ホアヒンからクアラルンプールへ
タイのホアヒンから、マレーシアのクアラルンプールまで列車での移動を計画した。
ホテルを出て、まずはホアヒンの街で時間を潰す。ホアヒン発の列車は夕方の7時50分発。それまではフリーだ。
ビーチを歩いたり、街中を歩いたりしながら駅に到着する。妻と2人で「ずいぶん寂れた駅だけれど、本当にここで大丈夫だろうか」と話をする。でも駅といったらここしかない。
人の思い込みと言うのはすごいもので、完全にその駅に列車が来ると確信していた。でも少し顔を上げてみると、線路の向こう側にもう一つ新しい駅舎らしいものが見える。もしかしたら、あちらに駅が移動しているんじゃないか。
そう思い直してその駅舎らしきものまで歩いて行って確認すると、そちらのほうは、列車の発車時刻などが書かれていたり、駅員さんもいた。明らかに私たちが駅だと思い込んでいたのは昔の駅で、次の列車が出発するのはその新しい駅だった。
もしあのまま思い込みが終わらなかったらと思うと怖いことだった。駅を確認した後、また駅の周りをウロウロすると、バーの通りと言うのが目についた。飲み屋があるのかと思って歩いてみると、どうやらそこはバーと言うよりも、もう少しディープな世界。胸の空いたセクシーな服を着た女たちが、食堂のベンチに座って外を見ている。どうやらその女の人と飲んだり、それ以外のことができそうな店のようだった。
妻と2人で、なんとなく気まずい気持ちを持ちながら、その数百メートルにわたる通りを通過して、表通りに出てから夕ご飯を食べた。タイ最後に選んだのは、ハーブがたっぷり入った焼き肉風のご飯ともち米。鶏肉を揚げてカットしたものも、ハーブで味付けがなされていた。
夕方7時50分になり、やってきた列車に乗り込む。これまでの列車と同じように、発車時刻間際までホームには入れてもらえない。これは仕方ないが、改札のところで客を待たせている男性と女性の駅員が、なぜか意味をなくご飯を食べている。なぜこんなところまで来てご飯を食べるの必要があるのか。その感覚がよくわからない。でもご飯を食べて、口を動かしている。
そういう習慣なのかもしれないが、なんだか本当に違和感があった。みっともない。列車に乗り込んでみると、北に向かっていた寝台列車とは明らかに違い、かなり古い寝台車だった。私が乗り込むと既にその 寝台車は寝台状態になっている。
下の席の人はカーテンを閉めてしまっている。私は上段のカーテンを開けてその寝台に乗り込む。元ブルートレインの車両を使っていると言われた北に向かっていた列車は、比較的安定していたが、この南に向かう列車はかなりひどい。狭くて転げ落ちそうだ。
走っていても揺れが大きいし、ベッドの安定感も欠ける。充電用のコンセントも、南に向かう列車のベッドにはついていなかった。そういう列車に揺られながら、国境の街パダングバザールに到着する。
パダングバザールの駅に到着して、両替所を探す。見つからない。妻が持っていたワイズのデビットカードを出し、ATMで一万円分をキンギッドに交換する。1リンギッドが約40円。
通貨を持ったのでご飯でも食べようと駅を出て周りをウロウロするが、一向に何もない。柵の向こう側には街が見えているのだが、ずっと柵があってなかなかそこには行けない。仕方なく一本道を歩いて行くと、1人の男がやってきて「こちらへ来るな。どこへ行くのだと」言われる。「街へ出たいのだ」と言うと、彼は「ここはボーダーだ。これ以上来るんじゃない」と言ってきた。なんと私は知らずに一度マレーシアに入国しておきながら、タイとの国境へ戻ろうとしていたようなのだ。彼は国境警備をしていたらしい。なんだか銃も持たず、のんびりした様子だった。
どうやら私たちは向かう方向を間違えた。一度駅まで戻って確認すると、私たちがプラットフォームだと思っていた先に、マレーシアの街が広がっていた。
マレーシアの街に出て、ショッピングセンターや街中の食堂などを見て歩いた。でも金曜日で、多くの店が閉鎖していた。宗教的に金曜日が活動をしないらしいと妻が教えてくれた。一部の服屋さんや、コンビニエンスストアは開いていたが、それ以外のほとんどの食堂らしきものが閉まっていて、残念だった。
数時間をパダングバザールで費やし、その後クアラルンプールに向けての特急列車に乗った。この特急列車は非常に席が快適で、食事用の台と、もう一つの方にディスプレイが用意されている。乗っていると食事が提供され、食事が終わったらコーヒーとお菓子が提供された。
飛行機でも食事の提供がないLCCばかりの私はとても驚いた。ホアヒンからパダングバザールまでの列車がひどかっただけに、このキャップは大きかった。クアラルンプールには、定刻を5分ほど過ぎて、無事到着することができた。
