EP9:路地裏の隣人に呟く祈り ―― ナポリ ft.サエコ
音のある方へ
MC:サエコ
「私たちの日ごとの糧を、今日もお与えください。」
ローマを支配していたあの重苦しい沈黙は、特急列車が南へ向かうにつれて、少しずつ陽気なノイズへと溶けていきました。
ナポリの駅に降り立った瞬間、私を包み込んだのは、潮風と、スパイスの匂いと、そして、呆れるほど巨大な「生活の音」でした。
整然と敷き詰められたローマの大理石とは違う、ひび割れ、でこぼこになった石畳。 狭い路地を見上げれば、頭上を交差する無数の洗濯物が、地中海の強い風をはらんでバタバタと音を立てています。
スクーターの甲高い排気音。
魚を叩き売る市場の怒号。
バルコニー越しに交わされる、
隣人同士の笑い声と口喧嘩。
ここは、すべてが過剰で、すべてが剥き出しの街です。
そんな路地裏を歩いていると、建物の壁のあちこちに、小さなガラス張りの箱が埋め込まれているのに気がつきます。
「エディコラ」と呼ばれる、街角の小さな祠(ほこら)です。
中には、マリア像や地元の守護聖人の絵が飾られています。
しかしそれは、バチカンの大聖堂にあったような、畏れ多くて触れることもできない芸術品ではありません。
色褪せた安っぽい造花が飾られ、誰かが灯したろうそくの煤(すす)でガラスは黒く濁り、時にはその横に、サッカーチームのステッカーや、亡くなった家族の古い写真が無造作に貼られています。
私は、買い物の途中らしきふくよかな女性が、その祠の前で足を止めるのを見ました。
彼女は、両手に下げたトマトとパンの袋を地面に置くこともなく、ただパパッと素早く十字を切り、何事かを早口で呟くと、再び雑踏の中へと消えていきました。
その一連の動作には、神に対する「かしこまった儀式」のようなものは微塵もありませんでした。
まるで、近所の顔なじみに「ちょっとお願いね!」と声をかけるような、あまりにも日常的で、無遠慮な祈り。
けれど、彼女がどれだけ熱心に空へ祈りを放り投げても、提げている荷物の重さがふいに軽くなるわけではありません。
祈っても、明日のパンが空から降ってくるわけではない。
ナポリの路地裏に満ちているこの圧倒的なエネルギーは、何かを変えるためのものではなく、ただ「今日という理不尽な一日をやり過ごすため」の、消費される熱でした。
神への祈りすらも、市場の怒号や赤ん坊の泣き声と同じ、路地裏に沈殿する「生活のノイズ」の一部として、空に吸い込まれ、そして跡形もなく消えていくのです。
煤けた祠の前に立ち、私は目を閉じました。
バチカンが組み上げた「完璧な正解」は、この街までは届いていません。
しかし同時に、この街の混沌とした祈りもまた、彼らを救い上げる「正解」にはなり得ていないという、静かな徒労感がそこにはありました。
ここから先は
この記事が参加している募集
少しでも”考えるきっかけ”になる記事を投稿していきます。気に入って頂けましたら応援よろしくお願いします。
