【実話】小学生で自殺を考えた私。校舎から飛び降りようとしたあの日、人生が変わった
1. 50歳を前に、人生を書き始める理由
50歳を前にして、これまでの人生を振り返る時間が増えました。
「あの時、もし本当に死んでいたら。」
そう思うことがあります。
いじめ、家族の苦しみ、結婚、離婚…。
決して平坦な人生ではありませんでした。
でも今、心から言えることがあります。
私は、生きていてよかった。
この連載では、私が歩いてきた人生を、できるだけありのままに書いていこうと思います。
もし今、人生が苦しい誰かの心に届いたらうれしいです。
2. 母に教わった「文字を書く」ということ
私の母は、「勉強しなさい」と言うような人ではありませんでした。
でも、小学校に入学する前、ひらがなとカタカナだけは徹底的に教えられました。
学校で使うような漢字練習帳に、一文字一文字、丁寧に書いていきます。
でも、母が納得しない文字を書くと――
何ページも書いたノートが、容赦なく全部消しゴムで消されるのです。
子どもながらに、「厳しいな」と思いました。
でも、不思議と嫌ではありませんでした。
入学してすぐに、私の連絡帳の文字が職員室で話題になり、先生たちの間で回覧されたと聞きました。
小学校1年生の担任は、新任の男の先生でした。
その先生の書く文字は、本当に美しかった。
黒板に書かれる文字が、まるでノートの点線の上に書いてあるように整って見えるのです。
子どもながらに、感動しました。
「私も、こんな字が書けるようになりたい。」
そこから私は、ますます文字を書くことが好きになりました。
高学年になる頃には、図書室で使う代本板のクラス全員分の名前書きを先生から頼まれるようになっていました。
今思えば、あれは先生なりの優しさだったのかもしれません。
一緒に帰る友達がいない私が、みんなが帰ったあとも一人でいることに、先生は気づいていたのだと思います。
3. 学校では笑えない子どもだった
小学生の頃の私は、クラスでもほとんど目立たない子でした。
授業中に指名されるだけで、体が震えました。
声が出なくなることもありました。
黒板に字を書く時には、手が震えて、まっすぐ書けなくなりました。
まるで、生まれたての小鹿みたいだったと思います。
人と話すことも苦手でした。
笑いたいのに、笑えない。
そんな子どもでした。
4. いじめが始まった小学校低学年
私がいじめを受け始めたのは、小学校低学年の頃でした。
ランドセルに傷をつけられる。
帰ろうとしたら、下駄箱に靴がない。
探し回った先にあったのは、砂場に埋められた自分の靴でした。
半分だけ見えている靴を掘り起こした時のことを、今でも覚えています。
周りから笑い声が聞こえました。
悲しいというより、
「誰にも見られたくない。」
その気持ちの方が強かった。
5. 誰にも言えなかった教室での日々
高学年になる頃には、いじめはもっと目に見えるものになっていました。
掃除の時間。
机を後ろに運ぶ時、私の机だけ、
「汚いから持ちたくない。」
そう言われ、誰も触ってくれませんでした。
私は何も言えず、一人で机を運びました。
教室に貼ってあった自己紹介の写真も、私のものだけ画鋲で何度も刺され、穴だらけになっていました。
少し笑うと、
「気持ち悪いから笑うな。」
そう言われることもありました。
私は、少しずつ笑えなくなっていきました。
6. 初めて人を好きになった話
そんな私にも、憧れる人がいました。
クラスの中心にいて、いつもみんなを笑顔にしている男の子でした。
私は話しかけることなんてできません。
でも、一年に一度だけ、勇気を出せる日がありました。
お正月です。
私は毎年、その子に年賀状を書いていました。
直接言葉を交わすことはありませんでした。
それでも、年賀状だけのやり取りが何年も続いたのです。
今思えば、あれが私の初恋でした。
そして彼は、のちに私の人生の中で大切な男友達になります。
その話は、中学生編で。
7. 演劇クラブで見つけた、もう一人の私
「このままじゃだめだ。」
そう思った私は、4年生から始まるクラブ活動で、思い切って演劇クラブに入りました。
部員は、学年で私一人。
でも、人が怖かった私には、そのくらいがちょうどよかったのです。
顧問の先生は、養護学校から来られた、とても穏やかな男の先生でした。
発声練習。
セリフの覚え方。
舞台での視線の送り方。
ひとつひとつ、丁寧に教えてくれました。
6年生になる頃には、先生に勧められて部長も務めました。
クラスでは居場所がなかった私が、舞台の上では別人のように生き生きしていました。
ある時、私は先生に言いました。
「何か新しいことがしたいです。」
そして、低学年の子たちにも演劇を見てもらおうと、昼休みに体育館を借りて公演をすることになりました。
折り紙でプレゼントを作り、司会もしました。
今思うと、一日のほとんどを
「どうしたら死ねるだろう」
と考えていた子どもとは思えないほど、生き生きしていました。
でも、舞台の上で笑っていた私には、誰にも言えないもう一つの気持ちがありました。
家に帰る道で、毎日のように考えていたことがあります。
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。
この先では、私が誰にも話せなかった、小学生時代で一番苦しかった出来事を書いています。
校舎から飛び降りようとした日。
そして、私の人生を変えた先生の一言。
今こうして生きている原点とも言える話です。
続きを読んでいただけたらうれしいです。
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