。
石油、物流、通貨、プラスチック、環境問題。
それぞれを別々の話として受け取っているだけでは、私たちが次の選択をするとき、立ち止まらせるほどの重さを持ちません。
多くの情報を得る手段は、すでに私たちの手の中にあります。
目の前に差し出された、その選択。
その一歩先では、何が起きるのでしょうか。
誰かの負担を減らす一方で、別の誰かへ負担を移してはいないでしょうか。
知ろうとすればするほど、簡単な答えは見つからなくなるかもしれません。
それでも、何も知らずに選ぶ未来と、一歩先まで考えて選ぶ未来は、きっと同じ形にはならない。
その「選択」について考え始めるのは、今なのかもしれません。

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